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イランカラプテ  作者: せんのあすむ
3/9

二 ポンヤウンペ

 今日もまた、日高山脈の山頂を美しく染め、朝日が上りかけていた。道南のほとんどの川がそうであるように、日高山脈を流れの原点とするシベチャリ(静内)川は、山脈から流れる二つの川が源流で、現在はJR日高本線の駅のひとつである「新ひだか駅」の側で太平洋に注ぐ。


 その河口に築かれた大きな祭壇の前で、メナシクル部族長であるカモクタインが一心に祈りを捧げているのを、庄左衛門は邪魔をしないように遠くから見守っていた。


 九月上旬のこととは言っても、冷帯気候に属するため、肌を吹き過ぎて行く風はすでに冷たい。


 アイヌたちにとって、神の授けてくれた主食である鮭を迎えるこの祭りは、神魚迎え祭りと呼ばれていた。魚に関連のある水の神への祈りである。この日のために美しく刺繍されたマタンプシ(鉢巻)を額に巻き、恭しく神へ祈り終えた後、カモクタインは立ち上がり、傍らにおいていた杖を再び手にとって、


「カムイ・チェプがおでましになった」


 その先を地面に勢いよく突き立てながら宣言した。


 途端、水しぶきと歓声を上げながら、アイヌの子供達がシベチャリ川へ入っていく。川の中には川を遡ろうとする鮭が大量にいて、その様子を見ている大人達の口元をほころばせる。その様子を見て隣でうずうずと体を動かしている息子、庄太夫に気づいて、


「行きなさい」


 庄左衛門もまた、微笑を漏らしてそう促した。途端に庄太夫は顔を輝かせ、そちらへ駆けていく。それをアイヌの子供たちが歓声を上げて迎え入れる。


 だが、


「長。どうしました」


 その様子を見守っている老人の顔が浮かないのに気づいて、庄左衛門は彼の側に向かいながら声をかけた。


「庄左衛門殿か。ヒロサキとやらから、帰ってこられていたのか」


 すると、この温厚なメナシクル部族長は、少し苦笑いしながらこちらを振り向く。


「はい、今しがた。それで、どうしました? 何かまた問題でも」


「部族の者を不安にさせたくはない。だから」


 二度の問いに、カモクタインという名のこの老人は、苦笑いして、


「われらの相談役になった貴方達には言っておこう。カムイ・チェプの数が、大変に少なくなっている。まことに困ったことだ」


「ああ、そうですな」


 カモクタインが声を潜めて言うと、庄左衛門も少し苦い顔をして頷いた。和人の言葉を覚えようとしないアイヌの人々のことだから、カモクタインの話す言葉ももちろんアイヌ語である。それを何とか理解できるようになったのは、つい先ごろのことだ。


 二人とも、周りを憚ってはっきりとは言わないが、鮭が少なくなったのは、大雑把に言えば、


(松前藩の贅沢のせい……)


 である。


「助之丞や我らの力が至りませんゆえに。申し訳ないことだ」


「あなた方のせいではない。あなた方相談役は、良くやってくれている。あなた方が気に病むことではない」


 庄太夫の言葉にカモクタインが慌てて言い、庄左衛門がそれに対して苦笑することしかできないのも、庄左衛門の同業者の乱獲によるものなのだ。商人たちは、産卵期にある鮭も見境なく捕獲したものだから、


(なんの、木幣イナウを捧げて祈ったところで、その数が回復するものか)


 カモクタインやシャクシャインばかりでなく、メナシクルと松前藩との交易を任されている庄左衛門までもが、そう考えていた。このままいけば、鮭の生まれる数が、乱獲数に追いつかなくなるのは時間の問題なのは明らかである。


 加えて静内川には、松前藩に依頼されて多くの砂金堀がやってきている。それらがまことに無造作に川底を掘り返し、済んだ水へ泥濘をぶちまけるものだから、鮭の産卵場所も減る。自分で自分の、いわば産物の生産量を減らしておいて、アイヌの人々には「もっとたくさんの鮭を獲れ」とせっつくのであるから、話にならない。


 鮭がいなくなることで、アイヌにとってなぜ困ったことになるかといえば、この魚は、松前に住む和人との交易における最重要品の一つだったからである。


 和人たちが送って寄越すものは美しい漆器や衣服の材料などで、もともとさほどアイヌにとって必要でもなかったものであるが、いつの間にか自分たちの生活に深く食い込んでしまっている上に、


「…カムイ・チェプが減ると、シサムたちが我らへ寄越すコメや鉄も減るな」


 カモクタインが暗い目をして、そう呟かざるを得ない事態になってしまうのだ。



 

 特に、和人たちが交易でもたらす鉄は今や、アイヌの人々が狩猟に用いる鏃や槍となる、重要な品となってしまっている。昔はそれがなくとも何とか成り立っていた狩猟が、鉄の「輸入」によって格段に能率的になった。日常生活においても、彼らがアツシと呼ぶ衣服を作る際にも、黒曜石ではなくて鉄の針を用いるようになってから、袖や襟口に施す刺繍が格段に早く、美しく出来るようになった。今では女性が亡くなると、針の形がその墓標になるほどに、鉄の針はありがたがられているのである。


 アイヌに伝わる民話には、


「子供が亡くなった!」


 と騒いでいる部族の人間に対して、


「なんだ、針がなくなったのかと思った」


 なくなったのが子供で良かったと、他のアイヌが答えた、という笑えない笑い話さえ残されているほどだ。


 アイヌの民に限らず、そもそも人間というものは、一旦楽することを覚えると、生活の糧を得るために苦労しようなどとは二度と思わない。楽に、というよりも効率的に生活できるほうを採るのは当たり前だろう。


 もともと、生活のために必要な分だけを取り、それで十分暮らしていける、つまり「足ることを知る」というポリシーを持つ人々である。金、という概念すらなく、未だに物々交換で全てが通用する土地の人々である。


 そんな素朴な人々の生活の中に、徐々に食い込んできた和人商人は、彼らの生活に「文字」というものが無いのを知ると、例えばその鮭などの数を十まで数える時には、


「はじめ、一つ、二つ…」


 という風に数え始め、


「九、十、終わり」


 といった風に数え終えた。要するに、「はじめ」と「終わり」の分、二つ余計に取っているのだ。相手に文字が無いと馬鹿にした上での交易方法である。


 もちろん、アイヌの人々にも数字という概念がないわけではない。アフリカ人にも代表されるように、指先で文字を示す、といった彼ら独特の数字の表記法があるのである。


 しかし、そんな和人商人のあくどさを知りながら指摘せず、アイヌの人々は「まあそれくらいは」と、見逃していた。それゆえに、商人たちは余計に図に乗り、近頃ではほとんどタダ同然での取引を迫ってきているのだ。

 

 本州では比較的入手困難であるそれら鮭や熊、ラッコの皮や鷹狩りに使う鷹などは、江戸や上方では当然珍しがられ、重宝されて高額の取引が出来る。しかもそれらを獲るアイヌ民族は大変に友好的で、とくれば、利潤のみを追求する商人たちが、


「アイヌ達が持っているのは、むしろ軽蔑すべき愚鈍さ…」


 とさえ見るようになるのも、そしてアイヌの人々がそれに反発して折々に大規模な戦いを起こすのも、自然の成り行きであろう。


(そんな交易が、いつから始まったのか)


 メナシクルの相談役になるに当たって、庄左衛門も少しは蝦夷の歴史について自分なりに調べている。しかし、彼なりに感じ取れるのは、


(和人とアイヌ、両者が戦うたびにアイヌの立場が弱くなって行く)


 という感覚のみで、何故なのかはやはり分からないままなのだ。


 和人とアイヌの戦いで、よく知られているものは、室町時代のコシャマイン、ショヤ・コウシ、タナカサシといった人々のそれである。庄左衛門が見るところ、これらの戦いは皆、和人たちの過剰進出と、アイヌの人の良さにつけこんで不当な物々交換を迫る和人商人たちへの憤りから発している。


「このままでは住む場所が侵され、食糧が無くなる…」


 そういった切実な危機感が原因での戦いなのだ。つまり室町時代にはもう、和人たちは感覚的に、アイヌの民を自分たちの「下」に置いていたということになろう。


 どんな相手とでも、接する時間が長くなればその分情が移るのが、普通の人間であろう。今では庄左衛門も、アイヌの人々の境遇に深く同情している。弘前藩の杉山吉成にばかりでなく、周りの人間に常々、


「双方をニンマリさせてこその商人道だ」

 

 と言っている彼なのだ。


 であるから、アイヌの人々の実情と、松前藩のやり口を深く知れば知るほどに、


(この格差は何とかならないか)


 なにやら義憤めいたものが心の中に湧き上がる。しかし、そうは思っていても、


「どうにもならぬのが現状です」


 と、言わざるを得ないのが現実なのだ。実際、一商人に過ぎない立場で、何が出来るわけでもない。


 すると、


「我々も分かっている。和人も人間だということはな。だが」


 カモクタインは再び苦笑しながら、潜めた声のままで、


「状況を悪化させたのは、シサム商人と、それに媚を売っているシュムクルのせいだ、と、あれは申している。物騒なことを言うなと一応、釘を刺してはおいたが」


 老いた目を、川の中ほどにいる男へ向けた。


 カモクタインや庄左衛門よりも一回りは背が高く、肩幅もがっしりとしているその男の名は、シャクシャインという。


(彼がそう言うのも無理はない)


