【3】フリーターと不死鳥
【3】
2018.04.06
僕は、30歳にして、まだフリーターから抜け出せておりません。時々、自分が惨めな想いになってしまうのです。これまでの人生は、自身の夢を追いかけてきました。ですが、30歳になりまして、思うことは、自身の夢を追いかけるだけではなく、他者の夢を叶えていく側に、まわっていかなければならない、という思いです。他者とは、たとえば、「親の幸せや願いを叶えてあげたい」ということなどです。この思いは、30歳になりまして、切実なものとなってきました。胸が苦しいのです。今ここで、こうやって書くことで、不思議と気持ちの整理もついてくることに、気が付きました。書くという行為は、一つの捌け口になり、溜まっていたもののアウトプットになりますので、やはり、気持ちが循環していくのでしょうね。書くという行為によって、自身の中で蠢いている実態を探り、その正体や消息を知ることが出来るのでしょう。息詰まってきましたら、「書く」ことを僕は、オススメ致します。昔から若いうちは「字をかく、汗をかく、恥をかく」をモットーにしなさいと、言われてきている由縁が少しは、分かる気が致します。
フリーターの僕は、昨日から5連勤でして、今日は2日目になります。只今、ファミリー向けのゲームセンターで働いてますので、昨日は、ゲーム機のメンテナンスにほとんどの時間を費やした1日となりました。お陰様で、ゲーム機の故障部分は、なんとか動き始めました。バイトが終わるのが22時頃になりますので、それからの時間が、僕にとってみましたら、貴重な余暇の時間となり、自身の夢を追いかける時間となります。最近は、ノヴァーリスの残した作品集を読む機会が多かったのですが、僕は、新たな自身の作品、『アミューの物語』を書くために、先ずは、手塚治虫さんの『火の鳥』を読むことに、なりました。先日、コーチングして下さった先輩から助言を頂きましたので。
この『火の鳥 1 ~黎明編~』に私は、感嘆致しました。手塚治虫さんは、やはり、天才だなぁ~、と改めて思いました。なんていうのでしょうか…、人間が持っている振り幅や、命際の人間が感じていることや、見る世界、見える世界やその機微が、克明に描かれているなぁ~と、改めて感じたのです。また、その画力の個性と豊かな才能に驚かされます。漫画家さんって、小説家の才能に加えて、画家の才能や、1コマ1コマの使い方など、映画監督の才能も必要とされるので、本当に凄い職業だなぁ~と、改めて思いました。その漫画の神様の作品は、まさに、神々しい輝きを、時を経て、現代になりましても、放っている事実に感動せざるおえません。『火の鳥』という作品に出逢えて、改めて良かったと、少し、痛いほど感じました。やはり、人は元々豊かな存在であると、僕は、捉えているタイプですから、その豊かな存在が創り出す作品に触れますと、豊かになるものですね。「芸術は人生を豊かにする」と言いましても、過言ではないでしょう。
僕は、芸術とは、子を創る営みと等しい、というような感覚を持っております。芸術にも「産みの苦しみ」があると、思うのです。もっとも、子が生まれましたら、その喜びと生命の輝きによって、その苦しみを忘れてしまうのですが…。芸術とは、まさに、この世界の全てであるように、僕は思えるのです。たとえば、この広大な宇宙や、自然万物、また、僕達人間は、神様の芸術から産まれた兄弟であり、神様の子供であると、思うのです。そういう意味でも、みんな同胞であり、一つの家族であると、僕は捉えております。世界はひとつ、なのです。全ての存在が、一人の人間や、一輪の花にも、たとえられると、思います。ですから、昨日見たような夢が実現しないように、僕はこの世界に貢献していきたいのです。兄弟喧嘩は、やはり、よくありませんので。
可憐な花が傷んでしまっては、あまりにも哀れで、可哀想ではありませんか。尊くて、弱く、儚くも永らえる、柔和な生命を、僕らは、大事に大事に大事に、育んでいきたいものですね。
少なくとも僕は、このような思いを大切にし、行動に変えていきたいと、思っております。 たとえ、誰かに陰で馬鹿にされて、軽んじられ、謗られ、肉体が滅んだとしても、この想いと実践する魂は、不動なものであり、不退転の花として、僕のなかに、とこしえに咲いているのです。そう、それは、火の鳥が「永遠の命である」というのと、同じように。