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BITTER CANDY ~黒い歴史の1ページ~  作者: 梅雨ゼンセン
第二章 ―人形に怯える男―
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10.佇む人形


「優真君」

 ……懐かしい声だ。

 優しくて、温かくて、まるで夏の木漏れ日か春のそよ風のようだ。

 僕はそんな彼女の笑顔が好きで、その声をもっと聴きたくて、大学生なのに、まるで小学生の様に色々なことを話した。

 そんな僕の他愛ない話をいつも彼女は笑って聞いてくれる。こんなつまらない男のつまらない話に「そうなんだ!」「それからどうなったの?」「そんなことがあったんだ!」なんて相槌を打ってくれたりして、たまに頬をツンツンと、――――――

 ……ん? ツンツン・・・・

 そんなことあっただろうか。いや、あったのだろう。現に今ほっぺにそんな感触が……




「起きなさい小森君。せっかくお姫様が王子を起こしに来たっていうのに、キスを求めるなら冷蔵庫の生魚にお願いするよ?」

「………近も、じゃなくて森近です。切実にやめてください。あとツンツンするのも」




 まだ寝惚けている頭を振って、僕の意識はようやく覚醒し始める。いつの間にか僕はソファで眠ってしまっていたようだ。一体今は何時なのだろうか。真っ暗な部屋の中に陀宮さんの顔がぼんやりを浮かぶ。

ニヤリと笑う、嫌味な顔だ。

 僕の横にしゃがんでツンツンしていたのだろう。彼女は手を引っ込めると邪気のある、楽し気な笑みを浮かべ、

「ほら、あれ」

 と僕の足の方を指さす。その先には隣の部屋がある。二田さんの寝室だ。

 僕は未だ覚醒しきらない頭を掻きながら体を起こす。そして頭を触った途端に酷い寝癖だと気づく。クリンクリンになっていて、これは直すのに手間がかかりそうだ。

 とりあえず髪の毛のことは一端忘れて、僕は寝室を見る。電気は消えているし、彼は寝てしまったのだろう。

 寝惚けた頭で、一体何が彼女を興奮させているのか、なんて思う。

「ッ!」

 瞬間、僕の頭は急激に覚醒した。僕たちは何のためにここに来たのか。

 彼が寝てしまったということは……

 頭の覚醒と同時に寝室の光景が目に飛び込んでくる。その部屋の中に立っている人影が目に入った。



 彼の眠るベッドの隣に佇んでいる。

 女性……なのだろうか。



 裸の女性に見える『ソレ』は、まるで静止画のように彼の隣で微動だにしない。

 ただ立っているだけ・・・・・・・・・

 だがそれが逆に不気味さを掻き立てる。

 ――――――時計の針が響く。

 それ以外に音の無い部屋は心臓の音も聞こえてきそうだ。

「……なるほど」

 その静寂を、陀宮さんの零した笑いが破った。その瞬間、微動だにしなかったソレが首だけをこちらに向けてきて、



「―――――――――――――――――――――――――――――――――――」

 にやり、と。

 歪むように笑ったかと思った矢先、



 ――――――どさっ、



 体のバランスが崩れ、人形を落としたように地面に崩れ落ちた。

 しん、と。

 再び静寂が場に満ちる。僕は崩れたソレから視線を逸らすことができなかった。

 本当に動いていた。そして嗤ったのだ。髑髏の様に、邪悪に、不気味に。

 ……気持ちが悪い。気味が悪い。

「さーて、」

 なんて、この状況でも陀宮さんは軽い口調で伸びをし、

「イモリ君、お風呂に入ってきたら? けっこう汗結構掻いてるけど?」

 その言葉で僕の意識は我に返る。反射的に陀宮さんを見た後に自分を確認すると、大量の汗を掻いていることに気が付いた。しかも、ひどく冷たい。

「ふ、風呂って」

 もはや名前をツッコむことすらできなかった。

「私はもう寝るから」

 陀宮さんは一欠伸し、対面するもう一つのソファの方に寝転がって顔に新聞を乗せる。何ともおっさん臭い、と思ったが声に出さないのが礼儀というものだろう。

「……」

 臭いかな、となんとなく気になりシャワー室の方に視線を向けてみる。

 だがあの密室で、シャワー中にアレが突然戻ってきたらと考えると……

「……」

 ぞっとする。

 確認のために恐る恐る振り返る。アレはまだ二田さんの隣でぐったりしている。

「……うん」

 寝よう。

 小さく頷いてから、僕は再びソファで横になって腕で目を覆った。

 その瞬間。寝言かもしれないが、隣の陀宮さんが、

「……弱虫」

 と、クスクスと笑ったような気がした。




 翌日、僕たちは一端帰宅した。

 目が覚めた二田さんは、アレが横で崩れている姿にかなり取り乱していたが、体に異常はなかった。もっとも、陀宮さんがざっと診た程度なので確証は薄いが。一応吐き気や熱も無いし、大丈夫だろうという結論になった。