 部族の中で、誰よりも覇気と勇気がある彼の姿を見て、庄左衛門もまた苦笑した。


 せっかくの祭りの最中である。ただでさえ、このシベチャリ川の漁業圏イオルを巡っての争いが絶えぬ「お隣」と、


「出来れば余計な波風を立たせたくはないのだがな」


 カモクタインは苦笑したまま続けた。


「同じアイヌ同士なのだ。奴らとて、話し合いを重ねればいつかは分かり合える。シサムとて同じ人間だ。我等とあなた方相談役のように、いつかきっと、な」


「いや、光栄です」


 庄太夫は頷きながら、


(その気持ちも分かるが、和人の大勢はそうではないし、シュムクルアイヌが和人に協力的なように見えるのも致し方ない)


 と思っている。


 これまでの歴史の中で、一番大規模なアイヌと和人の戦いは、件のコシャマインが立ち上がったものである。その戦闘地域は、青森からは津軽海峡を挟んで真向かいにある渡島だった。それからもう二百年は経っているとはいえ、戦いの激しさと和人の戦いの仕方を伝えられて、その地方に住むアイヌの人々が及び腰にならぬわけがない。


 しかも、当時はその戦闘区域が東北と蝦夷渡島に限られていて、蝦夷東部には広がらなかった。だから、東の方にも戦いの有様を伝えられてはいるものの、距離は遠いし年月が経っているしで、道東地域に住む人々にとっては、蝦夷西方に住んでいるアイヌの人々の受け止め方と違って甚だ現実味が薄い。現実感を伴って伝わっているのは、極端に言えば、


「コシャマインが和人に負けて、我々の生活は決定的に苦しくなった」


 という感覚のみなのだ。


 結果的にコシャマインの戦いが、アイヌの立場をなんとなく決定してしまったため、そう認識されているというだけの話である。だから、アイヌの人々も英雄として彼を湛えこそすれ、決して憎んでなどいない。


 庄左衛門の思考を読んだわけではないのだろうが、


「誰かが、どこかで何とかしなければならない。だが、悲しいかな、俺はその器ではない」


 カモクタインがぽつりとつぶやくように、アイヌの人々は心のどこかで英雄の出現を待ち望んでいるのだ。


(蝦夷は松前藩にとって、いつ爆発するとも分からん火薬庫のような物でもある)


 そう思いながら、ともかくも庄左衛門が頷くと、川の中のシャクシャインが二人を見た。周囲が騒々しいため、二人の会話が聞こえたというわけでもないのだろうが、二人の雰囲気でそれと察したらしい。


 己にまとわりついていた子供の一人を抱き上げて、そっと川の中へ下ろしてから、


「シサムやシュムクルの奴らが、話して分かるような相手か。だが、まあいい」


 おもむろに川から上がってきて、吐き捨てるような調子で言う言葉と、庄左衛門をちらりと見たきり、ぷいと顔を背ける様子は、


(少年だった頃と少しも変わっていない)


 庄左衛門が覚えている彼の幼い頃と、まるきり変わらない。背丈はいつの間にか庄左衛門を追い越して、アイヌの英雄ポンヤウンペと呼ばれるようになっても、少しは丸くなるかと思われた「和人嫌い」は直らないものらしい。


 そしてシャクシャインには、温厚な部族長の性格もまた、どうしても煮えきらぬものに映ってならぬもののようである。


「貴方の跡継ぎとしての役割は果たす。だが、俺は俺として、いずれオニビシの奴とも決着をつけねばならぬと思っている。それだけは許して欲しい」


 カモクタインに向かって不機嫌そうに言った後、それっきり口をつぐんで再び川べりの方へいってしまった。


(この大地は誰のものか。俺達アイヌのものだ)


 その分厚い背中が、全力でそう言っている。


 シャクシャインの態度に、


「申し訳ない」


 苦笑しながら自分を見るカモクタインへ、庄左衛門は「分かっているのだ」との意味を込めて頷きながら、


「私も、川の様子を拝見させてもらいましょう」


 言って、己と彼の息子がいる川べりへ向かっていった。


「庄左小父。うまく鮭が獲れません」


 庄左衛門の姿を認めて、シャクシャインの息子、カンリリカが早速悔しげに訴える。己の子はと見れば、カンリリカの隣で同じようにモリを構え、何とも器用に鮭の小さいのを何匹も捕えているのだが、


「おやおや、ではこの庄左が手伝いましょう」


「放っておいてくれ。己の食い扶持は己で獲らせねばならん。それではカンリリカのためにならん。俺はそいつと同じ年で家族の分まで鮭を獲っていた」


 たちまち、近くで鮭を獲っていたシャクシャインの声が響く。


(それはそうなのだが、いつもながら厳しいことだ)


 その声を聞いて、庄左衛門は少し苦笑しながら子供たちを見る。シャクシャインが己の子、とりわけ長子であるカンリリカに厳しいのは昔からなのだが、


(それでも、人には得手不得手というものがあろうのに)


 もう少し長い目で見守ってやれば、と、他人事ながら思うのだ。


 子に「己がいなくとも強く育って欲しい」との願いから、シャクシャインがカンリリカに厳しいのは、同じ親として分からないでもない。それにそこには、「次期部族長の子がふがいない」という思いもまた、篭っていたろう。


(俺と同じ年の他の子供は、親に獲ってもらっているではないか。誰もが貴方のように、貴方と同じ年で何でも出来ると思わないで欲しい)


 もう十年以上にわたる付き合いである。自分には、様々な意味で大きすぎる父親の背中を見つめながら、唇を結んで拳を握り締めるカンリリカの心の内が、庄左衛門には手に取るように分かるのだ。


 庄左衛門の子、庄太夫もまた、ハラハラと気を揉んでいるのが分かる。親子でそっと顔を見合わせた後、


「カンリリカ、これあげる」


 シャクシャインの目を盗んで、庄太夫がそっと鮭の一匹をカンリリカへ渡すと、カンリリカは黙ってそれを受け取る。


 それを見て、


(男なら…)


 その鮭をつき返すくらいの矜持が欲しい、と、庄左衛門もまた、微苦笑しながら思わざるを得ない。


(覇気と勇気ある人は、やはり幼い頃からそれが現れるものなのだ)


 思いながら、彼は彼ら親子から少し離れた場所でモリを構えているシャクシャインを見つめた。静内川は、彼とシャクシャインが初めて出会った頃と同じように、赤く色づいた葉を浮かべて流れ続けている。




 彼と庄左衛門がはじめて出会ったのは、シャクシャインがその名をつけられて間もない少年の頃、弓矢を背負いながら、その静内川の岸沿いを歩いていた折である。時期的には、有名な島原の乱が起きる十年ほど前、と言える。名づけたのは部族の長、カモクタインである。その少年には、彼が十歳を二、三年ほど超えるまで名がなかった。


 名が無いのには、特別な理由があるわけではない。アイヌ民族の間では、生まれた子にはすぐに正式な名はつけない代わりに、レヘ・イサム(名無し)、ポンチョ(小さな糞)などという名で呼ぶ。


 これは 病魔や悪い神に連れ去られないようにするためである。それぞれの個性が現れ始める年になるまで、真実の名はつけないという、アイヌの人々独自の習慣なのだ。


 シャクシャインという言葉の意味するところは、「弓を良く扱う者」である。彼の場合、弓に抜群の才能が現れたので、そう名づけられたというわけだ。 


 部族の中で、早いうちから抜群の弓の腕と聡明さを見せていたその少年は、


(また、来ている)


 朝日に輝く静内川にいる和人商人たちを見て、顔をしかめた。商人たちは、真剣な顔をして川の底を攫い、ザルの中の泥ごとすくいあげてはその中をあらため、その泥を無造作に川の中へ放り投げる。


 そのたびに静内川の澄んだ水は泥に濁り、


(砂金か)


 少年は思わず舌打ちしながら思った。


 豊かな自然に恵まれている日高から獲れるのは、海のもの、山のものだけではない。蝦夷アイヌの生活には何の役にも立たない金というものも獲れる。


「それが厄介だ」


 部族のエカシ(長老)、カモクタインが苦笑混じりに言っていたことが、商人たちの姿を見るたびに思い起こされて。


(カムイ・チェプが来られなくなるというのに)


 たまらない気持ちにさせられてしまうことも、少年には腹立たしい。


 そしてアイヌの大人たちが、なぜそのことを面と向かって和人に抗議しないのか、そのことをシャクシャイン少年はもどかしく思っている。かといって、


(俺なんぞが喚きたてたところで、何にもならない)


 ということも、彼にはよく分かっている。アイヌの大人の言い分さえ聞かぬ和人が、その子供である自分のわめきなど聞くわけもない。


 だが、


(それでも何とかしなければ、何とか)


 シャクシャインは、己の母が「初めての狩りのために」と贈ってくれた鹿の皮で作った靴で、ザブザブと水音を立てながら静内川へ入っていった。商人たちのすぐ側に近づいたのだが、元々アイヌのことなど、意識の底にも留めていないのだろう、彼らは少年のほうを見向きもせず、相変わらずザルの中を見つめているのだ。


 少年が歩みを止めたまま、じっとそれ睨んでいると、やがてようやく彼らは顔を上げて、


「アイヌの小童か」


 さも馬鹿にしたようにそう言った。


 和人は概して矮躯である。顔つきからもよい大人であると分かる彼らが立ちあがっても、まだ十四を越えたばかりの少年の頭が、彼らの顎に来るほどにその身体は小さい。


 この頃は和人の往来もいよいよ激しくなってきていたから、彼らの言っている言葉は、少年にも少しは理解できる。


「邪魔だ。どこぞへ去れ」


 彼の姿を見て、「フン」と一つ鼻を鳴らしたきり、シサムたちは再び彼らの作業に没頭し始める。その目の前で、少年は手にしていた弓をきりりと引き絞り、


「お前達こそ、去れ」


 腹の底から出た低い声で、はっきりと言った。


 ほんの少し聞き知っただけの、拙い和人の言葉である。よって、発音もどことなくぎこちない。しかし、毒矢をつがえた弓を持っての威嚇は、十分に効いたらしく、


「さてはお前が、仲間たちを追い払っているというアイヌの餓鬼か」


「アイヌごときが俺たちに刃向かったらどうなるか。お上の法を知らないか」


 半分腰を抜かしつつも、そう言い言い、それでも片手にしっかりとザルを抱えて、その和人たちは水音を立てて駆け去っていった。その後姿が見えなくなるまで、少年は弓を引き絞り続けていたのだ。


