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エレナは祖父の眠る部屋で、ハンフリーから渡された手紙を読んでいた。そこにはただ、「エレナ 庭 ハンフリー 懐中時計 イライアス 万年筆 リリアン りんご」とかかれているだけだった。
ただそれだけにも関わらず、エレナは祖父がいいたかったことが、思っていたことがなんとなくわかってしまった。
もういつ亡くなってもおかしくないと言われ、ほとんど目も覚まさず何日も食事をとっていない、ガリガリに痩せた祖父がそれでも生にしがみついていた理由は、エレナだったのだと。自分が死ねば1人になってしまうエレナを心配して、彼は逝けなかったのだと。
あの3人に大切なものを触らせなかったのは、あれが家族の思い出の品だからだ。懐中時計は祖父が父親に成人祝いに贈ったもので、万年筆は勉強が好きだった母親に贈ったもの。りんごの木は大切な庭に立っている。だからこそ、それらに触れさせるのに抵抗があったのだろう。
だけど、血が繋がっていないと知っていても、祖父は3人を愛していた。可愛がっていたことに嘘はなかった。それはこの手紙に書かれている内容でもわかるし、3人が本気で祖父を慕っていたということからもわかると、エレナは思う。
「おじいちゃん。もう大丈夫だよ。私には、ちゃんと家族がいるもの」
可愛がりながらも、3人がエレナを家族として受け入れ続けてくれるのか心配していた祖父に、エレナは告げる。もうエレナの声は祖父の耳には届いていないだろう。だけど、この音なら届くはずだと、エレナは時計の振り子を揺らした。すると、時計のカチカチと時を刻む音が響き始める。初めて聞くその音に耳を傾けながら、エレナは目を閉じた。
祖父が亡くなったのは、それから1時間後のことだった。祖父が亡くなった後、金属が弾ける音がした。時計の中をみると、ゼンマイが切れていた。たった一度の役目を、そのゼンマイは果たした。
「はい、これ」
「え、これ……」
エレナが差し出したのは、懐中時計だった。
「これ、おじいちゃんからハンフリーに、だってさ」
「え、ほんとに?」
「あの手紙に、書いてあったから本当だよ」
「じいちゃん……」
祖父が亡くなって葬式も終わり、そろそろ遺言書も開示されるだろう。祖父の遺産は誰の手に渡るのか、義母はずっとそわそわしている。そんなことは関係のないエレナ達は悲しみを抱えつつ、寄り添って過ごしていた。
「あと。はい、これはイライアスに」
「え、オレも?」
「うん。万年筆。大切にしてね」
「う、うん!」
万年筆を持ったイライアスは、大事にそれをポケットにしまった。その上から手で押さえ、じっと目を閉じている。
「リリアン、庭にいこっか!」
「あ、うん!」
リリアンの手を引いてリンゴのある木まで連れて行く。その後ろを、2人もついてきていた。
「この木は、リリアンの木だよ」
「え、ほんと?」
「うん。もう、木登りもしていいし、自由に実をとってもいいよ。だけど、ちゃんと世話しないといけないよ」
「うん!わかった!」
リリアンは嬉しそうに木に抱き着いた。そのあとは、エレナにりんごの木の世話のやり方を教えてもらう。一通り終わると、エレナは3人に声をかけた。
「あのね、これから種を植えるんだけど、それを手伝ってほしいの!」
「え、でも……」
「わたしたちがやっても、いいの?」
「いいの。だって、私の大事な姉弟姉妹だもの。だから、手伝って!」
エレナは、アルトからもらった種をポケットから取り出した。
正式に開示された遺言書には、遺産を懐中時計の所有者に渡すと書かれ、遺産の管理はハンフリーがすることになった。ハンフリーはまだ幼いということで、最初は管理は義母がすることになったが、しばらくして義母がエレナへの態度を豹変させ家からの追い出しにかかったので、ハンフリーが強引に管理の権利を取り戻しエレナを守った。
エレナは、綺麗なピンク色の花をもってランドンの中を歩き回っていた。この花は、アルトからもらった種を育てて咲いた花だ。いくつかは種を腐らせてしまったり芽が出なかったりしたが、多めに種を渡されていたので試行錯誤して咲かせることができた。
今日はこれをアルトに届けようと雑貨店をさがしていたのだが、何度記憶を振り返ってその通りの道を通っても雑貨店はみつからなかった。メーヌ川沿いにあったことは覚えていたので川に沿って歩いても、全くそれらしき場所はみつからない。
エレナはこれ以上この花を持ち歩けば萎びてしまうと判断し、雑貨店を探すことを諦めることにした。
「また、買いに来るっておっしゃっていたもんね」
こちらから行けなくても、きっといつかまたあの店主には会えるだろう、とエレナは笑みを浮かべる。
霧に包まれ色の少ないランドンに、鮮やかな優しいピンク色が添えられていた。
第2話 バネ 終了でございます。ここまでありがとうございました。