世界が滅びると知っていた俺は、名前のない猫を拾った
「3日後、この街は消える」
それを知った日の夜、俺は逃げることにした。
異世界に転生して17年。
俺には1つだけ、誰にも言っていない能力があった。
《結末閲覧》。
触れたものが、どういう結末を迎えるのか分かる。
剣に触れれば、誰を殺すのか。
商人に触れれば、いつ破産するのか。
恋人たちに触れれば、いつ別れるのか。
そして、人に触れれば——いつ、どうやって死ぬのか。
最初は便利な能力だと思った。
実際、便利だった。
事故を避け、裏切る人間を遠ざけ、値上がりする土地を買った。
17歳になる頃には、小さいながら屋敷も持っていた。
けれど1つだけ、俺は学んだ。
未来は、変えられない。
いや。
正確には、変えようとすると、もっと酷くなる。
7歳のとき、川で死ぬはずだった友人を助けた。
翌日、そいつは馬車に轢かれて死んだ。
12歳のとき、病死するはずだった恩師に薬を渡した。
3日後、薬を狙った盗賊に家族ごと殺された。
だから俺は、誰も助けなくなった。
知っていても言わない。
見えていても手を出さない。
世界は勝手に進む。
俺はただ、それを眺める。
それが1番賢い生き方だった。
*
王都の中央広場で、聖女に触れた。
見えたのは——光だった。
巨大な魔力爆発。
王都消滅。
死者、231,472人。
俺も含まれていた。
だからその日の夜、荷物をまとめた。
南門を出ればいい。
爆発の範囲外まで、馬なら2日。
十分間に合う。
誰にも言わなかった。
言えば混乱が起きる。
そもそも未来は変えられない。
俺1人が騒いだところで、結果は同じだ。
俺はもう、学習していた。
——これは俺の問題じゃない。
そう思って、南門へ向かった。
「にゃあ」
路地裏で、声がした。
無視した。
「にゃあ」
また声がした。
振り返ると、1匹の猫がいた。
汚い灰色の猫だった。
後ろ脚を怪我している。
首輪はない。
俺を見つめている。
「悪いな」
俺は言った。
「俺は今、忙しいんだ」
猫は立ち上がろうとして、転んだ。
「……」
面倒だった。
本当に面倒だった。
なのに俺は、猫を抱き上げてしまった。
その瞬間だった。
《結末閲覧》が発動した。
——3日後。
——王都中央区。
——魔力爆発により死亡。
思わず笑った。
「お前もか」
猫は俺の腕の中で、小さく鳴いた。
「馬鹿だな。こんな街にいるから死ぬんだ」
言いながら、気づいた。
だったら連れていけばいい。
人間の未来は変えられない。
でも猫なら?
俺は猫を外套に入れ、南門へ向かった。
翌朝。
王都から離れた宿場町で、もう1度猫に触れた。
《結末閲覧》。
——2日後。
——王都中央区。
——魔力爆発により死亡。
「……は?」
おかしい。
猫はここにいる。
王都から離れている。
なのに未来では、王都で死ぬ。
俺は初めて、自分から未来を詳しく見ようとした。
能力が頭の奥を焼く。
断片が流れ込んできた。
燃える王都。
泣き叫ぶ人々。
中央広場。
聖女。
その足元に——この猫。
そして、俺もいた。
「なんで俺まで戻ってるんだよ」
答えはなかった。
逃げればいい。
未来なんて知らない。
猫も置いていけばいい。
そう思っていたのに、俺はなぜか、宿の食堂で王都の地図を広げていた。
爆発の原因。
聖女。
場所。
時刻。
俺は10年間、未来を見ることはあっても、未来を調べたことはなかった。
変えられないからだ。
でも——。
膝の上で猫が眠っていた。
包帯を巻いた後ろ脚が、俺の服に触れている。
「……お前のせいだからな」
猫は返事をしなかった。
王都へ戻ったのは、その日の夕方だった。
調べてみると、聖女は2日後、王国最大の結界を起動する予定だった。
地下の魔力炉と聖女を接続し、王都全体を守る大結界を完成させる。
国王は「千年王都計画」と呼んでいた。
未来で爆発するのは、間違いなくこれだ。
翌日、俺は神殿へ行った。
門前払いされた。
騎士団へ行った。
笑われた。
魔術師ギルドへ行った。
「平民が国家魔術に口を出すな」と追い返された。
当然だ。
今まで誰にも能力を明かしてこなかった男が、いきなり「3日後に23万人死ぬ」と言って、誰が信じる。
その夜。
俺は屋敷の床に座り込んでいた。
「ほらな」
猫に言った。
「無理なんだよ」
猫は俺の隣に座った。
「俺はちゃんとやった」
