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「診断の結果から申し上げると」
少女の診断を終えた医者は、表情を曇らせながら固く結んでいた口を開いた。
「やはり記憶障害としか言いようがないでしょう。それも私的なことに大きく限定されているようです。共通言語は理解し、ものを認識することもできる。常識もある程度は備わっているので生活の面では問題はありませんが……」
医者は言葉を濁してしまう。いくら常識もあり生きていける範囲には問題ないと言っても少女が記憶喪失であることに変わりはない。
身体的損害によるものか、はたまた精神的なものなのか。記憶障害の原因の確かな確証は不明なままだ。
見たところ腕や脚に傷は集中しているようだが、少女の頭部には激しく打ち付けられた跡はなかった。
奴隷として闇市に囚われていたというイリーナの話を汲み取って考えると、可能性として一番に上がるのはやはり精神的ショックによるものだろう。
医者の診断結果には、イリーナもガイバーも頭を抱えるほかない。
二人の当初の目的とは、盗賊に攫われたエルフの娘達の救出であった。それは無事に達成され、後は自分たちの所属ギルドに帰るだけだったのだ。
まさか記憶喪失の女の子に出会うとは、思ってもみなかった。おそらく少女の年齢は十五歳から十八歳の間あたりだろう。まだ若く、年頃の娘にとっては不安に違いない……はずなのに。
「イリーナさんとガイバーさんってハンターなんですか。私って凄い人たちに助けられたんですねぇ」
「あのなぁ、お嬢ちゃん……本当に自分が置かれてる状況がわかってんのか?」
のほほんとしている呑気な少女の物言いに、普段周りから楽天的と囁かれているガイバーも眉をひそめてしまっている。
イリーナも若干驚き気味だ。
あのガイバーが、と。
どれだけ魔物の集団に囲まれていようとも、涼しい顔をしながら小指で鼻をほじるようなふざけた男であるガイバーが、だ。
それだけ事態は深刻だというのに当の本人はまるで緊張感もなく、イリーナの視線を受けて無邪気な子どものようにへらりと笑っている。
つい一週間前まで闇市で囚われ、奴隷だと、奴隷だったという証である消えない烙印を背中に刻まれたというのに。
──この世界で、生きるうえでの最大の屈辱を植え付けられているのに。
「はい、一応は理解できました。私は記憶を失ってしまい、イリーナさんとガイバーさんが助けてくれるまでは奴隷だったということなんですよね」
そう言って少女が浮かべた表情は、まっさらな子どものような笑顔だった。
……なぜ、少女は取り乱さず、静かに受け入れているのだろう。あどけない返答で怖いことに気がついてしまったイリーナの肩が震える。
もし、もしもだ。欠けてしまった記憶が戻ったとしたら?
その時、この少女はどうなってしまうのだろう。
記憶喪失ゆえに自身を保っているのだとしたら、何かの拍子で記憶が蘇り、イリーナが想像する以上の過酷な奴隷としての日々をすべて思い出してしまったら。
(その時この子は、自分を保っていられるの?)
イリーナは入口付近に佇み同じように顔を顰めていガイバーを見捉える。
ガイバーはイリーナの視線に気づくと、自分の言いたいことがわかったのか、こくりと頷いた。
(放って、おけないわよね)
(あたりまえだろ)
乗りかかった船だ。
今、目の前の少女には、自分たちしかいない。
理由はそれだけでも彼らにとっては十分だった。
「あの、イリーナさん、ガイバーさん。私の顔に何かついてますか?」
何よりもこんな半分間抜け面で照れた仕草をしている少女を、お人好しの二人が放って置くなんてこと、あるわけなかったのだ。