戴冠式と言う名の開戦の狼煙9
橘はこの展開を予期してなかったわけではないが、限りなく可能性はゼロだろうと考えていた。黒百合の組織力を考えれば通常であれば十大組織を解散なんてばかげた事はしない。
けれど、そこに一つの条件を加えるのならば解散は悪い判断ではなくなる。それは組織長である橘と最高幹部が二人抜けた状態。この状態の黒百合を相手取るならば、旧五大組織長派閥でも十分に相手取ることが出来るだろう。
橘と言う女帝と片腕である一神、そして橘の指示を下に伝える君江がごっそり抜けた黒百合は烏合の衆といっても過言ではないのだから。そして傘下の組織も同じ事だろう。山百合もササカワが抜ければ組織としては機能しなくなる。暗殺組織とは司令官がいて初めて機能するものであり、心無く指示に従う暗殺者は、指示がなければ放置されたマリオネットでしかなくなるのだから。
橘は脳内で瞬時に戦力を計算する。第一線で戦えるのは自分と君江と夜野、そして今のところはこちらに付いているだろう水仙。少し落ちてシスターミナミに鏡谷と木瑞とシスターササカワ。戦力として計算していいか分からないのが門脇と滝口か。
そして対するは死屍柴ヒルイと竜胆組長と竜胆虎弥にジョン・ドゥとジェイコブそれに零と四家。あとの人間は姫宮はじめ多少は出来るはずだが、黒百合の幹部クラス程度だろうと橘は判断していた。
そして、自分達が不利だろうとも考えていた。
厄介なのは彼岸花の二人だった。まだ若く実戦経験も浅い四家と零ならばいかようにでも扱えるだろうし、年老いたヒルイと竜胆ならば長期戦に持ち込めば負けはしないだろう。しかし彼岸花の二人は違う。何よりもジョン・ドゥは自分と同じく、死屍柴ヒルイに匹敵するものと呼ばれている腕利き中の腕利きだ。実力は互角だろう。
全ては一神の敗けを考えもしなかったことが原因だった。心の中で呟き事態を打開する方法を模索していると、ヒルイの口から思いもよらぬ言葉が飛び出た。
「零! 悪いが手筈通りに……扉を閉めてくれんか?」
「……ッ! しかしご主人様、今の状況で閉めるのは――」
「よい。お主に言ってなかったが……元から三人でやるつもりじゃったのじゃ。それにのう……これは私怨でもあるんじゃ」
ヒルイが答えると、竜胆があとに続いた。
「狩谷の坊主、ヒルイはもう引退したんじゃ、お主の主は誰かよく考えるといいぞ」
「……分かりました」
三人でとはどういう事だと橘が考えていると、零は四家を押しとどめる役をジョン一人に任せ、扉の開閉ボタンに走り、手に持ったハンマーで力任せに殴った。ガガガと扉が閉まっていく。
「しまっちゃダメ!」
四家がジョンを斬りつけ部屋から抜け出そうとするが、ジョンは兎のマスクを切り裂かれながらも、四家の腕を掴み、扉とは逆方向に力任せに投げ飛ばす。
「ご主……ヒルイ様! ご武運を!」
閉まり行く扉の中、零がヒルイに無事を祈る言葉を掛けると、ヒルイ、竜胆、アンラッキーの老人三人は振り返り親指を突き出した。古臭いポーズではあるが、零はその姿に頼もしさを感じた。
扉が閉まりきる直前、ヒルイは四家を見た。扉から抜け出そうとジョンと争う四家を。
「……瑠衣……達者でのう」
その声からは死屍柴ヒルイとしての威厳も威圧感も消え去り、ただの優しい祖父の声になっていた。
私怨。
死屍柴ヒルイには息子がいた。
体が弱かった事と、自分の息子がいるとなれば命を狙われるという思いから、敵から隠し通すために、悪友であるアンラッキーに生まれてすぐに預けた息子が。
旧姓死屍柴類人。姫宮メアリー茜の夫でもあり、四家こと姫宮瑠衣の父親。
十大組織を解散したのは裏世界のためにと言ったヒルイの言葉葉に嘘はないが、彼の心の大部分を占めていたのは……息子を殺された恨みだった。
息子を殺された死屍柴ヒルイと、妻と娘を殺されたアンラッキー、そして親友の復讐に手を貸す竜胆は新五大組織の長を見据えた。
「さあ終わらせようか。十年に及ぶ怨恨を。四十に及ぶ過ちの日々を。そして七十年を越える人生を」
ヒルイは懐から木製の鞘に納められた短刀を取り出した。
「爺三人の……」
ヒルイは鞘を噛み、片手で抜刀すると、鞘を吐き捨てる。
「懺悔の時じゃ」
剥き出しになった刀身は血を吸いすぎて赤く染まっていた。




