第64話:宴の喧騒と、滅びの指先
管理者が去り、止まっていた時が動き出したかのように、祝勝会の賑やかな喧騒が遠くから聞こえてきた。
「やっと嫌な空気が去ったのじゃ」
ブルーナはヴェルナの背からひらりと飛び降り、アレインの頭の上に乗る。
ヴェルナもまた、全身の強張りを解くように「ふぅ」と熱い鼻息を漏らした。
「下衆ガミの野郎のせいで、酔いもすっかり醒めちまったぜ」
「でも、これで2勝目だねアレイン! このまま連勝街道突っ走ろうよ!」
カイトが嬉しそうに言うが、アレインは肩をすくめて吐き捨てた。
「奴の余裕たっぷりのニヤケ面がムカついて、素直に喜べねえけどな」
一方で、極限の緊張と恐怖から解放されたバッシュは、その場に崩れ落ちるように膝をついていた。
「バッシュ……!」
駆け寄るアレインたちに、彼は蒼白な顔で、だがどこか吹っ切れたような笑みを向ける。
「はぁ、はぁ……お前たちはすごいな。あんな得体の知れないものと対峙して、よく平然としていられるな……」
「んなわけあるかよ。毎回毎回イライラさせられて、san値がねじ切れそうだわ」
「……さんち?」
首を傾げるバッシュ。
それを見たカイトが、アレインの耳元で慌てて囁いた。
「アレイン、san値なんてこの世界にない単語を使っちゃダメだって。混乱させるだけだよ」
アレインは「おっと」と咳払いをして、不機嫌そうに言葉を繋ぐ。
「なんにしても、もう奴には苛立ちしか感じねえよ。恐怖なんて、アイツの面を見た瞬間にゴミ箱へ捨てたぜ」
『そうよ。あんな悍ましい汚物に恐怖を感じるだけ無駄なのよ』
ヴェルナの言葉に、ブルーナもうんうんと頷く。
「その通りじゃ。魂の格が低すぎるわい」
「……今更だが、お前の使い魔は人語を解したのだな……」
アレインとカイトが揃って「忘れてた」というマヌケな顔をした。
カイトが慌ててフォローに入ろうとする。
「バッシュさん、このことはあの、どうか内密に……」
バッシュは手で制し、真摯に頷いた。
「他言する気はないから安心しろ」
「バッシュさん、ありがとうございます」
「バッシュ!! やっと見つけた!」
広場の入り口を、エルザの叫びが切り裂いた。
その後ろからロルフ、ガザル、そしてフェリスたちも現れる。
「アレイン君たちもここにいたのか。内緒話か?」
「こんなとこで何やってんだ?」
「男同士で……怪しいわねぇ? まさか、月明かりの下で『よろしく』やってたんじゃないでしょうね?」
フェリスが唇を舐め、湿り気を帯びた笑みを浮かべる。
すると、その背後でカトリーヌが、騎士とは思えぬ異様な反応を見せた。
「お、男同士で……くんずほぐれつ……だと!? 待て……それだ! それこそが私が求めていた『究極の騎士道』の果て……ッ!」
「カトリーヌ、ちょっと鼻血出てるってば! 誰か布を!」
シェリーが呆れ顔で鼻を押さえるが、妄想の暴走は止まらない。
「んなわけあるか!! なんでお前ら女ってやつは、二言目にはそっちのベクトルに話を持っていくんだよ! 世の中、お前らが思ってるほど腐ってねぇからな!?」
「何言ってるのよ。最近は王都の貴婦人の間で、その手の『耽美な物語』の写本が大流行なのよ。もはや社交界の必須教養よ!」
「そのような聖書があるのか……!? フェリス、その書物はどこで手に入る! 今までの貯金を全額出しても構わん、教えろ!!」
「なんであんたが一番興味津々なのよ……引くんですけど……?」
前のめりに迫るカトリーヌに、流石のフェリスも引き気味だ。
「……なんで中世ヨーロッパ風の世界観なのに、そんな文化が熟成されてんだよ……」
アレインがボヤくと、カイトが得意げに口を挟んだ。
「いや、歴史的には普通じゃない? 古代ローマ皇帝とかでも、そういう嗜みの人は結構いたしね。歴史は繰り返すんだよ」
「なんでお前はそんなことだけ知ってるんだよ……」
「僕、サブカルも好きだけど歴史も好きなんだよね」
ドヤ顔をするカイトに、アレインは冷ややかな視線を送る。
「役に立たねえ知恵ばっかつけてんじゃねえよ……」
「なあ、そんなのどうでもいいだろ! 早く戻って飲もうぜ!」
