第4話 まだ、取り戻せると思っていた
夜半を過ぎても、王子の執務室には灯りが消えなかった。
机の上には未処理の書類が山のように積まれている。
どれもこれも、これまで目にしたことのない形式だ。
「……なぜだ」
王子レオンハルトは苛立ちを隠せない。
契約書の細部。
資金の流れ。
貴族間の調整。
どれも、今まで“整っていた”。
いや。
整えられていた。
「殿下、北方との再交渉ですが……」
財務官が恐る恐る口を開く。
「帝国側は“旧責任者との直接交渉のみ可”との姿勢を崩しておりません」
旧責任者。
その言葉が、胸を刺す。
「……つまり、セラフィーナか」
「は、はい」
沈黙が落ちる。
彼女がいなくなった途端、歯車が噛み合わなくなった。
だが、それは一時的な混乱だ。
そうだ。
彼女は公爵家の娘。
王家の命には逆らえない。
「呼び戻せばいい」
財務官が顔を上げる。
「……は?」
「婚約は破棄したが、臣下であることに変わりはない。王命で戻せばよい」
自分の声が、妙に落ち着いている。
理屈は通っている。
彼女は感情的ではない。
常に理で動く女だ。
ならば、国のためと告げれば戻るはずだ。
「しかし……帝国へ同行したとの報が」
「同行だと?」
胸の奥がざわめく。
帝国皇帝の姿が脳裏をよぎる。
あの、値踏みするような銀の瞳。
「一時的な滞在だろう」
そうでなければならない。
「使者を出せ」
「どのような文面で……」
王子は少し考え、唇を歪める。
「国難ゆえ、帰還を命ずる、と」
命ずる。
そうだ。
彼女は王家に仕える立場だった。
自分の支えになって当然だった。
彼女がいなければ回らない?
ならば戻せばいい。
単純なことだ。
胸の違和感が、少しだけ和らぐ。
あの舞踏会での冷たい視線を思い出す。
——“責任は負いかねます”
あれは強がりだ。
王子はそう信じる。
なぜなら。
自分は王になる男だ。
選ぶ側であって、
選ばれる側ではない。
「返事が来るまで、交易は保てるのか」
「……三日が限界かと」
三日。
十分だ。
セラフィーナは理知的だ。
国が崩れれば、自分の家も無傷ではいられない。
戻るに決まっている。
王子はまだ、知らない。
彼女がすでに“臣下”ではなくなっていることを。
そして。
命令が、届かぬ場所へ
彼女が立っていることを。




