第52話:動く震災、あるいは「偽りの英雄」の出陣
ガザの街に異変を告げる轟音が響き渡ったのは、雲一つない平穏ないつもの朝のことだった。
北壁を守備していた兵士たちは、鼓膜を激しく叩くその音に色めき立った。
「なんだ、今の爆発音は! 敵襲か!?」
守備隊長の怒号が響く。
見張り台に立つ哨兵が、震える手で望遠鏡を覗き込んだ。
レンズの向こう側、北方連峰の景色を確認した彼は、そのまま絶叫した。
「ほ、報告します! 山が……山が一つ、消滅しています!」
「馬鹿を言え! 山が消えるわけがあるか。土砂崩れの見間違いだろ!」
地上にいた兵士たちが鼻で笑ったのも束の間、地響きは収まるどころか、より重く、より深く大地を震わせ始めた。
「……いや、違う。あそこを見てください! 山が、山が動いているんだ!」
誰かの悲鳴のような声に、全員の視線が北へと釘付けになる。
ガザ市民にとって不変の象徴であったはずの山嶺の一部が、不自然な角度で盛り上がり、地を削りながら「横」へと移動していた。
「山が歩いている……?」
隊長が愕然と呟く。
精鋭の哨兵が、脂汗を流しながらその正体を見極めようと目を凝らした。
「山じゃありません! 山のように巨大な……正体不明の魔物です!」
「――擬態か!?」
兵士たちの間に戦慄と困惑が走る。
「これほどの巨躯が山に擬態していたというのか? 」
「なぜ、よりにもよって今頃になって動き出したんだ!」
憶測が飛び交う中、哨兵が刻一刻と迫る絶望を告げた。
「目標、歩みこそ緩慢ですが、確実にこちら――ガザに向かって進攻しています!」
「……領主様に連絡を! 馬を飛ばせ、緊急事態だ! ヴァルドリア本国への援軍要請も忘れるな! のろまなのが唯一の救いだ、今のうちにガザ市民の避難を最優先で開始させろ! 冒険者ギルドにも協力要請だ! 急げ!」
その頃、白銀の翼の宿。
残りのハーレムメンバーとくつろいでいたバッシュの元へ、フェリスとカトリーヌが血相を変えて駆け込んできた。
「バッシュ様、緊急事態です!」
「どうしたんだ」
「巨大な魔物が、ガザに向かって侵攻してきています!」
バッシュは窓から身を乗り出し、フェリスが指差す方角を見た。
……いた。
まだ姿は小さいが、ここからでも視認できるほど巨大な「何か」が地平線を揺らしている。
(でかい……。恐らく百……いや、二百メートルはあるんじゃないか……?)
バッシュの背中に冷たい汗が流れる。だが、周囲の白銀の翼の女達は興奮に頬を染め、「早く行きましょう」と彼を囃し立てる。
(俺は……勝てるのか?)
不安が過るバッシュに、フェリスが甘い声で囁いた。
「バッシュ様。やつを倒せばS級……いえ、歴史に残る英雄になるチャンスですわ」
「そうですわ、バッシュ様の無敵のフルカウンターでやっつけちゃってください!」
英雄。
その甘美な響きが、バッシュの恐怖を塗りつぶす。
(英雄……そうだ、俺にはセレスティア様から頂いたこの力がある。英雄に、英雄になるんだ)
バッシュは力強く立ち上がった。
「行くぞ」
「流石は私達の英雄、バッシュ様!」
場所は変わり、空の上。
巨大なドラゴンの姿に戻ったブルーナの背で、アレインとカイトは地上の異変を俯瞰していた。
「結構距離取ってるのに、とんでもねえデカさだな」
「ここからでも凄い魔力のプレッシャーを感じるよ……」
「妾の十倍以上ってところかのう? さすがに丸呑みにはできそうにないわい」
ブルーナの呑気な呟きに、カイトが声を荒らげる。
「呑気なこと言ってないで、今のうちに鑑定!!」
カイトに急かされ、アレインは鑑定スキルを発動した。
「ああ、そうだった……『鑑定』!」
アレインの視界に、システムウィンドウが展開される。
だが、そこに表示されたデータを目にした瞬間、アレインは絶句した。
「……はぁ!?」
