一年一組、藍田 ナミ。
*一見物静かな女子高生の秘密の実態です
四月。
新入生の教室で、全く把握出来ていない生徒を指名するのは苦手だ。
だから出席番号が一番の奴からとりあえず当ててみる。
「ではこの訳を―――藍田、やってみろ」
音も立てず静かに席を立ったのは、一番後ろの席に座る女子だった。
艶のある真っ黒なストレートの髪が見事な上、整った造詣をしている。切れ長の二重の瞳が、彼女をだいぶ大人びて見せていた。
(へぇ、綺麗な子だな)
高一にはとても見えず、ハタチの社会人だと言われても不思議ではないような落ち着きっぷり。
それに髪型も併さってまるで日本人形のようだ。
「………………」
藍田は口を開いて一応発言しているようだが、声が小さすぎて全く聞こえない。
「? おーい、聞こえんぞー」
仕方なく教壇を降りて彼女の近くへと歩み寄り、隣に立ってやっとその声が聞き取れた。声が小さいだけでなく、低く掠れていて間近でもかなり聞き取りづらい。
「……この私に向かって命令するとは命知らずな男。今日中に、貴様には禍が降りかかろう」
伏せた顔でチラリと横目で見られて、ゾワリと背筋が泡だった。
(こわッ!! なんだこの子……中二病か? 最近本当多いよなぁ)
中二と名前がついているものの、高三でも同じような感じの生徒も多い。
けれどここで折れては嘗められるだけだ。
「―――訳は?」
「……。」
「分からないのか?」
「…………。」
「藍田?」
「………………私の妹によって、それは壊されました」
「ああ、正解。出来るんじゃないか、完璧だ。ただ、今度はもう少し大きい声で発表してくれると嬉しいな」
生徒は褒めて伸ばす主義だ。
そんな俺を鬱陶しがる生徒もいるが、心の奥底では褒められて嬉しくない人間はいないと思う。
藍田も言葉を詰まらせてサッと顔を背けたが、そんな態度でも別に構わなかった。
***
授業が終わり、職員室に戻ると一年一組の担任がパソコンの前でプリントを作成していた。ちょうど良いので聞いてみることにする。
「先生のクラスの藍田って、いつもあんなに声小さいんですか?」
「あー。彼女、喋らないんですよね。呼べば小さく『ハイ』って返事だけはするけど、それ以外できちんと声を聞いたことはありませんよ」
「え、そうなんですか? しつこくしたら一応英訳しましたよ」
すると担任はパソコンから視線を外して「へぇ」と軽く驚いた声を上げる。
「じゃあ、緊張してるだけなのかな。まだ入学して一ヶ月も経ってないですしね」
「なるほど」
恥ずかしがり屋という感じではなかったが、世の中にはそういう照れ隠しもあるのかもしれないなと深く考えないことにした。
***
昼休みは英語の教科準備室でコンビニ弁当を広げるのが日課だ。
大抵の教師は職員室で昼食を摂るが、俺は一人でゆっくりする時間が欲しくて、教師になったばかりの頃からの習慣になっている。
小さな机でベージュ色のカーテンが揺れる窓から外を眺めつつ、大して旨くもないハンバーグを口に入れ咀嚼する。
この部屋にコーヒーメーカーでも置ければ良いのだが、学校側から認めては貰えないだろう。
素っ気ない食事でも、旨いコーヒーがあれば満足できるのに……。
「あー、コーヒ……ぃぃぃっ!?」
ポトリと割り箸を弁当の上に落としてしまった。
カーテンの隙間から、突如ぬっと缶コーヒーが出現したからだ。
その横に、壁に隠れて半分だけ見えている無表情ながらに整った顔は―――藍田ナミ。
今朝の印象が強すぎて、早速顔と名前を覚えてしまった。
「あ、藍田? 何してるんだ―――?」
恐る恐る話しかけてみると、彼女はまたしても伏せ目がちに、例の低く小さな声で「禍だ」と応えた。
悪いが、さっぱり分からない。
「禍って、何のことだ?」
「コーヒーだ」
「―――いや、コーヒーは見れば分かるが……」
「受け取りなさい」
「……は!? いやいや、生徒から奢られるわけには」
それに『受け取りなさい』って、なんで上から目線?
躊躇していると、何を思ったのか、彼女は突然スカートの裾をグイと持ち上げた。形の良い真っ白な脚が太股まで剥き出しになる。
(おいおい、何してんだ。パンツ見えるだろ)
見るのは嫌いではなく、寧ろ大歓迎。だが立場上慌てて視線を逸らす。惜しい。
その隙に彼女は強引に窓を全開にして準備室へと進入を謀った。
「……お、おい?」
後ろ手に窓をキッチリと閉め、何故か鍵まで掛ける彼女。
何か嫌な予感がし、思わず後ずさった俺の目の前で彼女は仁王立ちになる。
そして片手を腰に当て、もう片方の手で缶コーヒーを鼻先に突きつけてきた。
「これは奢りではない。禍だ。だから貴様は受けとらねばならない。さもなくば 大 声 を出す」
「ええええええぇぇぇ……」
声は小さいのに、言っている内容は大きすぎる。
ナニコレ。俺、脅されてんの?
だって目がマジだしな……。
いや、そういえば彼女からはふざけているとしか思えない台詞ばかりを聞いているが、真面目な顔しか見ていない気がする。
「……受け取れば、大人しく教室に戻るな?」
すると、尊大とも言える態度で大きく頷く彼女。その手の中の黒い缶に意識を集中し、怖々と手を伸ばす。
(『禍』って、毒とか入ってないよな……?)
そんなことを考えていたら、指先が触れた。瞬間、藍田が大きく肩を跳ねさせる。
「! ひゃぁっ」
―――え?
年相応の、女子高生らしい可愛らしい声に驚いて顔を上げる。
缶コーヒーを放り出し、ドアから逃げるように走り去って行った彼女の顔は真っ赤に染まっていた。
「………………うあ、やっべぇ」
今時小学生でも有り得ないような可愛すぎる反応に、ドクリと胸がざわついた。
これがギャップ萌えというヤツか?
けど、教師としてはこーゆー感情を持つのは拙い。
そう分かっているのに、目元まで赤くしていた彼女の顔はなかなか脳裏から離れてくれそうになかった。
一年一組、藍田 ナミ。完