第36話:鑑定の代償と、紫煙の魔女
ベアトは受付のアレーナのもとへ立ち寄った。
「アレーナちゃん、訓練場を使いたいんだけどいいかしら?」
「ベアトリスさん、珍しいですね。いいですよ」
アレーナが意外そうに顔を上げると、ベアトは艶然と微笑んだ。
「カイトちゃんを基礎から鍛えてほしいって、アレインちゃんに頼まれちゃったのよ。若いのに偉いわよねぇ、うふふ」
「カイトさんとベアトリスさんが使うのであれば、貸し切りにしましょうか? 他の人に被害が出ても困りますし……」
「あら、気が利くわね。助かるわぁ」
「では、貸し切りとしての届け出を受理します。その代わり、施設を全壊させないでくださいね? あそこ、修繕費がバカ高いんですから」
アレーナは手際よく書類に判を押し、重厚な金属製の鍵をベアトに差し出した。
「ついでに、私が内部から結界を上書きしてもいいかしら?ギルドに迷惑はかけたくないもの」
「……ベアトリスさんの結界なら安心ですね。許可します」
鍵を受け取ったベアトは、「行きましょうか」と一行を促した。
ベアトを先頭に、一行は地下へと続く薄暗い通路を進む。
先頭を飛ぶブルーナ、その後ろを行くベアトとヴェルナ。
一番後方を歩くカイトが、アレインの袖を引いて耳打ちした。
「ねぇアレイン……鑑定スキルを使って見てよ」
「あん? なんでだよ」
「だって、本当にあの人が強いかわからないじゃないか。」
「魔法学校首席卒業のエリートだぞ? 間違いないだろ」
「一応だよ一応。どうせなら強い人に教えてもらいたいよ」
「ならブルーナでもいいじゃねえか」
「あの擬音指導はマジ勘弁、無理!! アレイン、お願いだよぉ……!」
カイトの必死の懇願に、アレインは「わかったよ」と溜息をついた。
アレインは意識を集中させ、前方のベアトの背中に視線を固定した。
(鑑定――起動)
視界の端に、例の半透明なウィンドウが展開される。
そこには相変わらず、便利なのか嫌がらせなのか判別しがたい情報の羅列が踊っていた。
【鑑定結果】 種族:人間(強力な隠蔽魔法により偽装中)
人間名:ベアトリス
真の名前:ベルゼビア・ノクティス
真の種族:魔族 推定年齢:228歳(おいおい、立派な婆じゃねえか(笑))
(……相変わらず、この鑑定結果は一言余計なんだよ!)
アレインは内なるシステムのふざけた注釈に毒づいた。
(確かに婆だけれども!)
(……そこは驚くところじゃねえだろ、もう一人の俺。注目すべきは種族だ)
アレインが固まっているのを見て、カイトが焦ったように詰め寄る。
「何固まってるんだよ! 早く教えてよ、強いの? 弱いの?」
アレインは周囲を警戒し、声を極限まで潜めて伝えた。
「カイト……落ち着いて聞け。あの人、魔族だってよ」
「ま、ま、魔族っ!?」
カイトが驚愕のあまり、通路に響き渡る大声を上げた。
「おい、バカっ!」
アレインが慌てて口を塞ぐ。
だが、時すでに遅し。
前にいたはずのベアトの姿が消えていた。
「うふふ……魔族って聞こえたけれど。どこに魔族がいるのかしらぁ?」
背後から響く、冷ややかなほどに甘い声。
(もう一人の俺、まだ誤魔化せるはずだ!)
(ああ、全力で揉み消すぞ。俺は何も見てないし、鑑定もしてねえ。全部カイトの妄想だ!)
「……あ、いや、ええと……」
アレインが必死に言い訳を考えようとしたその時、ベアトが心底悲しそうに眉を下げた。
「正直に言ってくれないなんて、お姉さん悲しいわぁ。あなたたちのことを弟のように思っていたのに……」
目を伏せるベアトに、罪悪感に耐えきれなくなったカイトが白状してしまった。
「ベアトさん、ごめんなさい! 僕が、ベアトさんの実力を知りたくて、アレインに鑑定スキルを使わせちゃって……それで、魔族って……。あのごめんなさい!」
「おいカイト!」
アレインが止める間もなかった。
ベアトは「うふふ」と口元を隠して笑う。
「正直に話してくれて嬉しいわ。アレインちゃん、そんなスキルを持っていたのね」
「……ああ。覗き見するような真似して悪かったな」
観念したアレインが謝ると、ベアトは感心したように溜息をついた。
「二重三重に偽装魔法をかけていたのに、バレちゃうなんてね。すごいスキルじゃない、うふふ」
「俺も想定外だよ。今まで使わなかったのがアホだった」
「いいわよ、秘密を共有したほうが男女の仲は進展するって言うし、ブルーナちゃんの正体とお相子ね。うふふ」
ベアトは特に怒る様子もなく、むしろ楽しそうに笑った。
アレインは「やっぱ慣れないことはするもんじゃねえな」と独白していると、前方のブルーナが催促するように叫んだ。
「何を立ち止まっておる。早くするのじゃ!」
訓練場に入ると、ベアトはパチンと指を鳴らして結界を張った。
「こうしておけば大丈夫。バレてしまったから言うけれど、私は魔族よ」
「なんで魔族が人間くんだりの世界にいるんだよ。暇つぶしか?」
アレインの問いに、ベアトは目を丸くした。
「あら、そこまでわかるの? そうよ、暇つぶしに人間に化けて暮らしていたら、魔法学校を首席で卒業しちゃうほどハマってしまったのよ。うふふ」
アレインは「ただの当てずっぽうだよ。そこまでは書いてねえ」と鼻を鳴らす。
カイトは不思議そうに彼女を見つめた。
「ベアトさん、魔族って言う割には人間と変わらないよね」
「ありがとう。でもこれは『変化』なの。ブルーナちゃんの真の姿を見る前に、私の真の姿から見せてあげるわね」
刹那、訓練場全体に禍々しい紫の魔力が渦巻いた。
ベアトの体が濃密な霧に包まれ、その中から全く異なる「気配」が立ち上る。
透き通るような淡い紫色の肌、燃え盛るような深紅の長髪、そして妖しく金に輝く瞳を持つ、魔性の美女だった。
頭部には優美な曲線を描く黒い角が生え、背中には蝙蝠を思わせる黒い翼。
装束も、魔導師の法衣から、肌の露出が目立つ黒革と紫銀の鎧へと変化していた。
「魔族が一体、ベルゼビア・ノクティス。以後、お見知りおきを・・・よろしくね。うふふ」
その場に満ちる、暴力的なまでの魔力のプレッシャー。
(……こいつは、想像以上だ)
アレインは冷や汗を拭った。
さすがは数百年を生きる魔族。
今まで出会ったどの敵よりも「魔」の深淵に近い存在であることを、その立ち姿が物語っていた。
「じゃあ次は、ブルーナちゃんの真の姿を――」
ベアトが期待に胸を膨らませた、その時。
「あ、あ、あ、あの……!?」
訓練場の入り口付近から、ひっくり返ったような叫び声が響いた。
そこには、呆然と自失して立ち尽くしている人物がいた。
「なんで、姉さまが元の姿になってるんですかぁぁっ!?」
そこにいたのは、アレインたちとも顔見知りの女冒険者、ミィだった。
彼女の叫びが、地下訓練場に虚しく響き渡る。




