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テラスで祖父の膝の上に座っている、幼いエレナがいた。
「おじいちゃん、あのおじいちゃんの部屋の時計はどうして動かないの?」
「ああ、どうしてだろうね。何度も修理に出してるんだが、すぐ壊れてしまう」
「じゃあ、どうしてずっとあそこのおいてあるの?」
「おじいちゃんのお気に入りの時計だからだよ。あの時計の音が好きでね。あれはおばあちゃんがおじいちゃんのところに来るときに、嫁入り道具としてもって来たんだ」
「よめいりどうぐ?」
「ああ。エレナが嫁に行く時もきっと持っていくだろうな」
「お嫁さんー!」
「でも、エレナがお嫁さんになったら、おじいちゃんは寂しいな」
「むー。じゃあ、わたしがお嫁さんになっても、このおうちにいるよ!そしたらおじいちゃんも、お父さんも、さみしくないでしょ?」
「ははは。そうかそうか。それは寂しくないなぁ」
「うん!」
「……死ぬまでにもう一度、あの音が聞きたいなぁ。もし、あの音が聞けたら、もう思い残すことはないな」
庭を眺めながら、祖父はそう言っていた。
エレナが目を覚ますと、のどに張り付くような渇きをおぼえた。体は熱く、火照って気持ちが悪い。
いろいろ考えすぎて熱を出してしまったエレナは、動かない体に水を飲むことを諦めた。ベッドに横になりながら、今みていた幼いころの記憶が浮き出た夢を、忘れないように何度も反芻する。
あれは父親が再婚する前の記憶だった。あの頃は祖父も、まだエレナのことをエレナとちゃんと名で呼んでいた。
ではなぜ孫と呼ぶようになったのか。それは、今はエレナの部屋の机の引き出しの一番下にしまわれている「血縁調査書」をみて、エレナは理解した。ハンフリーもイライアスもリリアンも、実質的には祖父の孫ではなかったのだ。祖父と直接血の繋がった存在は、もうエレナしか残っていない。孫と呼べる人間は、エレナしかいない。しかしそれはエレナとて同じことだった。3人の弟妹達はこれまで腹違いの兄弟だと思っていた。しかし、父親が違うとなるともはや、全く関係のない他人ということになる。だから、祖父が亡くなればエレナは1人になってしまう。
義母は今まで、エレナには優しく接してくれていた。しかし、祖父とは仲が悪かった。
もし今祖父が亡くなってしまえば、エレナは祖父のこの家で居場所を失うかもしれない。
そこまで考えると、いろんなことが恐ろしく思えて、ぎゅっと目をつむった。
目を閉じているといつの間にかエレナは眠ってしまった。再びふっと意識が浮上したとき、額に冷たいなにかが乗せられるのを感じる。
「熱、下がらないな」
「お姉ちゃん、今日はほとんどなにも食べてないよ」
「目を覚まさないと、薬も飲めないし……」
3人の慣れ親しんだ声が聞こえた。
「熱出たときって、他になにかできることなかったっけ?」
「静かにしろよ。寝てるのが一番いいんだから」
「でもさー」
「しー!水を変えたらすぐに部屋を出なさいっていわれたのに、ずっとこの部屋にいるのお母さんにバレちゃうよ!」
「う、ごめん」
「……あ、りんごをすりおろしたのとかどうかな?」
「いいけど、だからそれは姉さんが起きないと意味ないだろ?」
「でもでも、姉ちゃんが起きるまでに用意しとかないとさ」
「まあ、確かにそうだな」
「じゃあ、私が用意してくる。りんごの木に触っていいのは、わたしとお姉ちゃんだけだもんね」
「おい、調子に乗るなよ!」
静かに、と言ったにも関わらず、小声でも騒がしい3人の声を聴きながら、エレナは胸が温かくなった。
姉さん、姉ちゃん、お姉ちゃん。ハンフリーと、イライアス、リリアンは、エレナのことをそれぞれそう呼ぶ。自分のためになにかしようとしてくれること、姉と呼んでくれること。それがエレナは嬉しくてたまらなかった。
次回で二話完結です。