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メーヌ川の、舗装された石畳の上。そこには今日も人知れず、繊細な蔦の絡まる鉄の装飾を施された看板が立っていた。その看板には、アルケミリア雑貨店、と書かれている。
開け放たれたドアから中へ入ると、最初に目に入るのは店の奥の暖炉。今は働く人々が束の間の昼休憩をとる時間で暖かく、使われてはいない。
その隣にはカウンターがあった。古びたカウンターは使い込まれながらも日々手入れされていてまだまだ使える。そしてそこにおかれたレジスターの隣には、シルクハットを被り、レンズの入らない片眼鏡をかけ、白いシャツと狩人が着るような茶色の服を着て、緑色の靴下に、黒いスリッポンを履く珍妙な男性が片腕に頭をのせて伏せ、だらけていた。
彼の名はアルト。この雑貨店の店主である。
「まーた来たんですか?相変わらず暇ですねー、レイヤード警部」
アルトが呆れた視線をむけた先には、くたびれたコートを着たくたびれた男が、この店にしては珍しくまともな椅子に座っていた。
まともとはいっても、年代物であることには変わらないその椅子は、ところどころ傷がついている。売り物にはならないだろうその椅子がまともといった原因は、この店の商品にあった。
すりきれたバネ。割れた花瓶。用途不明の歯車。折れた編み棒。血で汚れたトゥーシューズ。音の鳴らないバイオリン。カバーのはがれたソファなど、この店の商品はおよそ、普通の店には置いていないだろうものが商品として並べてあるのだ。
「午前の仕事は片してきたさ。今は休憩時間だ」
レイヤード警部は顰め面で返した。相変わらずふざけた品ぞろえの店だ。
「おまえこそ、珍しく今日は店にいるんだな」
「ええ、今日はね」
アルトは軽く笑って答えた。
このアルトという男はこの店の店主であるくせに、滅多に店にはいない。看板は出しているものの、いつも出かけていて、そしてさらにこの店に並ぶようなガラクタを拾って帰ってくる。
レイヤードがこの店を訪れていても、その日は1日アルトに会わずに終わることもある。そんな男が、今日はだらけているとはいえ、ちゃんと店番をしていた。
「ふん。こんな店、客なんか来ないだろうに。おまえがそんな珍しいことをすると、雨が降るぞ」
「えー、今日はこんなに晴れてるんですよ。そんなわけはないでしょう」
アルトはだらけたまま答える。
「それに今日は、お客さんが来るかもしれないじゃないですか」
「はっ!そんな都合のいいことが……」
レイヤードがそういいかけたとき、強い日差しで濃くなった人影が、看板に近づいた。そしてその人影は店に視線をむけ、なかに入る。
「こんにちは。あの、このお店は開いていますか?」
涼しげなレモン色の瞳と、すっきりしたショートカットの少女が、店へと一歩入る。
「ええ。ようこそ、アルケミリア雑貨店へ。どうぞゆっくりとご覧ください」
レイヤードがいつもより多い眉間の皺を刻んで目を閉じているのを横目でみつつ、アルトは先ほどのだらけた態度が嘘のようにぴっしりと背筋を伸ばし、腰を折った。
少女はゆっくりと店をみて回った。商品と呼ぶにはいささかどころか、破綻しているであろう物達を、興味深げにみてまわる。
虫に喰われたタペストリー。得体の知れない液体が入ったガラス瓶。中が白紙の古びた本。縁のない楕円形の巨大な鏡。店の天井のさらに上には人々が行き交う道路があるはずなのに、窓から差し込む光がそれら商品に降り注ぐ。
そんな不思議な物達をじっくりみたあと、少女が足を止めたのは、擦り切れたバネの前だった。少女はそれをじいっとみつめ、アルトに視線を振る。
「どうぞ、手にとっていただいても構いませんよ」
少女は頷くと、そのバネを手に取った。それをしげしげとみつめ、なでると、少女はそれを持ってカウンターに置く。
「これをください」
「……そのバネは、使われ過ぎてあとせいぜい一度か二度使えば折れる代物ですが、よろしいですか?」
「一度……」
店主の確認の言葉に、少女は悩むようにそれをみつめる。しかし意を決して顔をあげると、はっきりと買います、といった。
少女の店から出る背中を見送り、アルトはにやりと笑ってレイヤードをみる。
「ほら、お客様が来たでしょう」
「……」
レイヤードもまた少女の背が消えるのを見送り、低くうなった。すると、あれほど明るかったドアの向こうが薄暗くなり、ぽつりぽつりと石畳にしみができる。そして小雨が降り出した。
「ほら、誰かさんが珍しいことをするから、雨が降り出したぞ」
「……」
アルトはなにも答えず、ドアのむこうをみつめる。その顔は無表情だった。
レイヤードの眉間には、皺が一つ、減っていた。