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【8】幸せは日常と心のなかに

【8】


2018.04.11


何気ない日常のなかに、どれだけの幸せを、僕達は、感じて、見出だせていけるのでしょうか。そこに、人生の全ての意義や秘密が隠されていると、申し上げましても、過言では無いように思うのです。


朝、目覚められる幸せ、夢を見られる幸せ、呼吸が出来る幸せ、家族がいる幸せ、恋人がいる幸せ、ゆっくりと寛げる幸せ、ごはんを食べられる幸せ、日々の暮らしのなかでセレンディピティや発見がある幸せ、友と語らい合える幸せ、働ける幸せ、自然を散策したり、対話することが出来る幸せ、神様にお祈り出来る幸せ、お散歩出来る幸せ、生きている幸せ、お風呂に入れる幸せ、あったかいお布団で眠れる幸せなどなど…。気付いてみましたら、どれもこれも、当たりまえではないということ、また、ありふれておらず、奇跡のような日常を過ごしていることに、僕達は、もっともっと注目していくべきなのだと、僕は思うのです。日常こそが、一番の聖なる営みだと、思うのです。


儒教では「足るを知る」ということが説かれておりますが、何かしらの不満を抱く場合は、常に満ち溢れている幸せや、その魅力に、気付いていない場合が多いように、感じます。また、このような「幸せのセンサー」を育てていく為に、人生の中で、色々な出来事を通過させて頂いていると、捉えることも出来ると思います。聖書の言葉で「天に宝を積みなさい」という言葉がありますが、このような日々の積み重ねによって、幸せのセンサーや感受性が発達してきますと、誰も知られていないところで、陰徳や徳を積んだりして、さらに、幸せが確定していける行いを実践出来て、地上にいながらも、天上の安らぎを有して、過ごしていけることが、出来ると、僕は思うのです。地上のなかにある天上の恵みに、いかに気が付いていき、その喜びを味わい噛み締めていけるかどうかだと、思うのです。地上も天国だったと、心から気が付くこと。


このような心の活動のなかに、愛や自由や平和というものが宿っているように、思えます。逆に言いますと、お金がたくさんあったり、地位や名誉に恵まれていたとしても、これまで話したような、幸せのセンサー、魂の心、幼子のような心を持ち合わせていないと、幸せは、やはり、訪れません。無いものを追い求めて、手を伸ばしたり、取っ替え引っ替えに、すぐに購入しようとするよりも、あるものに着目して、あるものを大切にし、あるものから、さらに、あるものの魅力を豊かに広げていくことの方が、大事なのでは、ないでしょうか。これこそ心の断捨離でも、あると、思うのです。外界にあるものは、全て、内界から具現化されたものですから、断捨離とは、内界である、心から整理していくことが基本だと、思います。


つまり、幸せはどこにあるのか?と、いいますと、幸せは、目には見えない、心のなかに、その住まいがありますよ、ということだと、僕は思うのです。心のなかにある、幸せの住まいを、僕は、どんどん大きな住まいにしていけたらと、思います。また、人々の幸せの住まいを、広げていくことに、今後、携わっていけるよう、日々、精進して参りたいと、思います。


多くの人々の日々の日常が、聖なるもの、喜び溢れる、彩り豊かなものに、なっていかれますように。

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