ガザルに背中を叩かれ、アレインもようやく苦笑した。
「そうだな。胸糞悪いもんを見た後は、酒で胃を洗浄しねーとな」
「ああ、同感だ。行こう」
バッシュが立ち上がると、すかさずエルザがその手をぐいと引いた。
「さあ、早く行きましょう」
「わかった、わかったから! 逃げないから、そう引っ張らないでくれ……」
「嫌よ! またどっかにふらっと行かないように、この腕は絶対、離さないんだからね!」
「「お熱いねぇ〜」」
ロルフとガザルが茶化すと、エルザは顔を耳まで真っ赤にして怒鳴り返した。
「そ、そ、そういう意味じゃないから!! ロルフもガザルも、変なこと言わないで!」
「ふむ、そういうことにしておくか」
「だな、そういうことにな」
「……? 何をそういうことにしておくんだ?」
バッシュだけが状況に置いてけぼりにされていた。
「エルザ、もっと積極的に行ったほうがいいぜ? コイツはガキの頃から筋金入りの朴念仁だからな」
「応援してるぞ、エルザ」
「そんなの、あたしも百も承知よ! じゃなくて……もう! だから、そういうのじゃないってば!!」
その光景を見て、アレインが深いため息をついた。
「……おい。いつまでラブコメやってんの? アレインさん、酒も入ってねーのに胃もたれと胸焼けがひどいんだけど。早く酒を処方してくれませんかね?」
ガザルとロルフが腹を抱えて爆笑する。
「はいはい、若い二人は放置してさっさと行くぞ。俺達には、酒と愚痴があればそれでいいんだよ」
ガザルとロルフを連れて、アレインは祝勝会会場へと歩き出す。
「アレイン君も変なこと言わないでよ! バッシュも、何か言ってよ!」
「何を否定すればいいんだ……? 全く、女心というのは難しいな……」
困惑しながらも、エルザに引かれて歩き出すバッシュ。
「ちょっとカトリーヌ! しつこいってば、そんなエロ本持ってるわけないでしょ! アレイン、待ちなさいよ!」
フェリスがカトリーヌと揉めながら追いかけ、ヴェルナは鼻を鳴らして従い、カイトも「みんな待ってよ」と駆け出した。
ガザの祝勝会の夜は、どこまでも賑やかに、そして熱く更けていった。
一方、遥か高みの「虚無」――管理者の個人空間では。
「もううるさいなぁ。言われなくてもやるって言ってるじゃないか」
管理者は自らの耳を押さえ、不快そうに顔を歪めていた。
空間に響くのは、他の管理者たちからの苛烈な催促の声だ。
「わかった、わかったって……えっ? 『爺さん』がお冠だって? それはまずいなぁ……」
管理者は露骨にしかめっ面をした。
「『生命体の魂を弄ぶな』? なんで? 『愛すべき子供達』? ハハハ、何言ってんの。ただの使い捨ての資源じゃないか」
どやされる声に耳をふさぎ、無理やり通信を遮断する。
「はいはい、精々爺さんにドヤされないように上手くやるよ」
管理者はやれやれと首を振った。
「ふぅ。エントロピーの増減を管理するなんてつまらないこと、誰に頼まれたわけでもないのに皆よくやるよ」
彼は空中に浮かぶホログラムの映像を眺める。
そこには、彼が管理する無数の惑星が、星屑のように映し出されていた。
不意に、一つの映像に彼の指が止まる。
「なんだいここの生命体。もう1000万年も経ってるのに、知的進化をするどころか巨大化しかしてないじゃないか」
管理者は、心底退屈そうに嘆いた。
「自分の作り出した生命体を愛し、慈しむなんて……僕には到底理解できないな」
彼が無造作に、まるで虫でも払うように指を鳴らす。
刹那、漆黒の宇宙から一つの巨大な質量――隕石が、その惑星へと向かって猛烈な加速を開始した。
「僕は仕事が早いんだ。皆みたいに一億年も二億年も待たないよ。――バハハーイ!」
惑星の地表が閃光に包まれ、咆哮を上げていた巨大な爬虫類たちの時代が、一瞬で灰へと消えていく。その「滅び」は、管理者にとってはただの掃除に過ぎなかった。
「さて、次の生命体はちゃんと知的進化するといいな」
管理者は、自らがもたらした終末の火花を眺めながら、子供のような無垢さと、深淵のような残酷さが混じり合った笑みを浮かべていた。




