【4】ファウスト
【4】
2018.04.07
昨日もバイトでした。僕が恵まれているなと、感じる点は、人縁です。この職場も、とにかく良い人ばかりです。僕は、いつでも人に支えられ、自然に支えられ、神様に支えられて、生かされて生きている者です。周囲の環境に恵まれているのです。僕の周囲には、先生と呼ぶべき方々や御存在も沢山いらっしゃいます。末っ子のような性格をしているのでしょうか…。確かに、父、母、姉、僕ですので、家族の中では、一番歳下ではあります。ですが、親戚の中では、僕が長男となっております。いとこは、みんな歳下なのです。やがては僕は、一家の大黒柱になっていかなければ、ならない存在です。この三十代が人生の正念場だと、思っております。孔子の言葉にも「30にして立つ」という言葉があります。僕は、30歳にして、心境の変化があったのは確かです。9月11日が僕の誕生日ですので、まだ5ヶ月ぐらいは、30歳としての人生を歩めます。この30歳にして、どれだけ無形の財産(有形の財産は、まだまだ難しいことです)を貯金することが出来るのか、というところです。僕は、精一杯学ぶべきものは学んでいき、自身の糧として、吸収し、力を付けて、やがては、社会貢献出来る人材になっていけるよう、日々精進していきたいと、思います。僕は、周囲の方々からのご恩で生きてこれましたので、これからは、僕がそのご恩を返していく番です。「千里の道も一歩から」という、ことわざがありますので、一歩一歩確実に、現状からスタートで、先ずは出来るところからやっていき、出来ることを少しずつ増やして、自身を豊かな存在にしながら、千里に続く道のり、まおという人生の一本道を歩んでいけたら、と思います。
そういえば、昨日は、ゲーテ作の『ファウスト』について、改めて姉と語り合っていました。と言いますのも、今夢中で読んでいる『火の鳥』の作者の手塚治虫さんは、『ファウスト』を元にして、人生で三回も書いていらっしゃるからです。死の直前も絶筆となりました『ネオ・ファウスト』を書かれてらっしゃいました。やはり、書き手としては、『ファウスト』という作品は注目せざるおえません。最終的には、ファウスト博士の人生は、その努力と、恋人グレートヒェンの天上からのお祈りで、悪魔メフィストーフェレスとの契約さえも、超えていくことが、出来て、魂は、救済されていかれました。この物語には、やはり大変大きくて、深く、計り知れないほどの魅力があります。この深淵から深淵を呼び賜る作品をどう読み解き、どのように、自分自身の神秘なる体験として、落とし込んでいけるかどうかが、問われるところであると、思います。僕自身は、意外な感想を持っている一人であると、思っております。
ちょっと過激かも知れませんが、やはり、振り返ってみれば、悪魔でさえも、自分を活かし、育てて、豊かにしてくれた、天使であった、という感想を持っているのです。また、天上へ収斂する為の必要な聖霊であるとも、捉えてしまうぐらいです。それと、物語の結びでもあるように、人類の根源的な欲求の姿勢として、女性のように、慎ましやかな畏れを抱き、調和的美に努めること…。良い意味で、至らない自分を知り、治めていくこと。これは、アダムとイヴで象徴される原罪から解放されるにも、このような姿勢であることは、性別問わず、好ましい在り方のように、感じるのです。このように書きますと、誤解や語弊を産んでしまうかも知れませんが、素直な感想は、このような感想であることには、変わりありません。僕がこのような大スペクタクルなメルヒェン、戯曲を参考にさせて頂くことは、おこがましいことかも、知れませんが、もっともっと読み込んでいきたい作品の一つであります。僕がやがて『アミューの物語』を完成させるうえでも、「ファウスト体験」をすることは、大変意義のあることだと、予感をしております。きっと、至福の瞬間へと、招いて下さることでしょう。『ファウスト』は至福の瞬間を、永劫のものへと変えてしまう、錬金術でもあるのではないでしょうか…。「瞬間よ止まれ!汝は、いかにも、美しい!」