根源へ
わたしは今、生きていることを、そのことをどうしていいのか分からない。いいや、ずっとそうだった。幼いころの他との出会いから。わたしというものをどう扱っていいのか分からないままだ。確かに、今、此処に、在るということを。わたしという何かが在ることが、全ての存在と対峙しているということが。どうしていいのか分からないのだ。この巨大すぎる何かを。果ての見えない永遠を。そして目前の現実との乖離とを。見知らぬ誰かのストーリーで人の世は進んでいる。大きな、中くらいの、そして小さなストーリーで。わたしすら物語を持っている。去っていった物語の人物たち。きっと、わたしの問いは誰にも届かないだろう。そして何処へも。全てが問うている。全てが問いに満ちている。
どんなに大声で叫ぼうとも音はなく、例え群衆に埋もれても、そこには誰もいない。虚空に漂う一粒の塵のように、光は遥かに闇だけが親しい。唯、逆説的に声を文字にすることでのみ、それは音として再生される。わたしたちの中で。
振り返ることが記憶に色を付けるように、形なきわたしたちの残す言葉が、皮肉にも記録されうる。だから、わたしたちは言葉を吐く。わたしたちはここにいるのだ、どうあっていいのかは分からぬながらも、とにかく今、いるのだと。
わたしは、それが詩の原点だと思う。問うこと。叫ぶこと。根源へと投げかける答えを求めぬ言葉の列をこそ、わたしは詩と呼びたい。
わたしは理解を求めない。響きをこそ求め、輝きの美しさに潜む陰りを求める。それは遠くにあり、とても遠く、果てしなく、姿は朧であるが、いつもわたしたちの傍にいる。