初代死屍柴ヒルイの引退7
「あんな子に託す? いや、子供かどうかは関係ない。確かにあの子は強い。うちの代表者を破ったけど……託せるほどの強さはない……」
「確かにのう。お主が見た瑠衣の強さじゃ西の精鋭を相手取れるかどうかと言うレベルじゃ」
「そんな子に……あんたは本当にこの世界を託せると思ってるのかい?」
「思っとる」
儂は即答した。
「あの子はのう……アンラッキーの技能を受け継いだ子じゃからな」
「確かにアンラッキーの技能は、同じ暗殺者としたら境地と言えるレベルのものだったよ。けど、あの子の体格じゃアンラッキーのレベルには達しない。あの小さな体躯じゃ西からこの世界を守る事なんて出来ない。あの小さな背中じゃこの世界は背負えないよ」
瑠衣の背は同じ年頃の子よりも低く手足など棒のように細い。容姿など小学生に間違えられるほど幼い。橘譲が認められないのも仕方ないじゃろう。
外から見える姿からは知ることが出来ないのじゃから。
瑠衣の中身を。
「のう橘譲、お主は自分の事を醜悪と言ったが、儂はそうは思わない。やはりお主は義悪じゃ。その証拠に儂は一度たりともお主を悪だと思ったことはないからのう」
「一度もだって? そんな筈ないだろ。十年前私は……茜さんを殺したんだぞ。あれはあんたの友人の子だろう」
「ああ……茜ちゃんは友人の子であり……儂の息子の嫁じゃった」
「息子……っ!」
儂の言葉で理解したのじゃろう。瑠衣が誰の孫なのかを。
「それなら尚更……なぜ私を恨まない! あんたの息子を殺したのは私なんだよ! あんたの孫から両親を奪ったのは私なんだよ! なぜ平然と話なんかできるんだ? 恨みを込めてその刀を突き立てないんだ」
儂は切っ先を向けた小刀を見る。手にずっしりと重みを感じる。重いのう。もう長くは持っていられんじゃろうな。橘譲の喉元に突き立てればどれだけ楽じゃろうか。
じゃが儂はまだ楽になってはいけないのじゃ。
「息子を殺され、茜ちゃんを殺され、友の足を切り落とされたと聞き、儂は悲しみのどん底に落とされた。直ぐにでもお主を殺してやろうと思ったが、出会ったお主の目を見て気づいたんじゃ。悲しみの表れた泣いた瞳を見て」
あの日見た橘譲の目は儂等と何ら変わらなかった。大切な物を失った儂や祥子ちゃんや瑠衣と同じじゃった。
「心底恨み殺したいほど憎んだんじゃ。自分自身を。お主を追い詰めてしまった儂自身を。全ての元凶は儂の弱さが招いたこと」
全ては私怨じゃった。自分自身をこの十年間恨み続けてきた。
「お主はなにも悪くない。お主は悪なんかじゃないんじゃ。悪はこの儂。己が居なくなった先を見据えることなく、一人で戦い、一人で弱っていった……儂を悪と言わずになんと言うのか」
「……」
「なんどこの首をかっ切って類人達に詫びようと思ったか。お主の元に行き苦しめた報いを受けようと思ったか。じゃが出来なかった。儂が死ねば西を防ぐ手段がなくなるのじゃから。儂は化け物ではなくなっていたが……東日本の防壁であり楔ではあったからじゃ。辛かった。息子を殺した元凶である儂が、同じ事をし続けなければならないのじゃから」
この十年は儂にとって地獄の日々じゃった。
何度うなされ、喉元に刃を当てたのかも分からぬほどじゃった。
じゃが……。
「じゃがやっと逝ける……。やっと私怨を晴らすことが出来る」
「逝けるって……なっ!」
橘譲は儂の目を見て驚いたかのような声をあげると、直ぐに視線を突き立てたナイフに移した。
力を込めても微動だにしなかった筈のナイフの根元からは、溢れ出た命がワイシャツを赤く染め上げていた。
「橘譲……儂はもうすぐ死ぬんじゃ」
脇腹の傷口と腹の中心から溢れ出た命が儂の死期の近さを教えてくれた。
「あんたが死んだら……この世界は……あの子達はどうなるんだ!」
「この世界は……儂の孫が守る。今はまだ己の力を解放することもままならない小さき者じゃが、瑠衣ならこの東日本の防壁であり楔となれる」
儂はそこですーっと息を吸い、安心させるように精一杯の笑みを浮かべる。
「あの子は化け物じゃから」




