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秘密の手記  作者: 伊代
4/4

一年三組、宇崎 ミミカ。

*女子生徒の秘密の関係について

 六月。

 ジトジト蒸し暑い日が始まった。


 うちの学校ではウサギを飼育している。小中学校では何らかの動物を飼育しているものだが、高校では珍しいのではないだろうか。

 俺は英語教師をする傍ら、飼育委員会も担当していた。


「半織先生、ウサギ小屋の鍵もらいに来ました~」

 放課後、委員の当番になっている一年三組の宇崎ミミカが職員室にやってきた。

 宇崎は割と派手な見た目(顔の造りや雰囲気がぱっとしている)で、物怖じしない性格なのか教師とも対等に話そうとする生徒だ。


 飼育委員は通常三~四人のグループが毎日交代で世話をする決まりだが、偶然彼女以外の当番が欠席してしまったらしい。

「俺も手伝うよ。一人じゃ大変だろ?」

 デスクから鍵を取り出し立ち上がると、宇崎は大きな瞳をぱちぱちとさせた。

「へー、先生って意外と優しいんだねー。あ、それとも私に気があるとか!? キャー」

「バカなこと言ってんな。ほら行くぞ―――ってか、オッサンからかって何が楽しいんだよ……」

 立ち上がり職員室を出ようとしたところで、後半は独り言のように呟いたのだが宇崎にはきっちり聞こえていたらしい。

「先生まだ二十代でしょ? 全然オッサンじゃないし。むしろストライクゾーン」

 またふざけやがって、と振り返ると、意外なことに宇崎はごく真顔をしている。

「…………」

 何と返事をして良いのか分からずに本気で困っていると、それに気付いた宇崎はクスクスと笑う。やっぱりふざけていたのか。

―――ったく、高校生におちょくられるってどうなんだよ、俺。


**


 ウサギ小屋は中庭の片隅に建っている。住人(住兎?)は現在ラッキーセブンの七羽。

 一応全羽に名前がついていて、小屋の前には記名入りの写真が貼られている。

「お待たせー! ごはんだよ~」

 鍵を開けると、早速宇崎が餌やりに取りかかる。俺はホウキを取り出して小屋の掃除を始めた。

 飼育委員の担当をして二年目になる俺でも良く似ていて見分けが難しい個体もある。けれどしゃがみこんだ宇崎は一匹一匹名前を呼びながらニコニコと背中を撫でてやっている。


「よっぽど好きなんだな」

「えぇー? 先生の顔はそこそこ好みだけど、私ちゃんと愛する彼氏がいるしぃー」

「ち・が・う! 兎だよ、兎!」

「ぷぷぷ、分かってるって。せんせ、赤くなってるよ。可愛い~」

 だぁー、またしてもからかわれた。ホウキに体重をかけて脱力する。

 そんな俺を見てまだ笑っていた宇崎だが、ふと真顔になって兎を膝に乗せて撫でながら話し出した。


「でもねー、動物って愛情掛ければ掛ける程懐いてくれるでしょ。面倒な感情がないから裏切ったりもしないし。だから安心して好きになれるんだよね」

(やけに含みのある物言いをするな……)

 落ちたトーンでどこか遠い目をする彼女は、いつもとまったく印象が違って見える。

 それきり黙ってしまった宇崎の横顔がとても寂しそうで、俺は敢えておどけて言ってやった。


「そうかー? 分からんぞー、ソイツも『早く降ろしてメシ食わせろよ』って怒ってるのかもしれんし」

「え、ウソっ」

 慌てたように兎を膝から降ろしてやる宇崎に、わざとニヤリ顔を作って向ける。

「なーんてな。犬もただメシをくれる人間より、散歩に連れていってくれる人間のが好きだって聞いたことあるし、やっぱり愛情が一番なんじゃないか?」

「先生、騙したの? ヒドい~」

 頬を膨らませる宇崎に、今度は俺が笑う番だった。


**


 金曜。

 高校時代から続く腐れ縁の友人、上瀬ヤマトから連絡があり、仕事帰りに駅前の居酒屋へと向かった。

 上瀬は貴重な気が置けない友人で、こうしてたまに連絡を取り合ってはふらりと飲み交わす仲だ。

(大きなお世話かもしれないが、この手記を読んでいる君が間違えているといけないから教師魂を発揮して注意させてもらうと『気が置けない』というのは『遠慮がない』という意味だ。『気が許せない』と混同して反対の意味だと勘違いしている人が多いので気をつけよう)