 江戸時代と呼ばれる時代に入っても、アイヌの人々は未だに、狩猟その他において弓矢を用いていた。主にシケカムイ(荷物を負った神)と呼ばれる熊を仕留めるためだが、その鏃に塗る毒は、トリカブトが一般的である。この根を乾かしてすりつぶし、粉にしたものへミズスマシ、毒グモや蜂の毒針を一緒に入れたりもする。


 川に停めてある船の一艘に、先ほどの和人たちが乗り込むのを、刺す様な目つきで睨みながら、シャクシャインはようやく構えていた弓を降ろした。


(人を憎んではいけない)


 憎悪の感情を静めるように、その鏃の先端を軽く舌に乗せ、毒の具合を確かめる。


 すると、今、頬を吹いている風と同じような、ぴりっとする感覚が舌先を襲う。アイヌ民族は通常、この感覚の大小で、毒の効き目の強さを量るのである。他には、己の指先を傷つけて毒を塗り、その痺れ具合で毒の強弱や効き目の早い遅いを確かめるという方法もある。矢に塗るだけではなくて、槍の先にも塗る。仕留めた獲物は、矢が当たって毒人に冒された場所を切り取り、その部分を毒のスルクカムイへ捧げる。


 指先が痺れてその感覚がなくなるほどでなければ、少年が大きな熊を仕留めるのは難しい。熊は大概、カムイ・チセという意味の神の家、つまり熊の穴の中にいるわけで、その熊を仕留めるためにシャクシャインはシベチャリ川を遡っていたのだが、


(その気が失せた)


 商人たちが船でこぎ去った後、その方角から慌てたように走ってくる他のアイヌ部族の姿を見て、矢を背負っている矢筒にしまい、舌打ちをした。


 こちらへ近づいてくるのは、対立部族の西方アイヌ、シュムクル(西方に住む人間)である。アイヌの部族の間には、和人のように詳細な領土の取り決めがあるわけではない。考え方や微妙な生活習慣の違いによって「なんとなく」住み分け、なんとなくコタンと呼ばれる五、六の家族が集まって生活していた。


 その家は『蝦夷嶋奇観』の図によると、木を組み、藁で外壁を覆って、窓が一つ二つという小屋の側に、神を祭る幣棚ヌサダナを設けた何とも素朴な外観を持つ。その小集団を一つの単位とし、近くの地域ごとにまとめて部族とする。


 蝦夷にはそのような部族が合計六つあった。すなわち南樺太の東海岸に東エンジウ、樺太西海岸と余市、枝幸、網走方面には西エンジウ、道南と呼ばれる地方にシュムクル、現札幌市を流れる石狩川の上流付近にベニウンクル、道東から日高にかけてはメナシクル、室蘭から静内にかけてのサムンクル、といった具合である。


 このうち、特に勢力を誇っていたのがシュムクルと、シャクシャインの属するメナシクルだった。


 メナシクルが認められているのは、弓の腕前だけではない。蝦夷地で一、二を争う勢力と生活圏を誇り、アイヌからの支持も絶大である。何よりも、


(俺達は、シュムクルたちとは違って、これまでの富と力を俺達だけの力で築いた)


 という自負が脈々と受け継がれているのだ。


 対してシュムクルと呼ばれる部族はシベチャリ川の上流を拠点とするチャシ(砦)に住んでいる。川の漁業圏や日高山脈における狩猟圏を巡って、シャクシャインの部族、メナシクルとの対立が絶えない。


 これはメナシクル部族長、カモクタインのさらにその父の代から続いていたというのだから、両者の間の溝は相当深かったと見るべきだろう。だから、アットゥシアミブ(樹皮を剥いで作った衣)に施された、部族独特の刺繍の文様を見なくても、彼らがシュムクルの者達であることがすぐに分かる。


 加えてシュムクルは、どちらかというと和人寄りである。和人のことを己の生活を脅かすアイヌ共通の敵として嫌っているくせに、和人がもたらす美しい漆器や鉄はありがたがっていた。砂金掘りの和人を相談役につけているとも聞く。


 そういった相談役がいないと、もはやアイヌ達の生活は成り立たないのだ。実際メナシクルにも、長カモクタインの相談役として鷹侍と呼ばれる和人が三人ほど、ついているのである。先述の、越後の庄左衛門や最上の助之丞もその一人で、


(まるきり奴隷ではないか。大地と共に生きる民族としての誇りは無いのか)


 少年は思って、再び舌打ちをした。庄左衛門や助之丞自身は決して嫌いではないのだが、やはり和人は和人である。


 相談役もさることながら、それにも増してシュムクルアイヌの態度が、シャクシャインには気に食わぬ。和人が川上で砂金を掘ることを許し、鮭の産卵を妨げている上に、そうすることによって和人つまり松前藩との取引で、なんらかの「お目こぼし」を受けていることも知っているからだ。


 例えば、松前藩が公然と「アイヌの民との交易には松前藩の許しがいちいちに要る」と宣言する前までは、干鮭百本に対してコメ一俵、という具合であったのが、交換されるコメのほうが次第に減っていき、今では半俵くらいしかない。おまけにその一俵も、表面上では四斗となっていたが、実際のところは交易当初から二斗であった。しかし、形の上だけでも松前藩を頂いているシュムクルには、そのような目に見えるほどの減らされ方がない、という噂があった。


 あくまで噂である。シャクシャイン自身もその目で確かめたわけではない。しかし、少年独特の正義感と早とちりがあいまって、


(アイツらは和人に媚びている)


 今では彼は、すっかりそう思いこんでしまっていた。


 松前藩側は、このことを固く秘し、外部に漏れていることはないと思っていたらしい。その証拠に、幕府への報告で、草の間忍びの親分である竹沢伊織之助が記した「草の間席調書控」を使ったが、この報告の中で、


「アイヌの酋長たちは皆、松前藩の仕置きに満足して、その威令に従っている。藩の制度に従って部族の後継者を決めている」


 としている。


 しかし江戸幕府のほうでは、津軽隠密であるところの秋元六左衛門を派遣して、


「鮭を乱獲したことに対して抗議したアイヌに、松前藩の役人が酷い暴力を振るった」


「アイヌたちが松前藩の言うように物を差し出さないと、その女房や子供を奪われている」


 などという事実を早くから掴んでいたのだ。


 六左衛門は、漂流を装ってなんと蝦夷は積丹半島の奥地まで入り込み、その酋長たちからこれらの話を直に聞いた。従って、弘前藩の家老、杉山吉成も「友人」であるところの越後庄左衛門と同等か、それ以上に詳しく蝦夷内部の実情を知っていたのである。

 

 このままでは、きっといつかアイヌ達の不満が爆発する、と予見する幕府中枢の人間もいたであろう。だが、それが長い間放置されていたのは、何分にも遠隔地であるし、かの有名な大阪冬の陣、夏の陣、さらにそれから二十年後に勃発した島原の乱の処置にてんてこまいで、北の果てまで手が回らなかった、というせいもあったに違いない。


 それに万が一……可能性は限りなくゼロに近いが……松前藩が幕府に対して謀反などを企んだ場合、


「アイヌの反乱を許した。蝦夷の仕置きが出来ていない」


 ということで、幕府にとっては松前藩を「お取り潰し」にする、格好の口実にも出来る。


 どちらにしろ、そのようなことは素朴なアイヌの人々には預かり知らぬこととて、


(和人のせいで俺達の生活が苦しいならば、和人を追い払えば良いではないか)


 大半のアイヌの人が不可能だと悟り、思っても口にせぬことだが、シャクシャイン自身も単純にそう考えていた。

生活圏における種々の争いも、いわば縄張り争いのようなものだ。和人が絡んでこなければ、これほどまでにややこしくはならなかったかもしれないのだ。


 さて、少年に近づいてきた数人のアイヌの大人は、シャクシャインを燃えるような目で睨みつけ、


「小僧、またお前か。我らに断りもなく川に入り、我らの相談役につながるシサムを傷つけるとは、一体何事だ」


 怒鳴った。


(後からやってきて、シベチャリ上流に勝手に住み着いたくせに)


 シャクシャインは思いながら、そのアイヌ達をじっと見つめ返した。大人ばかりだと思っていたその中には、何度か彼が対峙したことのある、


(オニビシめ)


 彼より二、三ばかり年上の大柄な少年も混じっていて、シャクシャインを馬鹿にしたような目で見下ろしている。

オニビシは、シュムクルの次期酋長に一番近い者であるらしい。シベチャリの守護神を気取っているらしく、一日に二回、朝晩必ず槍を手にして川を徘徊しては、川のものを採りにきたメナシクルアイヌを追い払っていると聞いているため、


「傷つけてなどいない。それにこの川はお前達のものでも、シサムのものでもない。この川にあるものは、俺達メナシクルに川の神と鮭の神が下さったものだ。川を汚すことは、神を汚すことだ」


 憎しみを込めてシャクシャインが言い返すと、いきなり拳が飛んできた。


 少年がこんな風に殴られるのは、先ほどの商人たちの言葉にもあったように、実はこれが初めてではない。


 シュムクルアイヌの者達と最初にこのような諍いを起こしたのは、彼が周囲の大人の目を盗んで静内川上流の鮭を採りに行った三年ほど前のことである。その時にも彼は、シュムクルアイヌの大人―その折は一人だったが―に背を蹴られながら、彼の背丈の半分ほどある鮭を両手でぐっと抱き締めて離さなかったものだ。


