3
自室のドアを開け、壁に凭れかかるようにして灯りのスイッチを押す。
闇は嫌いだ……。何かに掴まらないと、取り込まれそうになる。何に取り込まれるというのか、何故こんなにも怯えているのか、自分でもまったく解らない。
壁にピンで無造作に貼った、孝亮と二人で撮った写真に目を向けて、俺は口許をゆるめた。
あいつがいたら、笑い飛ばされるだろう。いや。あいつさえいれば、闇だって怖くはないだろうか。
「よっと」
俺はバスタオルを床に放って、濡れた髪のままベッドへと飛び込んだ。
『じゃあ……今夜な』
不意に、征志の言葉を思い出す。そう言い放った征志は、訊き返す俺を振り返りもせず、ヒラヒラと手を振って行ってしまったのだ。
「言い間違い、だよなぁ……?」
どうもそうでないような気もするが、夜の十時を過ぎたこの時間に、征志が訪ねて来るとも思えなかった。
「まあ…いっ…かぁ…」
そんな事より、ひどく眠い。
心なしか、体が熱っぽい気もする。手の甲を額に乗せて、静かに目を閉じた。
沈み込んでゆくような感覚。音もなく、闇に包まれた『視界』が廻る。
「いま……行くから…」
無意識に呟いた台詞が、声となって出たのか、それとも心の中だけで呟いた言葉だったのか……。
その意味すらも解らぬまま、俺は、どっぷりと闇に浸っていった。
「とも…ひろ」
声が……。意識が……。強い言葉が俺を揺さぶる。
『ともひろ』
どこか不安げで、それでいて力に満ちた強い意志。この強い魂を、俺は知っている。懐かしい、遠い……遠い……記憶。
「鏑木!」
聞き慣れた声に、俺はハッと意識を戻した。
ガッと強引に見開いた目に映ったモノ。それは、俺の腕を掴む見知らぬ同年代の男と、そいつをこれ以上ないくらいに睨みあげる、征志の姿だった。
「……あ?」
間抜けな声をあげた俺を、二人が同時に振り返る。
その二人の向こうに見える景色に、俺はさらに情けない声を出した。今の今まで家の、それも自分の部屋にいたはずなのに、ここは。
……あの、例の銀杏の樹の下?
そこに俺は、薄いTシャツに短パンのまま、裸足で立っているのだ。
「僚紘!」
「鏑木!」
二人が同時に叫ぶ。その二人を交互に何度も見た後、俺は見知らぬ男の方で視線を止めた。
男が、ぎこちなく俺に笑いかける。
「…あんた。……誰だ?」
俺の言葉に頬を引きつらせた男は、指が食い込むかと思う程、強く俺の両肩を掴んだ。
「うそだろぉ! 僚紘ッ」
男の口から、悲鳴のような声が洩れる。膝の力が抜け、崩れそうになる男の肘を、慌てて支えてやった。
イマイチ状況が呑み込めない。仕方なく、征志の方へと目を向ける。征志はキュッと唇を引き結び、哀れみのこもった目でジッと俺の腕の中で震える男を見据えていた。
「鏑木。そいつは……」
「だまれぇーッ!」
征志の言葉を、男の鋭い声が遮った。男は一瞬俺を見てから勢いよく振り返り、征志へと飛びかかる。
「お前が! お前さえ、邪魔しなければッ!」
一瞬俺を見た瞳には、涙が浮かんでいた。俺を責めるでなく、それはただ絶望に彩られた、灰色の瞳。
「おい! ちょっ…と!」
征志の胸倉を掴む男を、後ろから捕まえる。
「どうなってんだよ」
俺の腕を剥がそうと暴れる男を抱えたまま、征志に声をかける。
「こいつは、昼間この銀杏の樹にいた奴だ」
「うるさいッ! お前の所為だ。僚紘は言ったんだ、俺と一緒に逝くって!」
「えっ…?」
緩んだ俺の手に男が振り返り、グイッと俺の手首を引っ張った。
「僚紘。ほんとに俺を忘れたのか?」
縋るような男の目が、必死に訴えかけてくる。
「何、言って……」
見覚えもない男にそう言われても、俺は何も知らないのだ。