第47話:拒絶の記憶と蠢く影
ガザの街でも最高級として知られる宿。
その最上階にある、貴族の別邸かと思わせるほど豪華な一室は、現在『白銀の翼』が貸し切りにしていた。
豪奢なシャンデリアが放つ明かりの下、リーダーであるバッシュが疲れを癒やしに浴室へと向かうと、リビングには重苦しい沈黙が降りた。
残されたのは、魔術師のフェリス、重装騎士のカトリーヌ、そして盗賊職の女、シェリーの三人。
カトリーヌが、いまだに苛立ちを隠せない手付きで、その重厚な甲冑の籠手を外してテーブルに置いた。硬い金属音が室内に響く。
「それで、フェリス。あの忌々しい男――アレインの情報は手に入ったの?」
カトリーヌの問いに、フェリスは深々とソファーに腰掛けたまま、無言でシェリーへと顎で合図を送った。
シェリーは唇の端を吊り上げると、懐から一通の報告書を取り出し、テーブルの上に放り投げた。
「驚いたわよ。あのアレインって男、セント・ガルド王国で今や飛ぶ鳥を落とす勢いのS級冒険者ブレイブ……あいつが率いる『黄金の翼』の元パーティーメンバーだったわ」
「A級……!? しかも、あの『黄金の翼』の……!?」
カトリーヌが言葉を失い、絶句する。
『黄金の翼』といえば、セント・ガルド王国で頭角を現し始めた、今最も勢いのあるクランだ。
その一翼を担っていた男が、なぜ今さらこんな辺境でくすぶっているのか。
「今は何でかわからないけど、カイトとかいうガキを連れ回してるみたいよ。活動の拠点はリベルタス連邦のメルキア支部。ギルドの記録じゃランクはA級、職業は『魔物使い』。間違いなさそうね」
「なんでそんな実力者が、『鉄の絆』なんていう落ちこぼれの集まりと組んでいるのよ。何かの間違いじゃないかしら」
カトリーヌの動揺を余所に、フェリスが低く、地を這うような声で言った。
「いいえ、間違いじゃないわ。確信があるの……」
フェリスの瞳には、ドロドロとした暗い情念が渦巻いていた。
彼女の意識は、今やここにはない。三年前、彼女のプライドが修復不可能なまでに粉砕された、あの日の光景へと飛んでいた。
三年前。
セント・ガルド王国。
当時、新進気鋭の魔術師として自信に満ち溢れていたフェリスは、さらなる高みを目指し、当時から天才と目されていたブレイブの元を訪れた。
自分ほどの才能があれば、歓迎される。そう信じて疑わなかった。
だが、待っていたのは、あまりにも穏やかで、それゆえに冷酷な「拒絶」だった。
『フェリスさん、申し訳ないが今はメンバーを増やす予定はないんだ。僕は待っているんだよ。親友のアレインが、元気に戻ってくるのをね』
リーダーのブレイブは、そう言って微笑んだ。
背後には、スカウトのミナと、エルフの魔導師エリナがいた。
納得がいかないフェリスは、ブレイブの傍らにいた一人の女性を指さした。
『なら、なぜそいつはいいのよ! 実力なら私の方が上のはずだわ!』
指を指されたリリアは、面白そうに鼻で笑い、髪をかき上げた。
『私は臨時よ。アレインが帰ってきたら大人しく抜けるわ。別に、この席に執着なんてしてないもの』
『そういうこと。それにね……』
追い打ちをかけるように、スカウトのミナが蔑むような目を向けた。
『うちはランクより人間性を重視してるんだよね』
ミナはフェリスの内心を見透かしたように言い放ち、さらにリリアが言葉を重ねる。
『まあ、少なくともこいつらは、エルフだ亜人だの気にする奴らじゃないわね』
その時、エルフのエリナに蔑むような視線を送った自分を、彼らは見抜いていたのだろう。
エリナは静かに目を伏せ、何も語らなかった。
リリアが薄笑いを浮かべたまま、フェリスの心臓を抉るような一言を放つ。
『残念だったわね。縁がなかったということで、帰りなさいよ』
『フェリスさん、僕たちとの縁は感じないよ。ごめんね?』
最後に見せられたブレイブの、あの慈悲深い「拒絶」の笑顔。それがフェリスの人生において最大の呪縛となった。
「あいつが……あのブレイブが、席を空けてまで執着していた男が、アレイン……!」
フェリスは拳を握り締め、爪が掌に食い込むほどに力を込めた。
怒りで肩が小刻みに震える。
自分があれほど望んでも手に入らなかった場所。
それを守るために自分を拒んだ「理由」そのものが、今、目の前の掃き溜めのようなパーティーで、愉快そうに笑っている。
その事実が、フェリスのプライドを、存在意義を、激しく逆撫でした。
カトリーヌが、フェリスの異様な様子に気圧されながらも、冷静さを保とうと口を開く。
「……事情はわかったわ。でも、相手が本当にそれほどの実力者なら、これ以上の妨害工作は危険よ。ギルドの捜査も入っているし、下手をすれば私たちが立場を失うわ。フェリス、どうするつもり?」
フェリスは大きく一つ息を吐くと、憑き物が落ちたような、しかしより一層冷淡な表情へと戻った。
「ふん、もう放置でいいんじゃないかしら。あんな連中、勝手に遊ばせておけばいいわ」
吐き捨てるように言い、彼女は部屋の隅へと視線を向けた。
「それより……『アレ』の準備はできているのかしら?」
シェリーがニヤリと笑い、部屋の片隅に置かれた大きな麻袋を指さした。
数人がかりで運び込まれたであろうその袋は、時折、内部で何かが蠢くように不気味に波打っている。
フェリスはゆっくりと立ち上がり、袋に歩み寄った。
そして、隙間から中を覗き込む。
「ふふ……あははは! まあ、アレインもブレイブも、今はどうでもいいわ。これさえあれば、バッシュ様と共にS級まで最短距離で駆け上がれる。過去の遺物なんて、そのための踏み台にすぎないのよ」
カトリーヌが、フェリスの背中に向かって冷たく念を押した。
「決行までは丁重に扱いなさい。大事な人質なんだからね。私たちの未来が、その中身にかかっているのよ」
フェリスは袋の表面を、まるで愛しい恋人の肌に触れるかのように優しくなでた。
その指先には、狂気にも似た愉悦が宿っている。
「ええ、分かっているわ。……楽しみね、決行の日が。ガザの街が、そして歴史が、バッシュ様という英雄を称える日になるのよ」
ロウソクの火が揺れ、三人の女たちの影が壁に巨大な化け物のように伸びる。
バッシュが英雄となるための「舞台」は、どす黒い欲望と共に、着々と整えられつつあった。