 酒のつまみは、お互い仕事の愚痴だったり、彼女についてだったり。

 上瀬は高校の同級生だった彼女と良い感じらしい。俺にとっても同級生だったのだから彼女の名前は覚えている。けれど顔はおぼろげにしか思い出せない。

 当時から付き合っていたわけではないが、卒業後に偶然入った近所のファミレスでバイトのウエイトレスをしていた彼女と再会して盛り上がったのだと言う。なんとも幸せそうなノロケ話ばかり聞かされた。

「半織はどうなんだよ? ピチピチギャルがよりどりみどりじゃねーの?」

「その言い方オッサンか! 大体それ、犯罪になっちまうって」

「なぁに言ってるんだよ! 今一年生だとしても、二年も待てば結婚出来るんだから、良い子居たら狙っとけって」

「おまえ、人事だと思って簡単に言うなよなー」

 でも、もう五年も彼女不在なわけだし、おせっかいに心配されても仕方ないのかもしれないな……。


 そうやって昔話や現状やらに花を咲かせて良い気分になってきたのは二十三時過ぎ。

 少々ふらついている上瀬と「また会おうな」と駅前で別れた。


 駅からマンションまでは歩いて二十分足らず。歩いて帰ると酔いをさますのにはちょうど良い距離だ。

 駅前の大通りから少々怪しげな裏道に入り、満月を見上げながらノロノロと歩いていると、言い争う声が聞こえてきた。


 目を向けると、一組のカップルがホテルの前で揉めている。

(痴話喧嘩かよー、どこか余所でやれって)

 俺は無関係。顔を背け、足早にイヤだイヤだと通り過ぎようとした―――が。


「なんで? だからもうお終いだって言ってるじゃない!」

(―――ん? この声って……)

「いやだ! 僕は絶対諦めないからな!」


 そっと窺うと、OLが好むような私服と化粧のせいで普段の数倍大人っぽく見えるものの、女の方は確かに飼育委員の宇崎ミミカだ。

 相手は、どう見ても俺より十歳は年上だろう。なかなか良さそうなスーツを着ているが、ほんのり腹が出てきたのが隠しきれないサラリーマン。

 援交とかJKなんとかとか―――いかがわしい何かだとしか思えない。

 これは立場上、放っておくわけにはいかない。


「あー、宇崎だよな? こんな時間にどうした。何かトラブルか?」

「せ、先生!? 良かった、助けて! このオジサンしつこくて!」

「そ、そんな―――」

 俺の背に回って隠れる宇崎に、焦ったように手を伸ばすサラリーマン。それを精一杯睨め付け制した。

「私は彼女の学校の教師です。失礼ですが、彼女に何か―――?」

「ッ! い、いえ……」

 男はそのまま固まったように動かなくなる。

 内心で舌打ちをしながらそれに一瞥をくべると、彼女の肩に手をやって明るい大通りへと連れ出した。


**


「ありがと、先生。助かった~」

「助かったじゃない! こんな夜中にそんな格好でウロウロしてるから、ああいうのに声掛けられるんだろ! 普通なら生徒指導室まっしぐらだぞ! とにかく親御さんに連絡する!」