 当然ながら、さすがに和人よりも体躯の大きいアイヌの大人だと、腕の長さも違う。オニビシが繰り出した拳を避け切れずに、つい左の頬に受けてしまい、転倒した少年を取り巻いて、


「お前はこの間もそう言って、鶴を獲った我ら部族の物をその弓矢で撃ち殺した。我らは川上のチャシからちゃんと見ていた。生意気な餓鬼め」


 シュムクルアイヌが言うように、二度目の諍いは、メナシクル部族の生活圏へ入って鶴を取ろうとしたシュムクルアイヌを、シャクシャインがその弓で射殺したことで起こった。その折も、共にやってきていたもう一人に散々に蹴られ殴られているから、これで三度目である。


 普通の少年ならさすがに懲りて、立ち向かう勇気など萎えそうなものなのに、


「お前達が俺達の領地を侵すからだ! 俺は群盗を追い払っただけだ」


 大人たちの足の下から、なおも少年は叫ぶのだ。


 するとその叫びで、より一層血が上ったらしい。


「俺達が川上に住んでいるからといって馬鹿にするな」


「川下のお前らばかりがカムイ・チェプを獲るものだから、我らのところにまで川の神が来られない。鶴の一羽や二羽で騒ぐな。不公平だ」


 オニビシを含むシュムクルアイヌたちは、口々にそんなことを言い合いながら、まだ成長途上にある幼い身体を蹴ったり殴ったりし始めた。もともと前記の理由で争いの絶えない部族同士だったから、自分たちが傷つけている相手が子供であるということを、つい忘れてしまっているのだ。


 しかし、どんなに蹴られ殴られても、シャクシャインはうめき声一つ上げなかった。生きとし生きている、あらゆる物に共通の弱点である腹を庇うように身体を丸め、大人たちの暴行に耐えているうち、


「シャクシャインを助けろ」


 その声が川の向こう岸からしたかと思うと、どっとばかりに矢が降り注ぐ。


 するとシャクシャインを取り巻いていたシュムクルアイヌたちは、オニビシに促されて悔しげな顔をし、彼を打ち捨てて駆け去っていった。弓の腕では、蝦夷一を誇るメナシクル部族に勝てるわけがないのである。


 彼らが駆け去るのと入れ替わりに、メナシクル相談役の一人である越後の庄左衛門がやってきて、シャクシャイン少年を抱き起こす。


「商場からの帰りに、貴方を見かけたのだ」


 当時は彼も、少年よりも十数歳ばかり年上の、まだまだ若い商人だった。使い慣れぬたどたどしいアイヌ語で言って、


「お体に大事無いか」


 さらに労わってくれるのだが、


「お前には関係のないことだ」


 シャクシャインはぷいと顔を背けた。


(和人ごときに助けられた…)


 庄左衛門は、他の和人とはどこか違う。先ほどの言葉も同情ではなく、真心から発しているのだ。しかしそのことを感じ取っていても、こんな時にはやはり、アイヌとしての矜持が傷つけられた感情のほうが強く出てしまう。


 さらに庄左衛門は、自ら積極的にアイヌ語を習得しようと努め、それを実際にアイヌとの交流に使っている。そのことから分かるように、アイヌとの交易のためだけに言語を使用する他の和人商人とは、また違う意味で勤勉なのだ。メナシクルへやってきてからもうけた息子へも、アイヌと和人の生活慣習を分け隔てなく教えている。


 従って、メナシクル部族のアイヌ達も、


「彼は他のシサム商人とは違う」


 最近では彼へかなりの親しみを抱くようになっていた。


 当たり前のことだが、異文化を理解しようと思えば、まずその言葉から理解せねばならない。庄左衛門は、


「憎たらしい和人が使う言葉など、覚える必要はない。全ては我らの神が護ってくれる」


 と、頑なに異文化の理解を拒むアイヌの人々とも誠実に接しようとしていたし、それが同情から来るものではないことが分かるだけに、


(ひょっとすると、俺達よりも余程優秀なのではないか…)


 少年には余計に癪に障るらしい。


 さて、いつも温厚な笑みを浮かべている長、カモクタインは、部族の者に担がれてコタンへ戻ってきた少年を見て顔をしかめた。さすがに三度目ともなると、その表情も険しさを増している。


「庄左衛門殿にきちんと礼を言ったか」


 他の者から事情を聞いたらしく、詰問する声も厳しい。


(また長ったらしい説教をされる)


 シャクシャインは痛さを堪えて、(優柔不断な…)と自分勝手に思っているこの部族長を見上げた。


 彼の父は、彼が幼い頃に既にシケカムイ(熊)を仕留め損ねて亡くなっている。その後はカモクタインが彼の父代わりになってくれた。少年の目から見ると、少し頼りないほどに温厚で、決断するのに時間がかかりすぎる部族長ではあるが、


「俺はお前に期待している」


 二度目までの説諭と違って、カモクタインはまずそう切り出した。

 

 もとより、シャクシャインのほうも第二の父として彼を慕っている。その上にそんな風に言われると、自分の心の中に少し突き出た、少年時代独特の反抗の芽はすぐに治まってしまう。中年を過ぎてやっと出来た自身の息子よりも、シャクシャインのほうへより強い愛を注いでいるのが、先ほどの言葉でもはっきりと分かるのだ。


 さて、その覇気ある少年を、長のカモクタインはじっと見下ろして、


「何度も言うが、あまり西方の者といざこざを起こすな。それでなくても和人の国から、キリシタンという、よその国の神を信じる者達も流れ込んできているのだ。我々の暮らしは、いよいよどう転ぶか分からなくなっている。そうですな」


 と、傍らに神妙に控えている鷹待を振り向いて言った。


 実際、この頃松前藩に潜入して、知内川上流一帯に滞在したカルワーリョ神父は、当時のアイヌと松前藩との交易の模様を、


「毎年三百隻以上の大船が松前に集まり、知行所ではラッコの毛皮や鮭、ニシンなどが取引される。蝦夷に渡った砂金堀の数は一六一九年には五万人…」


 などと記している。かの神父が蝦夷に滞在できたのは、慶長十九(一六一四)年に発布された幕府の禁教令を軽視して、松前藩がキリシタンの活動を認めていたためである。


 神父が記載していたように、渡島の大千軒岳で、金山が発見されたことは先に述べた。この金山目当てに青森や盛岡などから出稼ぎのため、多量の和人がやってきている。ちょっとしたゴールドラッシュ、といったところであろう。金だけでなく、珍しい獣の皮や鷹狩りに重宝される鷹が蝦夷で獲れるということが分かってからは、庄左衛門のような「鷹待」と呼ばれる商人も、大量にやってきた。


 キリシタンのほうはといえば、いよいよ厳しくなってきた異教弾圧の手を逃れるためにやってきたのである。大千軒岳の番人小屋には、現在も白く大きな十字架が残されている。朝な夕な、これを拝みながら神の恵みを願ったのであろうか。


 神の恵みを祈る、といった点では、アイヌの人々も同じである。ただ、その神というのは彼らの生活に直接関わるありとあらゆるものであり、人々と対等の立場である、という点で大きく異なっていた。


 アイヌの人々にとって、自分たちの役に立つもの全てが神なのである。その神を大事にして木幣イナウまで捧げ、祈ったのだから、願いを叶えてもらうのは当然のことであり、もしもその願いが聞き届けられなかった場合、人々は、


「ここまで貴方を大事にし、捧げものまでして祈ったのに、どうして貴方はその役割を果たそうとしないのか」


 と、罵る権利さえ持っていた。ちなみにイナウは、本州にある神社において、一般的に見られる御幣に良く似た形をしている。


 顔の下半分を濃い髭で覆い、そのイナウを納めた幣棚を背にして立っているカモクタインは、その温厚な風貌どおり、部族の者どもを怒鳴りつけるといったことをあまりしない。よってこの時も、昨年、父を亡くしたばかりのこの少年へ向かって、じっくりと諭したわけだが、


(これはやはり俺の跡継ぎだ)


「お前は聡い。カムイから与えられた命を大事にせよ」


 部族の中で誰よりも弓が上手く、勇気がある上に頭も良いシャクシャインを、心の中では認めているのだ。


 長の言葉に、シャクシャインはまだまだ幼さの残る紅い頬を膨らませながら、不承不承頷く。少年のほうも、長が己に注ぐ期待と慈愛の眼差しを感じているし、


(キリシタンとやらもやってくるのか)


 カモクタインが和人から得た情報を元に下す冷静な判断を、彼なりに尊敬してもいた。しかし、それを認めてしまうのが何となく癪で、


「何度も言うが、庄左衛門殿にも礼を言っておけ。分かったのか?」


「分かっている」

 

 問われて、すぐにぷいと顔を背けてしまうのだが。


 さて、傷ついたシャクシャインが自分の家に運ばれると、彼の母親が慌てて出迎える。その際にも、傷口にはアイヌの人々が長年の経験から得た知識で作った薬が塗られる。例えばこの時シャクシャインが受けた打撲傷には、オオバコの葉を焙ったものを張る。傷にはハスの葉を揉んでつける、といった具合だ。


 母一人子一人で暮らしている家の中に入ると、そこはやはり少年らしく、どっと気が緩んだ。


 気が緩むと、今頃になって殴られた痕が痛み出す。薬に浸された冷たい葉が傷に沁みるたび、堪えきれずにうめき声を上げながら、


(シサムをこの蝦夷から全て追い出さなければ、俺達の未来はない)


