第38話:ベアト先生の魔法教室
地下訓練場の冷たい石床の上に、突如として場違いな「黒板」が運び込まれた。
赤い縁の眼鏡をクイと指で上げたのは、先ほどまでの禍々しい雰囲気をどこへやら、教師然とした佇まいのベアトである。
「では、ベアト先生の魔法教室を始めるわようふふ」
「助手のミィです!」
隣で「助手」と書かれた腕章を巻いたミィが、ピシッと敬礼する。
その目の前には、適当な木箱を椅子代わりに座らされたアレインとカイト。
アレインの頭の上では、元のサイズに戻ったブルーナがふぁぁ、と大きな欠伸を噛み殺し、ヴェルナは壁に背を預けて興味深そうに視線を向けていた。
「真面目になったと思ったらこれかよ……」
「僕はてっきり、いきなり実戦でボコボコにされるのかと思ってビビって損したよ……」
アレインの呆れ声に、カイトが肩の力を抜いて応じる。
しかし、ベアトはチョークを指で回しながら、艶然と微笑んだ。
「基礎から叩き込んでほしいのでしょう? 魔法はイメージと理論。座学は大事よ? うふふ」
ベアトは黒板に滑らかな手つきで図を書き込み、説明を始めた。
魔法を放つには、主に三つの体系が存在する。
一つ目は、最も一般的かつ王道。自分の体内に宿る魔力を直接変換して放つ方法。
「適性と才能がある者が使う方法ね。詠唱は必要ないけれど、適性のない属性は極端に効率が悪くなるし、何より自分の魔力量に依存するから限界があるわ」
属性は四大元素である【火・水・土・風】。それに【光・闇・無】を加えた七属性が基本となる。
「私は光属性だけは適性が無いのよね、うふふ」
「あのあのあの!! 私は少しだけあります!」
ミィがエッヘンと薄い胸を張ると、ベアトは「ミィは凄いわねぇ」と、嬉しそうに妹の頭を撫で回した。
「あー、よくあるRPGの属性システムだな」
「ちょっとアレイン、黙ってよ。聞こえないだろ」
アレインの独り言を、カイトが真剣な顔で制した。
ファンタジー好きの彼にとって、この講義は「聖書」にも等しいらしい。
カイトは勢いよく手を挙げた。
「先生! 雷属性ってのはないんですか?」
「いい質問ね。雷属性は、単一の属性じゃないの。それは『複合魔法』と呼ばれる領域よ」
ベアトの説明によれば、雷を放つには【水・風・光】、さらに風と水から生じる【氷】の四要素が必要だという。
「水と風で氷の粒子を作り、風で摩擦を起こして電荷を蓄積させる。そこに光の性質を組み合わせて放電・発光させるの。理論上は可能だけど、膨大な魔力量と緻密な制御が必要な超高等魔法ね、うふふ」
「……もしかして、ブルーナって凄いことやってたの?」
「ブルーナちゃんは種族的な適性もあるけれど、それを感覚で使いこなしているから天才と言ってもいいわね」
カイトが驚愕の視線を向けると、アレインの頭の上でブルーナが「フフン」と鼻を鳴らした。
「どうじゃ小僧。妾にひれ伏すがいい!」
『擬音指導ばかりで役に立たなかったけれどね』
「天才と馬鹿は紙一重って言うしな」
ヴェルナとアレインの容赦ない追撃にブルーナが「なんじゃと!」と騒ぎ出すのをスルーして、ベアトは二つ目の体系を挙げる。
それは、魔族や神族から力を借りる方法。
「長い詠唱が必要だし、今はあまり使われていないわ。借りる相手の三分の一程度の威力しか出せないし、その相手には絶対に効かないという制限もあるの」
「詠唱、かっこいいのに……なんで廃れたんですか?」
カイトの純粋な疑問に、ベアトはクスクスと肩を揺らした。
「詠唱の内容って、要は『あなた様のお力を貸してください』って、相手に凄くへりくだってお願いしてるだけなのよ。真実を知って、プライドが許さずに辞める人も多いわね、うふふ」
カイトは「なるほど……」と興味津々で聞き入っている。
アレインはその姿を眺めながら、(カイトのやつ、楽しそうだな)と少し羨ましく思った。
転生前の17年、転生後の3年、そして元の「アレイン」が過ごした17年。
魂が融合した今の彼は、精神年齢にして30年以上の経験を背負っているような感覚がある。
そんなアレインの内心を察したのか、相棒が念話で励ましてくる。
(もう一人の俺、それだけ老成してるってことだろ)
(相棒、人を爺さんみたいに言うなよ)
苦笑するアレインを余所に、ベアトは三つ目の体系を提示した。
それが、精霊と契約して魔法を使う「精霊魔法」だ。
「精霊に自分の魔力を糧として捧げ、力を貸してもらうの精霊は気まぐれで悪戯好き。気に入られなきゃ契約すらできないわ。魔法適性のない人間が、執念で大精霊と契約した例が学校の記録にあるけれど……肖像画では顔にまで契約の刺青がされていたわね、うふふ」
「精霊魔法!」 カイトが目を輝かせる。
ベアトはアレインをじっと見つめ、不敵に微笑んだ。
「アレインちゃんなら、すぐに使えるんじゃないかしら? いつも精霊たちが付いて回っているもの。うふふ」
「……またいたのかよ、あいつら」
アレインが顔をしかめると、ベアトは驚いたように目を見開いた。
「あら? 気づいてなかったの? てっきりもう契約してるのかと思っていたわ」
「してねえよ」
「凄いことね、それは。契約なしでそれだけ好かれているなら、契約なしでも使えるのかしら?」
すると、頭の上のブルーナが代弁した。
「要求を聞けば、いくらでも力を貸すと言っておるぞ」
「あら。精霊の愛し子は無償で力を借りられるって聞いたけど、やっぱり眉唾ね。ちなみに……なんて要求しているのかしら?」
ブルーナはベアトに向かって答える。
「追いかけっこ、かくれんぼじゃな。要は遊んでほしいみたいじゃな」
「あらあらかわいい要求じゃない、うふふ」
ベアトが微笑む中、アレインは不信感を露わにして小声でブルーナに聞いた。
「おい……本当は何て言ってたんだよ」
ブルーナはアレインの耳元で、ニヤリと邪悪に笑った。
(……七割が『変身見せろ』。残りの二割が『秘液を寄越せ』じゃな)
(どんだけ俺の変身が見たいんだよ……!)
呆れ果てるアレインに、ブルーナはカカカと笑う。
「精霊も子供みたいなのが多いからのう。変身は大人気じゃ」
「アレインちゃんがいれば、精霊魔法のいい論文が書けそうね。うふふ」
ベアトの瞳に、学者としての好奇心がぎらりと宿る。
アレインは露骨に嫌そうな顔を浮かべた。
「協力してくれるなら、家庭教師の報酬を無料にしてあげてもいいわよ?」
「……いや、結構だ。遠慮しておく」
即答で断るアレインに、ベアトは「そう、残念ね……」と肩を落としてみせたが、すぐに表情を引き締めた。
「魔法については大雑把に教えたけれど、何か質問はあるかしら?」
カイトが満足げに「ありません!」と答えるのを確認し、ベアトは黒板を消し始める。
「じゃあ座学はここまで。次は――実際に魔法を使う訓練へと進むわよ」
お姉さんの微笑みが、どこかスパルタな予感を含んで地下訓練場に響いた。