「えっ、無理」

「……なんだよ無理って」

「だって連絡取れないから」

「は……?」

「とにかく、ありがと。またねー」

「あっ、おい!!」

 宇崎は明かりの灯る商店街を走って行ってしまった。なんだったんだ、一体。


**


 月曜、宇崎の担任に話を聞く。

「宇崎の家庭って何か問題でもあるんですか?」

「あー、彼女の保護者とは一度も連絡が取れなくて困ってるんですよ」

「一度も……?」

 入学式の後に家庭訪問があったはずなのに。


「ええ。彼女、入学式も一人で来てましたし、家庭訪問の連絡をしたくても電話は通じないし書面にも返事がなくて。どうなってるんですかねぇ……」

「本人はなんと?」

「親は仕事が忙しくて時間が取れないのだと、庇うようなことを言っています。でも―――」

 担任教師は急に小声になり、身を乗り出し周りをはばかるように、こそっと告げる。

「噂によると酷い放任主義なのだとか。両親とも自宅に戻らず遊び歩いているって聞きました」

「なんですかそれ! ネグレクトで通報した方が良いんじゃないですか?」


 ネグレクトとは育児放棄のことを言う。幼い子供に食事を与えず餓死させてしまうような悲しいニュースが流れることもあるが、それもネグレクトの一例だ。

「でも、本人が否定している上に単なる噂ですからね……難しいところです」

「―――そう、ですね」


 こういった家庭の問題は放置してもいけないが、立ち入りすぎてもいけない。

 宇崎の場合、本人が元気そうに通学しているのだからそれほど心配はないのかもしれないが―――週末の出来事を思うと、どうにも気になる。


 親に放置されていることが原因で、ああしてまやかしの愛情を求め歩いているのではないだろうか。

 そうだとするならば、ウサギ小屋で寂しげに語っていた愛情云々の内容とも関連づけられるじゃないか?

―――そう合点した俺には、もはや宇崎を放っておくことはできなかった。


**


 その機会は意外にも早くやってきた。

 放課後の部活動が終わり、生徒もまばらになった十九時過ぎ頃。

 二階の廊下から、ふと校門へと視線をやると少し離れた場所に黒塗りの高級車が横付けされていた。その前をウロウロする男が一人。

(あいつ……)

 それはあの夜、宇崎に絡んでいたサラリーマンだった。


 間が悪く、ちょうど校門を出る宇崎が見えた。男が駆け寄る。何か口論しているようだ。

 俺はすぐさま階段を駆け下り、靴も履き替えずに二人の元へと走る。

 宇崎の手首を拘束する男。顔が近付く。それはまるでキスを迫っているようで―――。


「やめろー!」

 猛ダッシュで二人の間に割り込み阻止。

 間に合ったあぁぁ!

 やったぜ、俺!


「まだウチの生徒につきまとっていたんですね。今のは強制わいせつ罪及び青少年保護育成条例に反する行為だと思いますが、通報させて頂いても構いませんかね?」

 胸ポケットから携帯電話を取り出し見せつけると、男の顔がサッと青ざめた。唇をわなわなと震わせている。


「ち、違うの―――! 先生、やめて」

 被害者のはずの宇崎が俺の腕にしがみついて電話番号をプッシュしようとする指を止めた。

「こんなエロ親父庇うことないぞ」

 しかし宇崎の両目からは涙がこぼれていて、ふるふると首を横に降り続けている。

「違うの、本当に違うの! この人、彼氏なの!」

「はあああぁっ!? 何言って―――」

 るんだ、と続けようとするが、宇崎自身がまだ青ざめているサラリーマンの上品な紺色のネクタイを引っ張り引き寄せると、自ら男へと唇を押しつけた。

「ね、ほら、本当なの! 信じて!!」

「………………話を聞こうじゃないか」


**


 男の運転する車に乗り、三人で個室のある料理屋へと入った。

 この男、良いスーツに良い車でいかにも金持ちだろうと思っていたが、ここもかなりの高級店だ。


「申し遅れました。私、根村タダシと申します。×○会社の副社長をしております」

「×○会社ぁ!?」

 思わず大声を出してしまった。×○と言えば、全国的に名の知れた有名文具メーカーだ。その副社長がこんな若い男だと!?