 まだ少年であったにも関わらず、シャクシャインの考えていたことは、まことに凄まじい。


 この点、和人たちや隣人のシュムクルと、上辺だけではあっても何とか折り合いを見出し、あくまで波風立たぬように付き合おうとする現長、カモクタインとは一線を画している。


 シャクシャインの考えによれば、和人に「媚びている」のは、シュムクルだけではない。青森に近い内浦湾西岸部に居住している、アイコウシ率いる部族もそうである。


(アイツらは、当てには出来ない)


 同じアイヌであっても青森に近い、つまり松前藩に距離的にも近く、従って和人を積極的に受け入れている、というよりも受け入れざるを得ない部族であるから、いざとなると確かに当てには出来ない。


 床に転がっても、傷が疼くせいと、発熱のせいで良く眠れぬ。目を閉じたまま横になっていると、イソ・アニ・カムイまたはクンネレキカムイとも呼ばれる縞梟が、家のすぐ近くの森で鳴いているのが聞こえてきて、さらにはそれを聞いたアイヌの大人たちが「何かが来ているに違いない」と興奮しながら言いつつ、森へ向かう気配がする。梟が鳴いている方角に、鹿か熊が来たのかもしれない。


 熱でぼうっとした頭でそのざわめきを聞きながら、


(なぜ負ける。和人と俺達との力の差は何だというのだ)


 少年は考え続けた。


 シャクシャインも、件のコシャマインの戦いぶりと、その最期について散々に聞かされている。当時の敵側の和人で蠣崎氏の祖である武田信廣が、わざと怯えるフリをして森の中へ逃げ、それを追ったコシャマイン父子が、待ち構えていた軍勢に弓で撃たれて死んだことも聞いた。


 しかしそれでも、


(一時は和人を追い詰めたことさえあるのだ。要は戦い方だ。コシャマインは、卑怯な騙し討ちで死んだのだ。和人に騙されてはいけない。いつかきっとまた、和人と戦うときが来る。和人の言うことを鵜呑みにしてはならない)


 シャクシャインは「その時」に備えて、ただそのことばかりを考え続けていた。弓の鍛錬を怠らなかったのも、そのためである。


 アイヌが住んでいた場所から和人を追い出す、ただその一点のみを念頭において、彼は少年時代を過ごした。まことに凄まじい精神力の持ち主であるとしか言いようがない。


 そしてそのためには、彼の部族だけではなくて、


(蝦夷全域のアイヌが立ち上がらねばならない)


 とも、聡い彼は考えていた。


 となれば当然、隣の西方人と争っている場合ではなく、一日も早く仲直りをして団結力を深めるのが不可欠なのだが、事が人間の基本生活に関わる問題であるだけに、どちらも譲ろうとしないのだ。


 静内川、新冠川の流れる日高は、蝦夷の中でも比較的温暖な地域である。彼らが食糧のひとつにしている鹿やその他動物も、雪を避けてこの地方へやってくる。だから、その争いは他の地域に住むアイヌ同士のものよりも激しかったのだ。シュムクルが「よそからやってきた川上人ペナンペ」といって、川下人パナンペであるメナシクルに無条件に嫌われていた、ということも一因であったかもしれない。


 アイヌに伝わる民話の中でも、ほぼ全ての場合、川上人が悪者なのだ。なぜかというと、蝦夷地では一般に川上は他国から流れてきた群盗が住んだ所とされており、その群盗が、時折人里に下りてきては悪さを働いたからだという。


(俺は強くならねばならない。強くなって、アイヌを守る)


 そればかりを考えながら、シャクシャインがたくましい若者に成長したある年、彼らが見たこともない病が流行った。


 病に冒されたアイヌたちの皮膚に出来た小さな斑点は、やがて膨れ上がって破れては膿を出す。熱が下がらず、苦しげな呼吸を繰り返した挙句に死んでしまう。メナシクルでも部族の三分の一ほどのアイヌが亡くなった時、


「病人に触れるな、近寄るな。死ぬぞ。バイカイ・カムイ(疱瘡神)がやってきたのだ。皆、シベチャリ(静内川)の奥へ逃れろ」


 カモクタインが珍しく、厳しい口調で命じた。和人の暦で寛永元年、夏のことであると記されている。


 静内川の奥には、こういった流行り病を逃れるための避難所のようなものが作られていた。カモクタインは、この病が蝦夷地でも約一五〇年ほどまえに流行った疱瘡であることを、庄左衛門らから聞き知ったのだ。一五〇年ほど前というと、あのコシャマインが和人と戦った頃であるが、この病はその折にも流行している。今回同様、和人感染者と接触したためにもたらされたのであろうか。


 一度流行ったことがあると言っても、いかんせん古い記憶であるし、例によって文字で記録に残すこともされなかったため、治療の手立ても伝えられていない。よって治療も後手に回ってしまい、病の種類に気付いた時には、


「村の人間が次々に疱瘡神に連れて行かれる」


 といった具合になってしまったというわけである。


 シャクシャインの家でも、母親が感染した。しかし、母親の感染が明らかになっても、


「俺はここにいる」


 ようやく二十歳になったかならないか、という年だったシャクシャインは、苦しむ母親の寝床の側から動こうとしなかった。先に述べたように母一人子一人の家族であったから、


「俺は母の側にいる。俺は疱瘡神などには負けない」


 言い張って、彼は母親が亡くなるまで見守り続けたのだ。


 アイヌの人々は通常、流行り病に冒された病人が出た家は、病人を残してその小屋の門や窓を全て閉じ、神が護る場所、つまり山奥などに作られた避難所へ逃れた後、病の神を追い払う儀式をする。つまり、聞こえは悪いが、治療法がないのでやむなく見殺しにする、という方法しかないのだ。


 しかしシャクシャインは「死ぬぞ」と言われながらも母の側に居続けて、彼女を自らの手で葬った。


 アイヌの習慣にのっとって、閉じられた本来の戸口の側の壁を破り、足のほうから遺体を運び出す。ニワトコの木をT字型に交差した物が墓標である。


「無事であったか」


 やがてようやく病が収束したと思えた秋になって、部族の者を引き連れたカモクタインがメナシクルの砦に戻ってきた。病魔に冒された小屋を取り壊し、自分で新しいものを建てているシャクシャインへ、


(疱瘡神に打ち勝ったか。さすがは)


 思いながら、


「シュムクルでも、長が死んだらしい。後を襲った者はオニビシだ」


 カモクタインが声をかけると、


「オニビシか」


 シャクシャインはその名を呟きながら頷く。


「お前も知っているだろうが、オニビシは、前の長よりも激しい性格をしている」


 母を失った彼ヘ慰めの言葉を一切かけることなく、カモクタインはわざとそんなことを言った。悲しんでばかりはいられないぞ、と発破をかけたのだ。


「そのためにも嫁を迎えろ。子を成せ。お前は俺の跡継ぎなのだぞ」


 言われて、シャクシャインは再び頷いた。疱瘡神によって奪われた命は、また新しく生み出さなければならぬ。それが人間としての勤めでもある。


 そしてシャクシャインが新しい家を建てて妻を娶り、子を成し始めたのとほぼ同時期に、メナシクル相談役が、オニビシがシュムクルの部族長になったとの話をもたらしたのが、それから半年後の冬のこと。


 そのことをカモクタインの側で聞いていて、


(オニビシの奴が)


 シャクシャインは舌打ちしたい気持ちで思ったものだ。


(まことに厄介な奴が相手になったものだ)


 オニビシ自身だけではなくて、その姉も彼に劣らず激しい性格をしていると聞く。シャクシャインが実際に会ったことはもちろんないが、彼女は同部族のウタフという男を婿にする前の少女時代、男と同じように弓を手にして、シュムクルが勢力を張る新冠川の周囲を駆け巡っていたというのだ。ゆえに、もしもそれで男であったら、ひょっとするとオニビシよりも好戦的であろうし、悪くするとメナシクルへも攻め入ってきたかもしれぬ。


 近頃は静内川ばかりでなく、そこかしこで毎日のように和人の姿が目に付く。それがたまさか、メナシクル部族の者へ危害を加えようとさえするのを追い払い、威嚇しながらの狩りは、大変にくたびれる。一日駆け回ってようやく得た一頭の鹿を部族の者で分配し、家へ帰りながら、シャクシャインは大きくため息を着いた。


 戸口にかかっている筵を払って中に入ると、燃えている火の暖かさに強張っている肌と心がふと解ける。炉辺の側で袖口に刺繍をしていた妻は、彼を見上げて微笑んだ。


 アイヌの慣習で、妻は口の周りに小さな刺青を彫っている。その小さな口元を見ていると、彼のいかつい唇にも笑みが浮かぶ。歓声を上げながら彼にまといついてくる長男、カンリリカや、そのすぐ後に出来た娘の頭を撫でながら、


(奴と一対一なら、決して負けることはないのだが)


 シャクシャインは妻の傍らへどっかりと腰を下ろした。途端に、期せずして大きなため息が漏れる。


 燃える火を無意識に見つめながら腕組みをし、彼は考えた。


(俺に出来るか。厳しい)


 西の隣人と戦わずにいられることが、である。彼の妻もまた、似たもの夫婦というのか、大変に気が強い。夫に向かって常々、


「貴方が戦に出た後は私が守る。もしも貴方が倒れたなら、貴方の後を私が継いで戦いもしよう」


 と言っているのだ。


 実際、オニビシがシュムクルの長になった直後といっていい時から、両部族間での生活手段を巡る争いは、さらに激しさを増した。それでも生活に関わる問題だけであったなら、シャクシャインもあるいは早くから手を結ぼうと思ったかもしれない。


(まことに、不毛な戦い……早くアイヌの民を一つにせねばならん。和人の流入をこれ以上許してはならん)


 シャクシャインがそう思い、実は心の中で焦っているように、アイヌの人々が部族どうしで争っている間にも年月は流れていく。和人の流入もまた、ますます目に余るようになっていく。それと比例して、


