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BITTER CANDY ~黒い歴史の1ページ~  作者: 梅雨ゼンセン
第二章 ―人形に怯える男―
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8.門崎三葉


 裸の女性。


 髪は黒で長髪。ガリガリに痩せた大人の女性一人がまるで胎児の様に四肢を折りたたみ、浴槽の中に仰向けに放置されていた。

 人形沙汰で一番記憶に残っているのは、押し入れの中に大量の人形が入っているという事件だ。その時は同時に髪の毛と爪と皮膚が発見されたが、今回は違う。この浴槽に入っているのは正真正銘の人間だ。人体だ。


「……僕の、妻です」


 振り向くと、浴室に背を向けていた二田さんがいつの間にかこちらを向いていた。

 彼はその浴槽内で眠るように目を閉じている彼女を見て、悲しみと嫌悪の両方をを浮かべる。

「正確には、僕の妻になる予定の人でした。恋人です。名前は『門崎(かどざき)三葉(みつば)』です」

「他人の様に言うんですね」

 彼の言葉に陀宮さんが反応する。それは僕も思った。やけに淡々としている。

 陀宮さんの言葉に二田さんはまた少し迷った後、浴槽の彼女から目を逸らし、

「……動くんです。彼女」

「へぇ、なら彼女は死んでるの?」

「……分からないです」

 彼は答え辛そうに言う。

 分からない、とはどういうことだろうか。これはどこからどう見ても……

 僕は一応浴槽の彼女の脈をとってみる。恐る恐る手首の辺りを触ってみるが、やはり肌は冷たく、脈はない。そして感触は人間のそれだ。

「脈はないみたいね」

 そう僕の顔から判断したのか、振り返ると陀宮さんが興味深そうにこの女性を見ていた。こういったものはあまり女子供の目に入れるべきではないのだろうが、彼女はずいずいと僕の隣に割り込んできて、女性の身体を眺める。そして小声で、

「そう狼狽しない。もっと腰を据えて、ね?」

 そうニヤリと僕を一瞥し、女性を調べ始める。それで僕は我に返ったように気持ちが落ち着き、冷静さを回復することができた。いや、気持ち悪さが一周回って落ち着いただけなのか。

 分からないがとりあえず、僕は立ち上がり小さめに深呼吸をすると、きびすを返して二田さんの方を向く。

「お話をお伺いしても?」

「……よろしくお願いします」

 あれは陀宮さんが見てくれている。ここにいても今僕にできることはないだろう。なら彼から話を聞く。

 これが今僕にできることだ……

 そう心の中で唱えてから、僕は彼と一足先にリビングの方に戻ってきて、対面するソファに腰掛ける。そして一呼吸おいてからペンとメモを取り出し、

「一応確認ですが、あれは死体なんですか?」

「……分かりません」

「分からない、というのは?」

「……」

 そう問うと彼は少しだけ間を置き、

「今となっては『死体』という考えの方が大きくなってきましたが、もしかしたらアレは『人形(にんぎょう)』なんじゃないか、とも思ってるんです」

「『人形』、ですか」

「はい。さっきも言いましたがアレ……よ、夜中になると動き回るんです」

 夜になると動き回る。そう口にしてから、彼の表情が徐々に恐怖を帯びていくのが分かった。

 二田さんは青い顔になって俯き、

「あ、アレ……動いてるんです。いつも夜中になると僕の寝室まで来て、起きたらベッドの隣で倒れてるんです。まるで……突然糸が切れた『人形』みたいに。か、関節もバラバラの方向に向いていて……人が尋ねてくるときはいつもああして浴槽に入れてるんですけど……」

 口調が徐々に早くなっていき、息が乱れ、彼は身を守るかのように自分を強く抱きしめる。

「今日も、また……きっと、よ、夜になったら……」

 よほど力を込めているのだろう。服に皺ができ、腕が痙攣し始める。それでも彼は力を緩めない。

「あそこから……あ、ああそこから、出てきて……」

「大丈夫ですか?」

「夜に……夜にまた、僕を……見下ろして!」

「二田さんッ!」

「ッ!」

 そこで二田さんは我に返る。そして乱れた息を一度整え「す、すみません……」と頭を下げる。が、声はまだ震えている。

「いえ、無理せずゆっくりで大丈夫ですので」

 相当精神に来ているようだ。それもそうだろう。朝起きると隣で等身大の人の形をした『何か』が崩れているなんて、考えただけでぞっとする。

 しかしそれを平気で調べている陀宮さんも異常だ。まあ今に始まったことじゃないし、今は気にしても仕方がない。かくいう僕も触ってたし。

 少し間を置いてから二田さんが口を開く。

「もう……僕は……アレを、彼女だとは思えません」

 震える手を抑えるように、または何かに祈るように彼は強く両手を組む。

「い、一回……アレを山の中に捨ててきたことがあったんです。でも……ダメだった。次の日の朝にはまた隣に転がっていて……」

「……なるほど」

 それは確かに異常だ。だが捨てた物が帰ってくる、というのはそれほど珍しいことではない。

 (かんざし)や人形、ピアスなど。結果がどうであれ、有名な話はいっぱいある。が、これほど大きいモノは珍しいのではないか。まああくまで僕個人の意見だが。

 と、そこで僕は重要なことを聞き忘れていたことに気が付いた。

「二田さん。その……門崎さんの『死因』を聞いてもいいでしょうか?」

 死因は大切だ。一条静華のときがそうだったように、人が死ぬ原因になったことが、そのまま今回の現象の原因になることだってあり得るのだから。

「え……ああ。そういえば、話していませんでしたね……」

 二田さんもすっかり話した気でいたようで、改める様に彼女の死の状況を話してくれた。


 門崎三葉。死因は病死。死んだのは一週間と少し前で、動き出したのはその晩かららしい。持病でよく入退院を繰り返していて、死因の病死もそれが原因だそうだ。


「順調そう?」

 と、そこへ浴室から陀宮さんが帰ってきた。彼女はハンカチで自分の手を拭きつつ僕の隣に腰掛ける。そして紅茶を飲んで一息吐くと、サラサラと得た情報を説明する。

「眼球、耳孔、鼻腔、口内、肌と筋肉、膣内、と大方見て触ってみたけど、一応人のものっぽいかな。爪と髪は流石に本物か分からなかったけど。でも関節もきちんと骨の感じがあるし、耳垢と鼻水も確認できたし間違いないよ」

 これ以上は解剖がひつよーです、と説明を終えると彼女はカップを置き、また一息吐く。

 僕と二田さんは唖然としてしまった。どうやらこの人は僕の想像の斜め上を行く異常者のようだ。アレを触って、しかも人体だと認識してなおも平然としていられる。やはりこの人はどこかズレている。

 一般人とは決定的に。


「そう驚かないでよ」


 そういう彼女の顔には、薄く、自慢げな笑みが貼り付いていた。


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