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ファンタジー

世界が滅びると知っていた俺は、名前のない猫を拾った

作者: くるみ
掲載日:2026/08/13

「3日後、この街は消える」


それを知った日の夜、俺は逃げることにした。


異世界に転生して17年。

俺には1つだけ、誰にも言っていない能力があった。


《結末閲覧》。


触れたものが、どういう結末を迎えるのか分かる。


剣に触れれば、誰を殺すのか。

商人に触れれば、いつ破産するのか。

恋人たちに触れれば、いつ別れるのか。


そして、人に触れれば——いつ、どうやって死ぬのか。


最初は便利な能力だと思った。

実際、便利だった。


事故を避け、裏切る人間を遠ざけ、値上がりする土地を買った。

17歳になる頃には、小さいながら屋敷も持っていた。


けれど1つだけ、俺は学んだ。


未来は、変えられない。


いや。

正確には、変えようとすると、もっと酷くなる。


7歳のとき、川で死ぬはずだった友人を助けた。

翌日、そいつは馬車に轢かれて死んだ。


12歳のとき、病死するはずだった恩師に薬を渡した。

3日後、薬を狙った盗賊に家族ごと殺された。


だから俺は、誰も助けなくなった。


知っていても言わない。

見えていても手を出さない。


世界は勝手に進む。

俺はただ、それを眺める。


それが1番賢い生き方だった。


 *


王都の中央広場で、聖女に触れた。


見えたのは——光だった。

巨大な魔力爆発。


王都消滅。

死者、231,472人。

俺も含まれていた。


だからその日の夜、荷物をまとめた。

南門を出ればいい。

爆発の範囲外まで、馬なら2日。

十分間に合う。


誰にも言わなかった。

言えば混乱が起きる。

そもそも未来は変えられない。


俺1人が騒いだところで、結果は同じだ。

俺はもう、学習していた。


——これは俺の問題じゃない。


そう思って、南門へ向かった。


「にゃあ」


路地裏で、声がした。

無視した。


「にゃあ」


また声がした。

振り返ると、1匹の猫がいた。


汚い灰色の猫だった。

後ろ脚を怪我している。

首輪はない。


俺を見つめている。


「悪いな」


俺は言った。


「俺は今、忙しいんだ」


猫は立ち上がろうとして、転んだ。


「……」


面倒だった。

本当に面倒だった。

なのに俺は、猫を抱き上げてしまった。


その瞬間だった。


《結末閲覧》が発動した。


——3日後。

——王都中央区。

——魔力爆発により死亡。


思わず笑った。


「お前もか」


猫は俺の腕の中で、小さく鳴いた。


「馬鹿だな。こんな街にいるから死ぬんだ」


言いながら、気づいた。

だったら連れていけばいい。

人間の未来は変えられない。


でも猫なら?