「出かける」


 狩りが終わった後、シャクシャインが蝦夷東方へ出ていくことが多くなっていた。昼夜を厭わず、である。


 そんな春の一日、


「これからまた、何処ぞへお出かけか。今日はまた、どこぞのカムイをお迎えする祭りの日ではなかったですか」


 松前藩の使いとして、弘前藩へ行っていた庄左衛門や助之丞が苦笑しながら声をかけると、彼よりも一回り以上背丈も肩幅も大きくなったシャクシャインは、この鷹待をちらりと見たきり、無言で大股に歩き去って行く。


「気をつけて行かれよ」


 庄左衛門は、その広い背中に再び声をかけながら、


「疱瘡がようやく収束したばかりだというのに、大したものだ」


「まったく」


 同行していた助之丞と顔を見合わせて頷きあったものだ。


 松前藩も、一応は法令を出してアイヌの人々の生活権を守るとは言っている。だが、当然ながら現場において、そんな法令などは守られておらず、


(彼は、そんなアイヌの人々を守っているのだ)


 見渡す限りの草原を、太陽は照らす。その光に照らされながら小さくなっていくシャクシャインの後姿を見て、感嘆せずにはいられない。


 もちろん、庄左衛門や助之丞もまた、商場においてメナシクルコタンに少しでも有利になるような取引を心がけているし、釧路や十勝の和人商人の中にも、二人と同じようにアイヌの人々に同情的な人間はいる。しかし、


(アイヌの人々が最終的に頼るのは、当たり前だが同じアイヌだろう。疱瘡神に打ち勝ち、アイヌの人々を不当に扱う和人から、アイヌの人々の生活を守り……俺には出来ない)


 加えてアイヌの人々の中でも、見上げるような背丈とたくましい体躯をしている彼が、アイヌ伝承の中でのポンヤウンペと称されるのも、当然のことと思える。和人に逆らうことをあまりしない、おとなしい羊の群れのような人々の中にあって、シャクシャインの行動は確かに際立って見えるのだ。


 もっとも庄左衛門は冷静に、


(だが、ただ際立って見えるだけのことだ)


(その英雄性は、アイヌの人々に限ってのみ発揮されるものだ)


 右のようにも思っている。


 この列島中を巻き込むような戦が起こらぬ太平の世なればこそ、そして、


「立場の弱いアイヌが、臆することなく和人に抵抗する」


 といった、和人から見れば……傲慢以外の何者でもないが……考えられぬ状況であるからこそ、そういった「ちっぽけな」ことも、大いに喧伝されるのだ。戦国時代であれば、問題にもされぬ行為に入るだろう。


「……鮭は少なくなりましたな」


「そうですな」


 やがて、どちらが先にというわけでもなく、メナシクルの砦がある静内川へ向かって歩き出しながら、二人はぽつりぽつりと話し始めた。


「庄太夫は、貴方の後を継ぐと言っていますが……いや、よく出来た息子さんで、まことにお羨ましい」


 助之丞が言うのへ、


「ははは、まだまだモノにならぬヒヨッ子でございますよ」


 庄左衛門は「お前もじっくりとこの現場を見ておけ」と、日高の商場に残してきた若い息子を思い浮かべて、照れた。


「私も最上に残してきた息子に声をかけているのだが、蝦夷へ来るのはどうしても嫌だと言い張りましてな」


「ははは……いやさ、蝦夷に来るまでは、誰もがそう申すもの。ここは、まことに良いところだ」


「左様、まことに左様。この景色を見ていると、こちらの心まで大きくなるような」


 そこで二人は、日高山脈を見上げて大きく息を吸い込んだ。彼らの後ろでは、配下の者たちが荷車を引いている。それには、今日の取引で得た物資が積まれているのだ。


 ちらりとそれを振り返りながら、


「だが、庄太夫が一人前になるまで、果たして鮭の数が変わらずにあるものやら」


「……ふむ」


 しかし、二人の表情はすぐ、少し暗く変わる。


 それきり、しばらく無言で歩き続けていると、水面が見えてきた。静内川は、人の営みなどそ知らぬ顔で、今日もゆったりと流れ続ける。岸辺に沿って少し上流へ進むと、川の神に向かって祈りをささげるカモクタインの声が聞こえてきた。しばらくして、子供たちが戯れる声も聞こえてきて、


(月日の経つのは早いものだ)


 疱瘡の流行のため、その数は減ってしまったが、やはり元気の良い子供たちの姿を見ていると心が和む。荷車を見ながら、


「神にささげる供物、間に合いましたようで」


「ははは、そのようですな」


 商人二人は顔を見合わせ、思わず口元を緩めた。


 その時、


「シベチャリに泥が!」


 突然、流れの中ほどにいた人々が騒ぎ始めた。彼らが釣られてそちらを見ると、いつ戻ってきたのか、シャクシャインもまた、ザブザブと派手に水音を立てながらその場所へ向かっているところで、


(なんと、これは)


 庄左衛門と助之丞が立っているところからも、向こう岸に近いその場所が、泥に汚されているのが分かる。いつもは遠くからでも底まで見える澄んだ静内川に、汚らしい泥にまみれた水があとからあとから流れてくるのだ。


 泥の中には、日差しを受けてキラリと光る金色のものも見えて、


「長、ただいま戻りましたが……これは一体」


「砂金ですな」


 庄左衛門らに気づいて、その側までやってきたカモクタインは、呻くように言った。


 和人の砂金採取は、今に始まったことではないし、カモクタインも相談役である庄左衛門らから、松前藩が近々砂金採取に本腰を入れるだろうことを聞いていた。しかし、松前藩のやり方が、これほどまでに徹底したものであるとは予測できなかったのだ。


「シサムの近江商人め」


 汚泥は上流から絶え間なく流れ込んでは、澄んだ川面を汚す。その様子を見つめながら、さすがにカモクタインも苦々しげにそう吐き出した。


 かつて松前初代藩主慶広が、田付と建部、二人の近江商人を招いたことは先に述べた。その二人が経営している両浜組は、自分たちだけではなくて、知り合いの近江商人、例えば井筒屋の大橋久右衛門や近江屋の西川市左衛門その他を呼び寄せて、さらにその足元を固めて、ちょっとした「蝦夷の商人王国」のようなものを築き上げつつある。


 それから二十数年が過ぎたこの頃になると、彼らはアイヌとの交易全般だけでなく、金貸し業をも請け負っていた。従って藩へ献上する商売税であるところの運上金は、初代慶広の頃と比べると、格段に多くなっているはずなのだ。


 一般商人には、藩の財政事情は固く秘されて知らされる由もない。しかし、


(このようにしつこく砂金を掘りに来るということは、実は松前藩の内実がかなり苦しいということに他ならないのではないか)


 庄左衛門がその考えを訴えようと、カモクタインを見て口を開きかけると、川の様子を黙って見ていた部族長は、村のほうへ踵を返した。


「荷はいつものように、手前どもで解いておきます」


 庄左衛門がかけた声に、カモクタインは背中を向けたまま頷く。


「長、どうするのだ」


 その後を追いながら、川から上がってきたシャクシャインが問いかけた。それへ、 


「オニビシの奴についているのは、砂金堀だったな」


 カモクタインは、まるでとんちんかんな答えを返した。


 砂金堀は、鷹待ちとはまた違う性質のシサム商人である。和人の中でも特にあくどく利益を追求すると、和人武士にでさえ、心の中では最も毛嫌いされていた種類の近江商人だったらしい。


「文四郎、という名のシサムだそうだ」


 彼ら二人を心配そうに見送る庄左衛門らをちらりと振り返り、シャクシャインが答えると、


「うん」


 カモクタインも頷いて同様に振り返った後、


「俺も、庄左衛門殿らから聞いた。松前藩が、シベチャリの上流の砂金堀を保護するために、オニビシの奴を川の監視につかせたそうだ。事前に知ってはいても、事実をこの目で確かめるのは辛いものだな」


 言った。老いた白髪を秋の風に吹かせながら、皺だらけの顔をさらに歪める。今回ばかりは、この温厚な部族長もさすがに腹に据えかねたらしい。


「砂金を無断で採りに来る輩を取り締まるためばかりではあるまい。我々への牽制の意味もあろうよ」


「ああ、そうだな」


 シャクシャインが力強く頷き返すと、カモクタインは立ち止まって少し考え込んだ。


(いよいよ長も蜂起を呼びかけるか)


 彼が期待しながらその様子を見守っていると、


「…今はまだ堪えよ」


 やがて顔を上げたカモクタインは、決然と告げる。


「長」


「この調子で行けば、いずれ砂金などというただの砂粒は無くなる。そうすればオニビシだとて用済みだ。争わぬに越したことはない。そうなればシベチャリも元の澄んだ水を取り戻す。カムイ・チェプも戻ってくる」


「しかし」


「前の部族長だった父を殺されたのは俺だ。お前ではない。部族の奴らは色々言っているが、お前も、俺がまるきり堪えていないと思っているのか。憎しみは何も生まない。出来ることなら俺は、俺の代でアイヌ同士が戦う、この不毛な状態を終わりにしたいのだ。だが時は限られている。それが悔しい」


 言い募ろうとしたシャクシャインを、意外に強いカモクタインの言葉が抑えた。


「綺麗事と言わば言え。俺の父を殺したのはシュムクルの奴らではない。その後ろにいる和人シサムだ。お前だから明かすが、和人の侵入が父を殺したのだと俺は思っている」


(確かにそれは道理だ)


