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リアーナはふらふらと街を歩き、ランドンに唯一あるオルゴール屋から出てきた。その顔は蒼白で、まるでこの街に漂う霧と同化してしまいそうなほど憔悴していた。
彼女の手にあるオルゴールは、元々は彼女の母親のものだった。家を出て連絡を絶っていたが、つい先日母の訃報を聞き、そしてそれを教えてくれた村人が母の遺品を全てこちらに送ってよこしたのだ。その中に、オルゴールがあった。その他の遺品は全て売った。そのおかげで、家賃の支払いを心配せずに済むと、それだけでリアーナはほっとする。
まだ幼い娘は予想以上に手がかかり、誰に預けても泣き続け、仕事もできずついていなければならない。元々この街は託児所が少ない。そのためお金を稼ぐことができず、子供のミルクを買うお金ですら危うくなっていた。この街で今以上に安い家賃の家はない。それを救ったのが母の遺品だと思うと、リアーナは複雑な思いにかられる。
ただ、その遺品を整理しているときに、このオルゴールが少しだけ鳴ったのだ。まだ母と一緒に暮らしているとき、このオルゴールは鳴らなくなった。修理に出しても、なにも悪いところはないと返された。そのとき母が、小さな歯車をみつけて、「ああ、これがないから鳴らなかったのね」といった。そのときみた歯車を、たまたまみつけた雑貨店でなぜかみつけた。これがあれば、オルゴールが再び鳴るはずだった。このオルゴールが直れば、今の状態から抜け出せるはずだった。なぜなら、このオルゴールの音をきいたとき、なにをしても泣き止まなかった娘が笑ったからだ。
それなのに、この街のオルゴール屋さんも、このオルゴールはなにも直すところがない、と言われた。本当にこの歯車はこのオルゴールの歯車なのか、と。
絶望というよりも、なんとなしに疲れてしまって、リアーナは歩けなくなってしまった。
努力しなかったわけではない。お腹に子供を抱えて、女でも働ける仕事を探して、少し治安は悪くても安い集合住宅をみつけた。1人で子供を産んで、近所の人達とも仲良くなろうと、笑顔も作って、ゴミも普通に出していた。近所での集まりも最初は顔を出していた。けれど、いつまでたっても私は1人で、泣き止まぬ娘のために周囲の人からは嫌な視線を向けられて、つきっきりで生活していたら外にも出られず、ますます困窮するばかり。それでも娘が愛おしかったから、今まで耐えていたけれど……。
「……疲れちゃった」
みっともなくとも地面に座り込んで、まだ幼い娘を1人で家に置いてきてしまったけれど、それを気にする元気もなくて。
深い深い霧の中。誰もリアーナを気にするものはいなかった。そこを通りかかった、花屋の娘以外は。
「……どうしたんですか?体調が悪いんですか?」
その娘は、色とりどりの花を抱えていた。
リアーナは少し顔をあげて、首を横に振る。
「違うの。ちょっと、疲れちゃったの」
「そうなんですか。あ、本当にしんどそう……」
「あ、大丈夫です。帰ります」
リアーナはようやく足に力を入れて、立ち上がった。
そのまま立ち去ろうとするリアーナに、少女はそっと、持っていたピンクの花を差し出した。
「よかったらこれ、差し上げます」
「え?」
「あなたが少しでも元気になるように」
少女のレモン色の目が、優しげに細まる。
「あ、ありがとう」
リアーナは戸惑いつつ、その花を受け取る。その花をみつめると、唐突に自分が久しぶりに外に出たことを思い出した。そして、その花の香りがなぜかミルクの匂いがした気がして、胸がざわめく。
リアーナは家に向かって、走り出していた。