俺は猫を外套に入れ、南門へ向かった。


翌朝。


王都から離れた宿場町で、もう1度猫に触れた。


《結末閲覧》。


——2日後。

——王都中央区。

——魔力爆発により死亡。


「……は?」


おかしい。

猫はここにいる。

王都から離れている。

なのに未来では、王都で死ぬ。


俺は初めて、自分から未来を詳しく見ようとした。


能力が頭の奥を焼く。

断片が流れ込んできた。


燃える王都。

泣き叫ぶ人々。

中央広場。

聖女。

その足元に——この猫。


そして、俺もいた。


「なんで俺まで戻ってるんだよ」


答えはなかった。


逃げればいい。

未来なんて知らない。

猫も置いていけばいい。

そう思っていたのに、俺はなぜか、宿の食堂で王都の地図を広げていた。


爆発の原因。

聖女。

場所。

時刻。

俺は10年間、未来を見ることはあっても、未来を調べたことはなかった。

変えられないからだ。


でも——。


膝の上で猫が眠っていた。

包帯を巻いた後ろ脚が、俺の服に触れている。


「……お前のせいだからな」


猫は返事をしなかった。


王都へ戻ったのは、その日の夕方だった。


調べてみると、聖女は2日後、王国最大の結界を起動する予定だった。

地下の魔力炉と聖女を接続し、王都全体を守る大結界を完成させる。


国王は「千年王都計画」と呼んでいた。

未来で爆発するのは、間違いなくこれだ。


翌日、俺は神殿へ行った。

門前払いされた。

騎士団へ行った。

笑われた。

魔術師ギルドへ行った。

「平民が国家魔術に口を出すな」と追い返された。


当然だ。

今まで誰にも能力を明かしてこなかった男が、いきなり「3日後に23万人死ぬ」と言って、誰が信じる。


その夜。

俺は屋敷の床に座り込んでいた。


「ほらな」


猫に言った。


「無理なんだよ」


猫は俺の隣に座った。


「俺はちゃんとやった」


猫は前脚を舐めていた。


「忠告した。信じなかったのはあいつらだ」


猫は俺を見た。


「……なんだよ」


逃げればいい。

俺にはその権利がある。

23万人全員を救う責任なんてない。


俺は王でも、勇者でも、聖女でもない。

ただ未来が見えるだけの人間だ。

知らなければ、何も背負わなくて済んだ。


俺は悪くない。

そう思った瞬間だった。


猫に触れた指先から、再び未来が流れ込んだ。


燃える街。

泣いている少女。

倒れた母親。

逃げ惑う兵士。

そして俺は、その光景を城壁の外から見ていた。


助かった俺は、小さく呟く。

——仕方なかった。


そこで映像が途切れた。


俺は吐いた。

怖かったからじゃない。

未来の自分の顔が、あまりにも穏やかだったからだ。


23万人が死んだのに。

知っていたのに。

逃げ切ったことに、安心していた。


そのとき初めて分かった。

未来を見る力が俺を苦しめていたんじゃない。

俺はずっと、未来を言い訳にしていたのだ。


変えられない。

だから関係ない。

助けられない。

だから責任もない。

傷つきたくないから、世界の外側に立っていた。


「……最低だな、俺」


猫が「にゃあ」と鳴いた。


「慰めてる?」


もう1度、「にゃあ」と鳴いた。


「違うか」


俺は立ち上がった。


未来を変えられるかは分からない。

たぶん変えられない。


それでも。

知ってしまった以上、俺はもう傍観者ではいられなかった。


 *


3日目。

式典が始まった。


俺は中央広場にいた。

予定通りだった。


違うことが1つだけあった。

俺は逃げなかった。


「止めろ!」


叫びながら壇上へ走った。

騎士に取り押さえられる。

聖女が振り返る。


魔力炉が起動する。

未来と同じ。


床に魔法陣が広がる。

未来と同じ。


白い光が膨張する。

未来と——。


「聖女様!」


俺は叫んだ。


「右手を離せ!」


未来では、聖女は両手で魔力炉に触れていた。


一瞬、彼女と目が合った。

俺を信じる理由などない。

それでも聖女は——右手を離した。


世界が、止まった。

光が消えた。

爆発しない。

誰も死なない。


沈黙の中で、俺だけが呆然としていた。


「……変わった?」


騎士に押さえつけられながら、笑った。


「なんだよ」


変わるじゃないか。


10年間。


俺は何をしていたんだ。


後で分かったことだが、魔力炉には設計上の欠陥があった。

聖女が両手から同時に魔力を流したときだけ、共振現象が発生する。

片手を離すだけで防げた。

笑えるほど単純な話だった。


ただし、俺は国家式典を妨害した罪で牢屋に入れられた。


1週間後には釈放された。

王都を救ったことが証明されたからだ。

勲章も爵位も提示されたが、断った。


代わりに1つだけ頼んだ。

《結末閲覧》の能力について、王立研究所に記録してほしい、と。

俺のような力を持つ人間が、いつかまた生まれたときのために。


屋敷へ帰ると、灰色の猫が椅子の上で寝ていた。


「お前さ」


抱き上げる。


《結末閲覧》が発動した。


——19年後。

——老衰。

——飼い主の腕の中で死亡。


俺は、しばらく動けなかった。

猫は不満そうに俺の鼻を舐めた。


「……長生きするんだな」


19年。

悪くない。


いや。

きっと、すごく短い。


19年後の俺は、こいつの死を知っている。

それでも飼う。


いつか別れると分かっていても、今日こいつを撫でる。

いつか失敗すると分かっていても、誰かに手を伸ばす。


未来を知っていることと、未来に従うことは違う。

そんな簡単なことに気づくまで、10年もかかった。


「名前、決めるか」


猫が俺を見上げる。


俺がこいつを拾った。

こいつの人生に関わると決めた。


名前はすぐに決まった。



窓の外では、昨日まで滅びるはずだった王都に朝日が昇っていた。


人々が歩き、店が開き、子供が笑っている。

そのすべてが、俺とは無関係だと思っていた。


でも、多分違う。

世界というものは、どこか遠くに存在しているものじゃない。


誰かが困っているのを見てしまった瞬間。

何かがおかしいと知ってしまった瞬間。

それでも何をするか選べる瞬間。


そこから、自分の世界になる。

俺はミライを抱き直し、扉を開けた。


今日もきっと、いろんな未来が見える。


救えるものもあるだろう。

救えないものもあるだろう。


それでも、もう目を逸らさない。


未来の結末を知っている俺が、初めて自分で選んだ結末は

まだ、どこにも書かれていなかった。

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