 黙ってしまったシャクシャインを見て、カモクタインは少し言葉を和らげ、


「アイヌ同士で争うと、我らの力はますます消耗する。そのことで喜ぶのは松前藩だけだろう。ここは堪えて北と東へ勢力を伸ばせ」


「北と東へ?」


「そうだ。俺たちのように、松前藩からなるだけ遠いところにいるアイヌと、もっと親交を深くしておく。これまでも、東の食糧危機の折には鮭を届けたり、北で和人の理不尽な仕打ちを受けるコタンへ我が部族の者を派遣したり……お前のように表立ってはやらなかったが、な」


(知っていたのか)


 思いながら、


「なぜだ」


 シャクシャインがそこで改めて問うと、


(いつの間にか俺よりも一回り以上背が伸びた。肩幅も腰回りもどっしりと太い。良い青年になった)


 頼もしく成長した彼を惚れ惚れと見上げながら、カモクタインは彼に向かって手招きをした。背が高すぎるせいで、カモクタインの口元へ耳を近づけるために、シャクシャインは背をかなりかがめねばならぬ。


 その耳元へカモクタインは、


「お前はいつか立ち上がるつもりだろう。その時に備えるためだ。残念ながら俺はお前のような勇気を持てぬまま、老いぼれた。だからその代わりに頭を働かせた」


 囁いて、微笑でもって見上げる。


「お前が立ち上がる時分には俺はもう、カムイの元に召されておるだろうよ。蝦夷全土のアイヌと団結して、和人に立ち向かう。その根回しのために俺の半生近くの年月がかかった。覚えておけ」


 そこで一息ついて己よりも信望や行動力のある跡継ぎを見上げると、この青年はなんとも驚いた顔をしている。


 副部族長であり、子らの父親であり、そしてもう良い年であるはずのその顔は、今のように驚くと、狩りに出かけてシュムクルや和人と出会うたび、必ず諍いを起こして帰ってきた少年時代の面影を髣髴とさせる。


 それを見てカモクタインは、


(こいつは、昔からそうだった)


 そう思って、笑った。こういうところも、シャクシャインが人をたまらなく魅了する点の一つなのだ。だからこそ、カモクタインは自分の後継者として、彼を副部族長にしたのである。


 知られていないと思っていたらしいが、メナシクルの領域へ我が物顔に侵入してくる和人やシュムクルアイヌを、シャクシャインが少年時代と変わらず、威嚇でもって追い払っていること、そしてまたそのために、長である自分の目を盗んで遠くは十勝、釧路まで出かけて、そこに住むアイヌ達を助けている事を、カモクタイン自身は良く知っている。変わったのは、シャクシャインの少年時代と違って、その威嚇が威力を増したため、彼の姿を見ただけで和人やシュムクルが逃げるようになっている、ということか。


 争いになっても、決して引くことをしない。「侵入者」を最後には必ず追い払うのだから、今では「メナシクルのシャクシャイン」の名は、シュムクルにだけではなく、和人や蝦夷の他地域に住むアイヌにまで知られていると言って良い。庄左衛門が思っていたようにその名は次第に、


「彼はアイヌのポンヤウンペだ」


 大げさではなく、昔、アイヌの危機を救った伝説の英雄と並び、称されるようになっていったのだ。むろんこのことは、シャクシャイン自身が特に望んでいたわけではない。


 得意の弓には少々劣るが、その他の武器を扱わせても決して部族の他の者にひけは取らない。見る者を圧倒する部族一の背丈と体格を持ち、頬を濃い髭で覆って他の者を鋭い眼光で睥睨しながら、それでいて愛する部族の者達にはこのような無防備な表情を見せる。そんなシャクシャインは、


(俺に代わってきっと、部族を護ってくれる。もしかすると蝦夷をもう一度、我らだけで平和に住める大地にしてくれるかもしれぬ)


 カモクタインにとっても十分に信頼するに足る。


「覚えておけ。争って己の力を示すばかりでは、周りを承服させることにはならない。俺がいなくなったらお前が跡継ぎだ。良く考えろ」


 カモクタインが発する言葉は断片的だが、その裏には深い意味が込められている。そのことをつい最近、ようやく悟ったので、


「了解した」


 シャクシャインはそう言いながら頷いたのだが、


「長は俺達に食うなといっているのか」


 部族の他の若い者達は、当然ながら黙ってはいなかった。


「オニビシの監視をやめさせろ。何の権利があって、俺達の川や海を和人の思うままにさせるのか。長は何を考えているのか」


 堪えるということを知らぬ若い者ほど血の気が多い、というのは、今も昔も変わらない。繰り返すが、ことは自分たちの生死に関わる問題なのだ。先だって催した神魚迎え祭りの折にも嘆かれた鮭の激減は、それから半年経っても留まる気配を見せない。


 砂金堀りによる川の汚濁と、和人の乱獲によって鮭の数が激減しても、和人にはこれまでと変わらぬ本数の鮭を干して交換しなければならぬ。となれば、アイヌの人々の口に入る鮭はほとんどなくなる、というのが道理であろう。


 もちろん、アイヌの食糧は鮭ばかりではない。先述の鹿も熊もそうだし、海からはニシンや昆布なども採れたわけなのだが、それも和人の飽くなき乱獲のせいで鮭同様、激減の憂き目を見ているのだ。


 和人との度重なる戦いに負け、そのたびに屈辱的な支配を受けることを余儀なくされていったが、


「俺達がいなくなれば困るのは、シサム商人のほうではないか」


「俺達が和人へ、獲物を渡さぬようにすれば良い話ではないのか」


 アイヌの若者達が言うように、もしもアイヌたち全員がそっぽを向いてしまったら、何より困るのは松前藩とアイヌの仲介をしている商人たちであったろう。


「カムイ・チェプと、カムイ・ユク(鹿)ばかりではない。海の恵み山の恵みが減っていくのは全て、和人と和人の侵入を許すシュムクルの奴らのせいだ」


 若者達はそう叫び、部族長であるカモクタインと、副部族長であるシャクシャインへしばしば詰め寄っては、


「川上からシュムクルを追い出しましょう」


 と訴えるようになった。訴えるばかりではなく、実際に各々が毒を塗った槍や弓を持ち、静内川へやってくるシュムクルアイヌや和人商人へ、攻撃も仕掛けた。


「シャクシャインもやっているのだ。俺達がやって悪いことはあるまい」


 というわけである。


 しかし、それでもカモクタインは首を縦に振らないばかりか、シュムクルアイヌへ攻撃を仕掛けることも禁じた。すでにこの頃、松前藩は場所請負制に加えて、さらに自藩にばかり都合の良い「商場知行制」を設けていたにもかかわらず、である。


 これはやがて以前にも述べたように商人主導のものへと移行したし、ロシアやシベリアに住む人々との自由交易権をも、アイヌの人々から奪った。それらの国の人々に限らず、どこのどんな国の人々とも、アイヌの人々とは自由に交易することまかりならず、と、一方的に決められたのだ。

 

 そのことを、庄左衛門などからいち早く聞き知っていたカモクタインは、


「俺達の共通の敵が誰なのか忘れたか。俺達の敵は西方人ではない、シサムなのだ」


 そうはっきりと口に出したわけではないが、これと似たようなことを言って、若者達が詰め寄る都度、なだめようとした。はっきりと口にしてしまえば、素朴なアイヌの若者達は、


「和人どもは全て敵だ」


 とばかりに、交易へやってきている和人たちへ襲い掛かるだろう。


 そうなれば、それこそシュムクルアイヌが得たりとばかりに松前藩へ「密告」し、最悪の場合は松前藩の後ろ盾を得てメナシクルへ攻め入ってくるかも知れぬ。メナシクルアイヌ、というひとつの部族だけでは、とうてい松前藩とその後ろにいる江戸幕府を相手には出来ないということを、カモクタインは悟っていたのである。


「時期早尚だ。まだ北や東にいるアイヌたちと密接な関係を結んでいない」


 狩りに出るたび、心のうちを知っているシャクシャインにのみ、カモクタインはそう零したものだ。


 他の地域のアイヌ達も、和人の度重なる搾取のせいで、自分たちが生きていくだけでも精一杯であり、他のコタンと手を結んで和人へ立ち向かうなど、


「到底出来た相談ではない」


 カモクタインの誘いには頷きながら、はっきりした返事が出来ないでいる。またそのことをカモクタインも良く承知していた。


(立ち上がるには、時間だけではなく、他の何かが足りないのだ)


 その何かとは、何であるのかはカモクタインにも分からないが、


(俺に欠けているものはそれである。それが歯がゆい)


 本当のところ、じりじりと焦がれるような怒りを抱いていたのは、他の誰でもなく彼自身だったに違いない。


 この十年ほど前にキリシタン最大の戦いである島原の乱が起きていて、このことをカモクタインは相談役から聞いて知っている。にも関わらず、


(俺達の神は大自然である)


 異国の神を信じる者であるからという理由で、松前藩、というよりも、江戸幕府の体制に対して共通に敵対する者同士でありながら、彼はせっかく金山へやってきているキリシタンたちと、手を結ぶことを考えすらしなかった。


「キリシタンとはいえ所詮は和人だからな」


 というカモクタインの言葉に、シャクシャインも頷いたものだ。

 

 相談役同様、アイヌにとってキリシタンも所詮は和人であり、アイヌたちの味方であると確信を持って言えないのだ。つまり、それほどアイヌの和人たちに対する偏見と憎しみは強かったということである。


 相談役はあくまで商人で、商人が追及するのは利潤のみである。


(メナシクルから美味い汁が吸えなくなると分かれば、シサム商人はこの部族をとっとと見捨てて、むしろ松前藩側すなわちアイヌを滅ぼそうとする側へ付くだろう)


 と、カモクタインらは、蝦夷で庄太夫という子まで成した庄左衛門をさえ、心の底からは信用していなかったのだ。


 庄太夫と名乗っている庄左衛門の子は、蝦夷でアイヌと共に育ち、アイヌの大人たちからも可愛がられていた。しかしカモクタインその他アイヌたちにとっては、やはり「和人は和人」なのである。