ガザの街では避難が始まっていた。未曾有の危機にもかかわらず、現場がパニックに陥っていないのは、ある男の存在があったからだ。
「ガザ市民よ! 魔物は鈍足だ、落ち着いて避難してくれたまえ。君たちの安全は、この領主バルトロメウスが保証しよう!」
ガザ一帯を治める領主、バルトロメウス・ド・ガザ。
威厳に満ちたその姿に、市民たちは口々に「領主様、ありがとうございます!」と感謝の言葉を投げかける。
兵士たちもまた、最前線に立つ主の姿に感銘を受けていた。
「領主様、自ら足をお運びいただき、直接指揮を執っていただき感謝に堪えません!」
「構わないさ。民を守るのは、領主としての当然の務めだからね」
慈悲深い笑顔で頷くバルトロメウスだったが、その内心はどす黒い計算で満ちていた。
(街なんて壊れても建て直せばいいんだよ。だがな、ここで信用を失って納税者がいなくなったら、俺の税金が消えちまうんだよ。このバカどもが)
バルトロメウスは鼻を鳴らし、側近に小声で尋ねる。
「ヴァルドリアへも援軍要請は出しているが、ギルドの方はどうなんだい?」
(まあ、本国の兵なんて間に合わねえだろうがな。一応、要請だけは出してんだろうなぁ?)
「はい、既に出しております!」
「でかした。この街の民の安全は、君たちの手腕にかかっている。頼むぞ」
(よしよし、ちゃんと働けよ。褒めてやるからな)
広場には、ギルドの招集に応じた『鉄の絆』の面々もいた。
「アレイン君たちはいたか!?」
ロルフの問いに、ガザルが苦々しく首を振る。
「いや、あいつらの宿にも行ったんだが、朝から『ピクニックに行く』とか言って出かけたきりだ」
「ピクニックって……。アレイン君たち、あの化け物の移動経路に巻き込まれてるんじゃ……!」
青ざめるエルザを、ロルフが必死に宥める。
「そう決まったわけじゃない、落ち着け!」
「そうだぜ。例え巻き込まれてても、あいつらがそう簡単に死ぬような安いタマじゃねえよ!」
「でも!!」
エルザが叫んだその時、バッシュを先頭に白銀の翼の面々が現れた。
「みんな道を空けなさい! バッシュ様のお通りよ!」
「バッシュ様の出陣よ! あの化け物を倒して、ガザを救ってあげまますわ」
その光景を見たバルトロメウスは、あからさまに不快そうな顔を顰めた。
「なんだ、あいつは。この非常時に馬鹿騒ぎをして……」 (真正のバカか?)
「閣下、今ガザで最も名の売れている冒険者、バッシュです。敵の攻撃を十倍で跳ね返すスキルを持っているとか」
「……ほう」
(あれ? もしかして幸運の女神が微笑んでる? 奴がアレを倒せば、俺の爵位も上がっちゃうんじゃねえのか?)
鉄の絆の面々が、慌ててバッシュに駆け寄る。 「バッシュ、いくら何でも危険よ!」
「バッシュ、無茶はよすんだ! あれは一人の力でどうにかできる相手じゃない!」
「死にに行く気かよ!? 考え直せ、ギルドの仲間と協力しようぜ!」
かつての仲間たちの必死の制止を、フェリスたちが一蹴した。
「下がっていろ。バッシュ様の出陣だ」
「あの化け物は、バッシュ様が討ち取ってくださるわ!」
そこへ、優雅な足取りでバルトロメウスが歩み寄り、バッシュの肩を叩いた。
「バッシュ君! ガザの命運は、君の……その類まれなるスキルにかかっている。どうか、あの魔物を討ち取ってくれ!」
「……お任せください」
(頼むぞー英雄様! うまく行ったら俺の最高級の駒として、一生こき使ってやるからよ!)
「諸君! 我らが無敵の英雄、バッシュ君とともにあの魔物を討ち取るのだ!」
領主の巧妙な扇動により、現場の士気は爆発的に跳ね上がる。
「バッシュ! バッシュ!」
「英雄バッシュ様万歳!!」
沸き上がる歓喜のコールの中。
アレインが目撃した「絶望的なデータ」のことも知らず、バッシュと白銀の翼による、
世界を揺るがす戦いが幕を開けようとしていた。