 帰宅した後、僕は支度を終えた陀宮さんを高校に送り届け、依頼の調査を開始する。

「ご苦労、専属の運転手君」

「なら別で給料を出してくださいよ」

 なんて他愛ない話をして陀宮さんと別れ、僕は車内の時計で時間を確認してある場所に向かう。途中コンビニに寄って時間を潰したり、書店に寄って本を買ったりして時刻は午前の十時前。ちなみに「書店に行った」と言うと陀宮さんから「ほう、うちじゃなく他の書店に行ったんだ。へぇ~」とかなり弄られるので、今日買った本は自宅でこっそり読むことにする。本の中身はご想像にお任せする。

 目的の喫茶店に着き、僕は車を停めて店に入る。純白の木製のドアを開けるとベルがカランカランと鳴る。穏やかなクラシック系の音楽が流れる店内。店主と目が合い軽く会釈すると僕は店内を見る。平日のこの時間なので店内は伽藍としており、目的の人物はすぐに見つかった。

 奥に座っていた二田さんのところに僕は向かい、彼と対面するように腰を下ろす。二田さんは朝食を終えたようで、コーヒーを飲んでいる。

「お待たせしましたか?」

「いえ、僕も今食べ終わったところなので。正直なところ、もう少し遅く来てくれても大丈夫でしたよ」

 彼は微笑み、コーヒーに口を付ける。その様子に安堵する。だいぶ落ち着いたように思える。

 今日仕事は休みだそうで、僕は彼からもう少し『門崎三葉』という女性についての話を聞くことにしたのだ。何をするにしても情報が無ければ始まらない。

「さて、何から話しましょうか……」

 そう彼は視線を落とし、少し悩んだ後、語り始める。

 出会いは大学。講義で度々一緒になったことからよく話すようになり、互いに好意を抱く様になったらしい。交際を申し込んだのは二田さんから。そしてそのときから門崎さんは週に一度病院に行っていたそうだ。

「……しばらくして同棲もするようになって、社会人になって収入が安定したら結婚しようって約束もしてました。なのに……」

 語りの途中、彼は表情を曇らせ、目を伏せる。

 その顔が見えなくても分かる。

 辛いに決まっている。

 自分の大切な人が死んで、悲しまない者などいない。

 そのどうしようもない悲しみと虚無感を…………僕は体験している。

 それから少し間沈黙し、彼がまたゆっくりと口を開くまで僕は黙って待った。

「……すいません。私からお話しできることは多分このくらいだと思います。後は知人を紹介するので、すいませんが……」

 そう絞り出すように言う彼に、僕は追及することができなかった。

「分かりました」

 そう静かにメモを閉じる。その知人との機会は二田さんが設けてくれるということで、僕への連絡は今日の夜になるそうだ。

 最後に、

「あと、これ。僕と三葉の大学と、ゼミでお世話になった教授の名前が書いてあります。役に立たないかもしれませんが、一応……」

 と名刺の裏に大学名と研究室、教授名を書いてくれる。

「ありがとうございます」

 僕はそれを受け取ると一礼し、喫茶店を出た。彼はまたしばらく一人にして欲しいそうだ。落ち込んだときに一人になるのは良くない、と言う人がいるが僕はそうは思わない。今の彼は、悲しみで崩壊しそうな自分自身を留めるので精いっぱいなのだ。気持ちに余裕が出るまでは、目を瞑り、耳を塞いで身の内を見るのも大切だと僕は思う。

 カランカランと音が鳴り、ドアが閉まる。時刻的にまだ昼だ。手持無沙汰になった僕はとりあえず車の中でメモを見る。


 キーワードは……『死体』『人形』『門崎三葉』『二田都雄』『名刺の大学』


「……」

 そのままだな。ただ読み上げただけでまったく意味がない。なんとなくだが、あれだ、授業で教科書を朗読するだけの先生を思い出す。ならお前ができるのか? と聞かれたらそりゃあできないけど、アレは中々困る。反芻はんすうしようにも喉を通らないのだから。

 この一年のうちに散々思ったが、やはり自分は探偵には向いていない。本当の探偵の仕事がどんなものかは知らないが、推理系は苦手分野だ。

 しかしとりあえず、分かるところから潰していこう。まずは大学だ。

 僕は名刺の大学名を調べて電話番号を手に入れると、それを打ち込んだ。



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