猫は前脚を舐めていた。
「忠告した。信じなかったのはあいつらだ」
猫は俺を見た。
「……なんだよ」
逃げればいい。
俺にはその権利がある。
23万人全員を救う責任なんてない。
俺は王でも、勇者でも、聖女でもない。
ただ未来が見えるだけの人間だ。
知らなければ、何も背負わなくて済んだ。
俺は悪くない。
そう思った瞬間だった。
猫に触れた指先から、再び未来が流れ込んだ。
燃える街。
泣いている少女。
倒れた母親。
逃げ惑う兵士。
そして俺は、その光景を城壁の外から見ていた。
助かった俺は、小さく呟く。
——仕方なかった。
そこで映像が途切れた。
俺は吐いた。
怖かったからじゃない。
未来の自分の顔が、あまりにも穏やかだったからだ。
23万人が死んだのに。
知っていたのに。
逃げ切ったことに、安心していた。
そのとき初めて分かった。
未来を見る力が俺を苦しめていたんじゃない。
俺はずっと、未来を言い訳にしていたのだ。
変えられない。
だから関係ない。
助けられない。
だから責任もない。
傷つきたくないから、世界の外側に立っていた。
「……最低だな、俺」
猫が「にゃあ」と鳴いた。
「慰めてる?」
もう1度、「にゃあ」と鳴いた。
「違うか」
俺は立ち上がった。
未来を変えられるかは分からない。
たぶん変えられない。
それでも。
知ってしまった以上、俺はもう傍観者ではいられなかった。
*
3日目。
式典が始まった。
俺は中央広場にいた。
予定通りだった。
違うことが1つだけあった。
俺は逃げなかった。
「止めろ!」
叫びながら壇上へ走った。
騎士に取り押さえられる。
聖女が振り返る。
魔力炉が起動する。
未来と同じ。
床に魔法陣が広がる。
未来と同じ。
白い光が膨張する。
未来と——。
「聖女様!」
俺は叫んだ。
「右手を離せ!」
未来では、聖女は両手で魔力炉に触れていた。
一瞬、彼女と目が合った。
俺を信じる理由などない。
それでも聖女は——右手を離した。
世界が、止まった。
光が消えた。
爆発しない。
誰も死なない。
沈黙の中で、俺だけが呆然としていた。
「……変わった?」
騎士に押さえつけられながら、笑った。
「なんだよ」
変わるじゃないか。
10年間。
俺は何をしていたんだ。
後で分かったことだが、魔力炉には設計上の欠陥があった。
聖女が両手から同時に魔力を流したときだけ、共振現象が発生する。
片手を離すだけで防げた。
笑えるほど単純な話だった。
ただし、俺は国家式典を妨害した罪で牢屋に入れられた。
1週間後には釈放された。
王都を救ったことが証明されたからだ。
勲章も爵位も提示されたが、断った。
代わりに1つだけ頼んだ。
《結末閲覧》の能力について、王立研究所に記録してほしい、と。
俺のような力を持つ人間が、いつかまた生まれたときのために。
屋敷へ帰ると、灰色の猫が椅子の上で寝ていた。
「お前さ」
抱き上げる。
《結末閲覧》が発動した。
——19年後。
——老衰。
——飼い主の腕の中で死亡。
俺は、しばらく動けなかった。
猫は不満そうに俺の鼻を舐めた。
「……長生きするんだな」
19年。
悪くない。
いや。
きっと、すごく短い。
19年後の俺は、こいつの死を知っている。
それでも飼う。
いつか別れると分かっていても、今日こいつを撫でる。
いつか失敗すると分かっていても、誰かに手を伸ばす。
未来を知っていることと、未来に従うことは違う。
そんな簡単なことに気づくまで、10年もかかった。
「名前、決めるか」
猫が俺を見上げる。
俺がこいつを拾った。
こいつの人生に関わると決めた。
名前はすぐに決まった。
窓の外では、昨日まで滅びるはずだった王都に朝日が昇っていた。
人々が歩き、店が開き、子供が笑っている。
そのすべてが、俺とは無関係だと思っていた。
でも、多分違う。
世界というものは、どこか遠くに存在しているものじゃない。
誰かが困っているのを見てしまった瞬間。
何かがおかしいと知ってしまった瞬間。
それでも何をするか選べる瞬間。
そこから、自分の世界になる。
俺はミライを抱き直し、扉を開けた。
今日もきっと、いろんな未来が見える。
救えるものもあるだろう。
救えないものもあるだろう。
それでも、もう目を逸らさない。
未来の結末を知っている俺が、初めて自分で選んだ結末は
まだ、どこにも書かれていなかった。