(不用意に俺が吐いた言葉を、どのように曲げて伝えられるか分からぬ)


 というわけで、コタンの中にいる時には、部族のアイヌ達に告げる言葉はどうしても歯がゆい、遠まわしな言い方になってしまう。従って、カモクタインの本当に言いたいことが若者達に伝わらない。


 おまけに具合の悪いことにその時分―和人の暦では慶安元(一六四八)年頃のことであるが―初代慶広の代からいささか危うかった松前藩の経営状態が、いよいよ深刻な状態に陥っていた。その折の藩主は、慶広から数えて四代目の松前高弘である。


 先だって述べたように、実質九千石足らずの大名が、五万石並大名と同じ扱いを受け続けているのだ。奢らぬわけがない。


 この頃になるといよいよ、和人たちが蝦夷の奥深くにまで大挙して押しかけてきた。彼らが手当たり次第に鷹を取ったり、海辺においては船を繰り出して大網を広げ、鮭をごっそりと取っていったり、などということが、当たり前のように繰り返されるようになってしまっている。


 そしてメナシクルアイヌ達が抱く、そのような和人たちへの怒りは、カモクタインに抑えられている分、


「奴らはシサムの手先である」


 彼らがそう思い込んでしまっているシュムクルアイヌたちへ、より一層強く向けられるようになったのだ。


「同じアイヌの癖に、シサムの力を嵩にきて、やりたい放題しおって。何故俺達のシャクシャインのように、和人を追い払うなり何なりしないのか。だから舐められて、犬のようにこき使われるのだ」


 怒りの矛先が、もともと敵対していた相手へほとんど向かってしまったのは、まことに奇妙なことであるが、頷けぬ話ではない。言葉は悪いが、支配される弱者にありがちな考え方も、そこに混じっていなかったとは言えぬ。そしてそのことこそ、


「蝦夷一、二の勢力を誇るメナシクル部族は、我等が蝦夷東方へ進出する際には、必ず目障りになろう」


 と、シャクシャイン属する部族を実は密かに警戒していた松前藩には、願ったり叶ったりなことであったろう。


 その後、生活圏を巡る両者の争いに、より陰湿な感情が加わったのは、当然の成り行きかもしれない。乱獲で激減してしまった鮭や鹿を巡っての川上人と川下人の争いが、静内川のそこかしこ以前よりもさらに多く見られるようになった。


 それに対してカモクタインは、


「堪えろ。争うな。争いごとを起こすことは、大地のカムイに背くことだ」


 としか、部族の者達には言わなかった。


 部族の長の言うことは、部族の者には絶対なのだ。だから、争うとはいっても、どうしても相手への攻撃は弱いものにならざるを得ない。シュムクル部族長のオニビシも、そのことを知っているから、


「あいつらは弱腰になっている。松前藩が後ろにいる俺達を恐れているのだ」


 とばかりにいささか調子に乗って、静内川へやってきている女子供にまで乱暴を働くようになった。


 そうなると、当然ながら、若者達の怒りは部族長であるカモクタインにも向けられるようになる。


「長、部族の者が傷つけられているというのに、貴方は平気なのか」


 コタンの若者達が集って、カモクタインの家へ押しかけてきたのは、それから五年も経った慶安五(一六五三)年春の夜こと。若い男達の肌が発する独特の熱気がこもって、狭い小屋の中は一気に獣臭くなった。


 部族の長の家とはいっても、他のアイヌ達のそれと変わらぬ、素朴な藁の小屋である。今年の春は例年と違っていやに暖かく、もうクンネレキカムイ(縞梟)が鳴いている。せっかく梟神が熊か鹿の来訪を告げているというのに、誰もそれを迎えに(狩りに)行こうとは言い出さない。


 上座で腕組みをし、口を結んだまま目を閉じているカモクタインの両側には、越後の庄左衛門とシャクシャインが同じように黙ったまま控えている。


「長がやらねば、我々だけでもシュムクルの奴らを懲らしめに行く」


 縞梟が鳴き終えた後、カモクタインの目の前にいた若者が立ち上がった。そこでようやくカモクタインは両目を開き、


「嘘を吐かすな。お前達はもう、ウタフに係わりのある奴らと揉め事を起こしているのだろう。俺は庄左衛門殿の物見から、全てを聞いているのだ。ウタフは既に、その妻や部下の奴らを連れて、新冠からこちらへ向かっているそうではないか」


 つられて立ち上がった若者達を、鋭く叱咤したのである。途端に、素直な驚きが彼ら全員の顔に浮かんで、


「シュムクルの下っ端の奴らならともかく、ウタフの息がかかった奴となると、いくら知らなかったこととはいえ、奴らは俺がお前たちに命じたと思うだろう。まことに時期早尚だが、致し方ない」


 それへ苦笑いしながら、カモクタインも立てた片膝へ同じ側の手を置き、思い切りよく立ち上がった。


「我らのシベチャリを護れ。シュムクルの奴らを川上から追い出せ!」


 彼が叫ぶと、待っていたとばかりに若者達もどよめいて、てんでに各々の家へ書け去っていく。それぞれの得物を携えるつもりなのであろう。


 若者達が去っても、こもった熱気はなかなか去っては行かない。彼らの背中を険しい表情で見送っているカモクタインへ、


「長、良いのか」


 その横顔を見上げながらシャクシャインが問うと、


「こちらの部族の者多数が、ウタフの妻に殺されているらしい。そうですな、庄左衛門」


 カモクタインは、言いながら傍らの鷹待を振り返る。


 すると庄左衛門は重々しく頷いて、


「まことに残念なことです。血気に逸る部族の若い方々が、シベチャリに来ていたウタフの子をそれと知らずに殺したものだから、ウタフも妻も逆上してしまったのです。今頃は怒涛の勢いでシベチャリを下ってきているのではなかろうか」


 たどたどしいアイヌ語で告げた。


「よく分かりました」


 シャクシャインよりも一回り年上の彼へ、


「イランカラプテ」


 カモクタインは丁寧に言葉を返してその肩を抱き、空いた方の片手で握手を求めた。


 その挨拶が終わった後、


「そういうわけだ」


 カモクタインはシャクシャインへ向かってほろ苦い笑みを浮かべながら、壁にかけてあった槍を二つとり、一つをシャクシャインへ渡す。


「残念だ。こうなるにはまだ早かった。せめて東のアイヌと確実に手を結べてさえいれば、シュムクルの奴らも攻撃を仕掛けてこなかったかもしれない。実に残念だ」


 繰り返し言いながら、カモクタインは美しい刺繍の入ったマタンプシ(鉢巻)を締める。腰にはこれも柄に模様が彫られたマキリ(小刀)を刺し、


「もしも俺がくたばっても、お前は生きろ。生きて部族の者をまとめろ」


「縁起でもないことを言うな」


 思わず立ち上がったシャクシャインを見上げて、


「俺はもう、いつイルラ・カムイに送られてもいい老いぼれだよ」


 現メナシクル部族長は寂しげに笑った。そしてシャクシャインの槍を握ったほうの右腕を、情愛を込めて乱暴に二つばかり叩く。


「シュムクルの奴らもな。俺達がアイヌ同士で争うことの愚かさを悟れば良かったのだか」


 小屋の入口へ向かいながら、カモクタインが大きなため息と共に漏らした言葉を、


(しかしそれは無理な相談というものだ)


 その後につき従いながら、シャクシャインもまたほろ苦い笑みを浮かべて考えた。


 シュムクルアイヌどころか、メナシクル部族の若者や、カモクタインの考えをただ一人聞き知っていたシャクシャインでさえ、どうしても目先の敵への憎悪のほうを強く感じているのだ。


 そもそも、今まさに部族へ攻め入ってこようとしている相手へ、「視野を広く持て」といったところで通じるわけがない。だが、


(そんなことは、長のほうが百も承知なのだろう)


 聡明なシャクシャインはそう察して、黙って頷いた。


 少年の頃は、


「優柔不断で、ぐずぐずと決断の遅い部族長」


 と、心の隅で思いながら、それでもやはり大きく、頼もしいと思えていた部族長、カモクタインの体は、いつの間にか己よりも小さくなってしまっている。しかし、村の広場に緊張した顔で集まった部族の者たちへ、


「いいか、お前達」


 その小さな体から発する声は変わらず太く、腹の底までよく響く。


「俺はシベチャリのチャシ(砦)からお前達の働きを見ている。あのチャシを落とされたら、俺達のコタンはもうおしまいだ。だが」


 そこで一息ついて、カモクタインは少し咳き込んだ。久々の大音量で声を発したため、一気に喉を痛めたらしい。


 背中をさすろうとしたシャクシャインの手へ、皺を深く刻んだ老いた手を添えてそっと退けさせ、


「…だが、忘れるな。俺達は、俺達の生活を護るために戦うのだ。決してシュムクルの奴らが憎いから戦うのではない。さすれば我らアイヌのカムイが護ってくれよう」


(長は己にも言い聞かせているのだ)


 カモクタインは、シャクシャインにもそれと分かる言葉を続けて叫んだ。


「長! 奴らが来た!」


 そこへ、様子を見に行っていたらしい部族の若者が息せき切って報せに来る。


「全員、チャシヘ迎え!」


 それへ頷いて、カモクタインは手にしていた槍を夜の空へ向かって掲げた。シャクシャインもそれに釣られて空を見上げる。


 春の夜空には、静内川の川面から発せられた蒸気が篭っていて、


(星の神が見えない。俺達は間に合わなかったのではないか)


ふと不吉な予感に囚われながら、シャクシャインもまた、カモクタインに従って砦へ向かって行った。




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