第5話 「ふにゃあ……ご主人様」
僕がキノルの提案に葛藤していると、自分の席で突っ伏していた黒髪の少女が、むくりと起き上がった。
キノルと肩を並べる、もう一人の天才少女、ヴェナだ。
彼女は眠そうに目を擦り、小さくあくびをする。
「……誰?ボクの安眠妨害するの」
彼女が起きた瞬間、教室の空気がピリッと張り詰める。
寝起き機嫌の悪いヴェナは、ガルーダすら裸足で逃げ出すほど怖い。
僕は直立不動で謝罪しようとした。
「ご、ごめん!起こすつもりは……」
その時。
僕の視界に、寝ぼけ眼で少し潤んだ瞳のヴェナの顔が飛び込んできた。
窓から差し込む陽光が、彼女の艶やかな黒髪を透かし、無防備な表情を照らし出している。
(うっ……か、可愛い……)
思考は一瞬にして画家の視点へと切り替わる。
そして、恐れていたことが起きた。
『雷光誤出』の発動だ。
「あ」
僕の頭上に、パッと光の粒子が集まる。
マズい。見られてはいけない。ヴェナに見惚れていたなんてバレたら、また「死ね」と言われて吹き飛ばされる!
(考えちゃダメだ!無になれ!真っ白なキャンバスを思い浮かべるんだ!)
僕は必死に思考を逸らそうとした。
だが、「考えるな」と言われれば言うほど、脳裏に焼き付いたイメージは鮮明になるのが人間の性だ。
しかも、僕の腐った芸術家魂は、単なる写生では満足せず、勝手な「演出」を加え始めた。
バチバチバチッ!
僕の頭上に展開されたのは、等身大の巨大な光の幻影。
そこに映し出されたのは、ヴェナだった。
ただし、ただのヴェナではない。
映し出された彼女は、フリルたっぷりの給仕服(メイド服)を着て、頭には愛らしい獣の耳を生やし、頬を染めて上目遣いでこちらを見ている。
しかも、映像は鏡写しのように鮮明で、髪の毛一本一本まで再現されている。
「ふにゃあ……ご主人様、今起きたのにゃ」
幻影の獣耳ヴェナが、僕の脳内ボイス(理想の甘え声)付きで喋った。
教室中が凍りついた。
メイルザーたちが口をポカンと開けている。
キノルですら、ペンを止めて目を見開いた。
「……アストン?」
本物のヴェナの声が、絶対零度まで冷え込んだ。
彼女はゆっくりと、僕の頭上に浮かぶ「自分のあられもない妄想姿」を見上げる。
「……なに、これ」
「ち、違うんだ!これは魔術的な暴走で、僕の深層心理が勝手に……いや、深層心理ってことは僕の願望なんだけど、そうじゃなくて!」
言い訳すればするほど、墓穴が深くなる。
さらに最悪なことに、僕の焦りに呼応して、幻影の獣耳ヴェナが動いた。
「ボッチで淋しいにゃ?ボクと一緒に寝るにゃ」
と、頬を染め、僕を誘いながら。
ヴェナの顔が、耳まで真っ赤に染まっていくのが見えた。
羞恥と、怒りと、そして得体の知れない感情がない交ぜになったような表情。
彼女の周囲で、風が渦を巻き始める。
教科書が、ノートが、めくれ上がり、机がカタカタと震え出した。
「……最低」
「ひいいぃっ!ごめんなさあああい!!」
「二度と、そのふざけた頭が働かないようにしてあげる」
ドオオォォォォン!!
教室の中に竜巻が発生した。
僕の身体は木の葉のように舞い上がり、天井へと叩きつけられ、そのまま窓の外へと射出された。
「空が……青いなぁ……」
薄れゆく意識の中で、僕は自分の頭上から消え去らない獣耳ヴェナの残像を見て思った。
(そういえば、妄想の絵が動いてたな。これはもしかすると、すごいことが起こりそうだ)
こうして、僕の「雷光幻影」ならぬ、「雷光誤出」は、またしてもクラス全員に強烈な記憶を提供し、僕自身の尊厳を消し炭にしたのだった。
こんな未熟な腕前で、果たして僕は無事に卒業できるのだろうか。
「あ……生きてた」
中庭の植え込みに突き刺さっていた僕の元に、キノルが降りてきた。
手にはベーコンサンドを持っている。
「……かろうじて」
「約束の報酬」
キノルはサンドイッチを僕の口に雑に押し込む。そして⋯⋯
「今の幻影、『記憶の魔石』に保存した。ヴェナには内緒で、高く売れそう」
天才とやらは、どうやら人の心を持っていないらしい。
こうして、一向に向上しない攻撃魔術とは打って変わって、どうでも良いスキルだけが開花していくのだった。
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