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珍しくその日は晴れていた。それでも夕方には必ず霧が漂う街、ランドンの石畳の道を、弾む足取りで歩く少女がいた。彼女は胸に大事そうに紙袋を抱え、二回エレベーターに乗る。そしてシャインフィードと書かれた表札の掲げられている家に入った。
「ただいまー」
家に入ると、被っていたお気に入りの麦わら帽子を脱ぎ、彼女は二階へ駆け上がる。そしてとある一室に入ると、レモン色の目を細めてにっこりと笑った。
「ただいま、おじいちゃん」
日の差し込む窓。白いカーテンが風に揺れるその部屋で、1人の老人がベッドの上で眠っていた。
「……ハン……リー。……ライアス…。リリ……。……ご」
老人は寝言をいった。少女には、老人がなにを言っているのか、すぐにわかった。
ハンフリー。イライアス。リリアン。孫。
老人はそう言ったのだ。
その寝言を聞いて、少女は少し寂しく思った。ハンフリーもイライアスもリリアンも、全てこの老人の孫の名前だ。彼らは少女にとって弟妹にあたる。そして最後に呟かれた孫、という言葉。それは少女のことを指していた。
少女の名前はエレナ。このシャインフィード家の長女だった。エレナと祖父は仲が悪いわけではない。むしろエレナはよく祖父を慕い、祖父もエレナを可愛がった。けれども、祖父はエレナの名前を呼んだことはない。他の孫達はちゃんとその名を呼ぶのに、エレナのことだけはずっと孫と呼ぶ。それは緩やかに死に向かい行き、もはやほとんど目を覚まさなくなった祖父のうわ言でも言われるほどの、徹底ぶりだった。
エレナは気を取り直し、腕に抱えていた紙袋からバネを取り出した。今日、たまたまみつけた雑貨屋で購入したものだった。
この部屋には一つ、ゼンマイ時計が置いてあった。祖父からきいた話によると、もう動かなくなって20年経つという。そしてこの時計は何度修復しても、ゼンマイ部分に問題が出て、この時計独特のカチカチという音が鳴らなかった。まるで時計自体が音を刻むのを拒むかのようだ。
それでも祖父はこの時計を気に入っていて、決して捨てるようなことはなかった。死が近づく祖父に、どうかこの時計の音を聞かせたい。そう思って、エレナは、ゼンマイの形をしたバネを握りしめた。
ゼンマイとは、渦巻き型をしたバネの一種です。今回出てきた時計は、ゼンマイ時計です。