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明日へ

 わたしは昨日のわたしが今日のそれよりも劣っているべきだと思いたい。別人であるのに恰も連続体のように扱おうとする切り離された昨日の個人としてのわたしを。それが極端ならば、一か月前のあなたは今日のあなたと同じ人であり得ないことを思い起こしてほしい。更に遡れば、春の日のわたしは、秋の日のわたしではない。無茶だろうか。それならば、夏の土は冬の土と同じか。空は。風は。海は。同じなのか。刻々と変わりゆく物質の変化の速度を時間と呼ぶ。時が過ぎるということ。わたしたちが過ぎるということ。変わりゆくということ。

 話を文章へと転化しようと思う。つまりは昨日の書き手と読者とは、今日のそれとは別人である。勿論、染み込んでいる何かがあり、消したくない蹲る片隅があり、握りしめている光りがあるだろう。その上で敢えて言わんとするのは、時は速やかに過ぎ、全ては移ろい、消えてしまうことであり、わたしたちもまたそこからは逃れられない渦中にあるということである。恐ろしいほどこの惑星の自転速度は速い。そして公転速度もまた。わたしたちは常に移動している。この虚空を。

 今発する何かの語。そして次に発する何かの語。その間に宇宙の隙間が挟まっている。もう取り戻せない時間が過ぎてしまう。だから、進んでいると思いたいのだ。唯回転に沿うて張り付いているばかりではなくて、形ないところでこそ進んでいたいのだ。

 だから、わたしは昨日のわたしを軽んじる。作品を。人格を。発言を。佇まいを。これは或いは価値無き指向。独りよがりのやせ我慢。それでも、後戻りしている時間などないのだから、常に変容していく己を求め、むしろ向かっていく。先人たちよ。糧となれ。階となり、わたしたちの背を押せ。繰り返しなど一つもないこの世の理として、今生きているわたしたちは、明日へ挑むのだ。

異論讒言罵詈雑言等在るかも知れないが敢えて。

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