戴冠式と言う名の開戦の狼煙7
「ワシが二十歳ちょっとの洟垂れの頃の話なんじゃが、ワシはまだ表の世界の住人でのう、力が支配する裏の世界なんか何にも知らんかった。ある日飲み屋で酔っ払って、足をふらつかせながら今まで入ったことのない細道に入り、その先にあった薄汚れたバーに入ったんじゃ。そこはのう、裏世界の人間御用達の店で、表の世界の住人はまず入ってこないような店じゃったんじゃ。そこで儂が延々仕事の愚痴を零しながら飲んでいると、人相の悪い男に絡まれてのう。ごろつきか何かかと思って困惑しておったら、ドスを振りかぶってきてのう。ワシは殺されると思ったんじゃが、近くに座って飲んでた男が助けてくれたんじゃ。その男が竜胆じゃった」
「ふっ」
っと、竜胆は懐かしむように笑った。
「その後、ワシは裏世界の存在を教えられ、ジョンに出会い、ずるずると裏の世界に引っ張られていったわい。はじめは殺しの世界など認めてはおらんかったが、裏世界が暴力を引き受けるからこそ、表の世界が安全でおれることが分かり、ワシは存在を受け入れた。それにな、裏世界の住人の中にも当たり前に家族を作り、当たり前に育てていることが分かったんじゃ」
そのこで懐かしむようにヒルイは笑みを浮かべた。けれど、「だが」と、続けると笑みを消し、瞳に悲しみを宿らせた。
「裏世界はどこまで行っても裏の世界じゃった。狂った殺し屋に海外から日本の利権を狙ったマフィアが入り込んできて、ワシが知り合った人間がどんどん死んでいったんじゃ。中には十二歳と言う子供もおった。そこでワシは誓ったんじゃ。大切な人を守るためにこの拳を振るい、裏世界の治安を守り、子供達が……誰もが笑って暮らせる裏の世界を作るとのう」
こくんと零は頷いた。ヒルイの思いに共鳴するかのように。
しかし橘は鼻で笑った。
「ふっ、馬鹿な夢物語だね。そんなのは寝小便が止まると同時に忘れちまうようなもんじゃないのかい?」
「そうじゃのう。儂がどんなに拳を振るっても助けられるのは目に届く範囲の人間だけだからのう。だから、ワシらは作ったのじゃ、同じ志を持つ人間が集まり、この東日本の裏世界に生きる人間を守るための互助会……五大組織を」
「まっ、同じ志と言っても、うちの三代目は、頑張るヒルイちゃんが好きだったから、手を貸したみたいだけどねー」
ジョンが補足と言った感じで会話に入るが、ヒルイは話を続けた。
「五大組織が出来、この東日本の裏世界は平和になった。まあ、平和といっても争いやいざこざがゼロになったわけではないがのう。それでも格段に良くなったのは間違いない。海外からの侵略は減り、西日本からの派兵も減ったからのう。東日本内でいざこざ殺し合いも早くに干渉し、甚大な被害が生まれる前に赴くことで、巻き添えを食う被害者の数も減らすことが出来るようになった。ワシはそのことが本当に嬉しかった。一人でも多くの笑顔を守ることが出来ると思ってのう。けどな、そんなのはまやかしでしかなかったのじゃ。裏世界はどこまで言っても裏の世界。血と殺戮と狂気が渦巻く世界じゃった。わしら五大組織が血反吐吐きながら守った裏世界の地面には新たな悪意の種が蒔かれ、気づいた時には手に負えないほどの毒々しい花々が芽吹いていたのじゃ」
そこでちらりと対立する組織長を見た。毒々しい花々を。
「ワシらが五大組織を作り上げたときの十倍近い数の組織が東日本には出来ておった。五大組織長とわしで何とか組織の数を減らせないかと画策したが、もう駄目じゃった。庭の片隅に生えた雑草ならば鎌一振りで排除できるが、見渡す限りの雑草は排除することが出来そうもなかった。しかもその雑草の中には毒草も混じっていて、手を出せばわしらの身も危険じゃった。だからワシらは目を瞑って見えない振りをしたんじゃ。この庭は綺麗だ、わしらが害虫の駆除をしているから、みな、力強く茎をぐんぐんと伸ばしているとな」
「それの何が悪いんだい? この世界は力が全て、あんたらが外の人間を排除してくれたから、こっちは力を蓄えることが出来た。いい事じゃないかい」
「いい事? 確かに東日本は力を付けた。しかしのう、その力は東日本の内側に向けどんどんと根を伸ばし始めたのじゃ。例えば十年前……」
そこで橘の目が変わり、腕を組んだまま人差し指を動かし、君江に合図を送った。そしてそれを見逃さなかった鏡谷も夜野に合図を送る。争いの時が近い、準備せよという黒百合の合図を。
「西日本が攻め込んできた。これは特段変わったことじゃなかった。一年か二年おきに一度は起こることじゃ。じゃがな、変わったのは東日本の毒花たちじゃ。ワシらが平和のために作った五大組織の座を奪おうと、黒百合どもが動き出した。ワシらが目を背けている間に毒花は大きく根を張り、鎌では切り取れんほどの太い茎を作り出しておった。もっとちゃんと東日本を見ておれば……もっとちゃんと手入れをしておれば……あいつらを失わずに済んだというのに」
「……あいつら?」
橘は聞き返すが、ヒルイは答えずに話を進めた。
「五大組織はあの時瓦解した。赤きガーベラは戦力を根こそぎ奪われ、戦えるのはまだ若い祥子ちゃんくらいになった。ワシらは悔しかった。五大組織があったために赤きガーベラが狙われる原因を作り出してしまった事と、黒百合を追い出す力がなかった事を自覚してじゃ。あの時ワシが単身黒百合に乗り込んでも、橘社長の前までいくことも出来んかったじゃろうし、他の五大組織の力を借りても、黒百合殲滅は難しかったじゃろう。だからワシらは泣く泣くお主ら黒百合を五大組織に迎え入れた。悔しかったが、東日本の平和のためにと大義名分を口にしてのう。けれど、その結果がどうじゃ? 今では十大派閥まで数が増え、東日本の半分近くをお主ら黒百合派閥が手にしておる。この結果を生んだのは全て、認識が甘く、この東日本を悪意の温床にしてしまった元五大組織長と、ワシ、死屍柴ヒルイのせいじゃ」




