仏舎利
大小様々な国がひしめく紀元前のインド。
その中の釈迦族で一人の王子が誕生しました。
名前をシッダールタといいます。
若い頃から勉学に励み、聡明な青年へと成長しました。
しかしある時人生の苦しみを知ります。老いと病と死。人が生きる上で避けることはできず、いずれ誰にも訪れるその苦しみにシッダールタは悩むことになります。
29歳になったシッダールタは妻子を残し、王子と言う自分の地位も棄て、遂にその苦悩を取り払う修行の旅に出ることを決意します。
様々な苦行を乗り越え、成功と失敗を繰り返し、35歳にして悟りを開きます。
悟りを開いたシッダールタは5人の弟子を従え各地を旅して回り、老いや病や死の淵で苦しむ人々に教えを説き、人生の苦しみを取り除いて回りました。
80歳になった頃、マッラ国のパーヴァーという村でチュンダという鍛冶屋から振る舞われたキノコ料理で腹痛を起こします。
激しい下痢に見舞われたシッダールタは自分の死期を悟り、クシナガラという地のサーラの木の下で横になりました。
弟子達はシッダールタの死を間近に嘆き悲しみます。
「お師匠様。もしお亡くなりになられたらお骨を納めさせてください」
「私は末の弟子ですから髪の毛でいいです。私たちに髪の毛を納めさせてください」
弟子達は遺骨を自分達の寺社に納める事しか考えていないように見えました。
腹痛に苦しむシッダールタは死を間際にしても優しく弟子達に説きます。
「私が遺したいのは骨や髪の毛ではなく、人々を救う私の教えなのです。私の舎利(遺骨、遺品)などなんの役にも立たないのですよ。私の教えを忘れず、子孫へ伝え、生を授かった人々を苦しみから解放させてください」
最期まで人々の救済を願うシッダールタに弟子達は心を打たれ、涙を流すのでした。
しかしシッダールタが入滅すると、彼の願いも空しく遺骨の奪い合いが始まります。
シッダールタの遺骨は、火葬を引き受けたマッラ族が所有権を主張します。
弟子達と、シッダールタの教えに帰依していた国の王様は遺骨の分与を求めますがマッラ族は拒否。シッダールタの骨を求め戦争が起こります。
仲裁が入り、結局遺骨は八等分され、各国で祀られる事になります。
更に200年後にはインドを統一したアショーカ王により遺骨を粉々にし、八万の寺社に配って回されました。
それぞれの寺社では「うちの寺にはシッダールタの遺骨がある」というキャッチセールスで人を呼び寄せるようになりました。
それまで口伝で伝えられたシッダールタの教えも死後数百年経った頃に弟子の子孫が集まり、それぞれの話を統括して文字として残すようになります。
「私のところではこうおっしゃっていたと聞いています」
「もっと彼を神聖化しよう」
「聡明な人だったらしい。産まれた直後に起き上がり歩いた事にしよう」
「それはいいな。言葉も喋れたってのはどうだ?」
「死の恐怖をもっと煽るべきだ。死後に苦しみが待ってることにして――」
「救える唯一の方法が私達の教えにしか無いことにしよう――」
こうして出来上がった経典は世界を回り、「悟りを開いた者」というサンスクリット語である「ブッダ」の当て字から佛陀の教え、仏教として日本にも伝えられるようになりました。
遺骨を巡って争った弟子達。その子孫の創作したライトノベルチックなファンタジーが仏教の原典なのです。