 信じられないが、差し出された名刺は確かに本物なようだ。


「ミミカ―――宇崎さんとは、二年前から真面目にお付き合いさせて頂いています」

 おいおい、二年前って。根村と、その横でちょこんと大人しく正座している宇崎とを見比べてしまう。

「その頃って、宇崎が中二になったばかりですよね……?」

「……はい。そうなりますね。実は、私は途中まで彼女を大学生だとばかり思っていたんです」

「はぁ、まぁ―――それはなんとなく分かります」

 私服で化粧をしていたらそう見えないこともないだろう。実際に彼女を知らずに町で見かけたら俺もそう思うかもしれない。


「まだ中学生なのだと知った時は、彼女にすっかり惚れてしまった後でした。ですが、もう後戻りは出来ませんでした」

 ちらりと横目で宇崎を見る根村は、確かに誰がどう見てもデレデレだと分かるほどに鼻の下が伸びきっている。

 宇崎の方もその視線にニコリと応えてやっている。どうやら相思相愛のようだ。


「ところが、彼女と付き合いだした頃から、この歳で独身だということを懸念した周囲から、見合いを勧められることが多くなりました。

 しかしまさか付き合っている彼女がいて、それが中学生だなどと知られては拙いと思い、ハッキリとした理由は言えないまま、やんわりとお断りしていました。

 だから、全部僕が悪かったのです」

 いつの間にか一人称が私から僕に変わっているが、それにも気付かないようで彼は苦渋の表情で宇崎の手を握る。

「とうとう、社長から娘さんを紹介されたのです。立場上、断ることが難しくなり、どうしたものかと悩んでいるのをミミカに知られてしまいました。

 彼女はそんな僕に別れ話を切り出しました。僕を困らせないためです。しかし、僕はミミカを愛している。

 だから、社長にはどうにか話をつけるから、別れるなんて言わないで欲しいと―――そう迫っていたのが、先生に見られたあの晩です」


 言葉を切った根村に、俺は首を縦に振った。話の筋は通っている。

「根村さんの言い分はよく分かりました―――それで間違いないのか、宇崎?」

「………………うん。最初に中学生だって言わなかった私が悪いんだし、タダシ君の迷惑になりたくなかったから」

―――タダシ()か。いいなぁ~……ってそうじゃなく。

 つまり、彼らは幸せな秘密(・・)の関係ってわけか。

 宇崎の両親の噂はまた別問題だが、根村に関しては俺が勝手に大きなお世話を焼いただけってことになる。


「はぁ~~、なんだよー」

 一気に脱力し、後方の畳に両手をついて天井を仰ぎ見ると、大きな溜息が出た。

「先生、巻き込んじゃってごめんね。私、もう別れるしかないって思ってたから……」

 しゅんとする彼女には自分の行動が誤解を招くものだったという自覚があるのだろう。

「あー、良いんだよ。宇崎は自分で考えて良いと思った行動をしただけだろ。

 だけどな、もうちょっと大人を頼れ。おまえにとって、根村さんは頼れる男なんじゃないのか?」

 テーブルの向こう側で見つめ合う二人は頬を染める。言葉はなくとも想いは通じ合っているらしい。

……幸せそうだなー。羨ましいなー。


「だけど根村さん、流石に学校の前でああいった行動は拙いですから、これからは場所を考えて下さいね」

「あ……申し訳ありませんでした。もう気が気でなくて、余裕がありませんでした。ハハ、良い歳したオジサンが、お恥ずかしい限りです―――」

「タダシ君はオジサンじゃないよー!」「そ、そうかぁ」「そうなのー」「もう、ミミカは可愛いなぁ」

 いちゃいちゃべたべたいちゃいちゃべたべた。

 根村と宇崎は二人だけの世界へ飛んで行きました。さようなら。


 その後―――。

 俺は心と耳に蓋をし、続々と運ばれてくる高級料理を黙々と完食することだけに集中したのだった。



   一年三組、宇崎 ミミカ。完

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