第28話:数値(データ)を超えた贈り物
メルキアの街の外れ。潮風が運ぶ磯の香りに、焼きたてのパンの匂いが微かに混じる。
そこには、風雨にさらされて古びた白亜の石造りの建物――セレスティア教の教会に併設された孤児院『星明かりの家』があった。
だが、俺は門をくぐる直前、思い出したように市場へと引き返した。
「ねえ、アレインさん! 早く届けようよ。病状が重いって聞いてるんだろ?」
カイトが焦ったように声を上げるが、俺は片手をひらつかせて市場の露店へ向かう。
「ちょっと待ってろ。……そういや、いつも広場で俺のマラソンに付きまとったり、ブルーナの尻尾を追い回してるガキどもの中に、ここの出身が数人いたはずだ」
『アレ兄、今度ブルーナ連れて遊びに来てよ!』
『俺たちの家、街の外れの古い教会なんだぜ!』
『庭が広いから、ヴェルナも走れるよ!』
そんな無邪気な誘いを受けたのを、孤児院の名前を聞いて思い出したのだ。
「あいつら、食欲だけは一丁前だからな。土産の一つも持っていかねーと、薄情者だと一生言われ続けちまう……せっかくの祝杯だ、豪勢にいこうぜ」
俺はそう零しながら、保存のきく燻製肉、子供たちが目を輝かせるような甘い焼き菓子、それに市場で一番新鮮な野菜を次々と買い込んでいった。
「ほう、あの子らの住処じゃったか。ならば、妾の威厳をたっぷり見せてやらねばな」
『……元気な子が多いから、疲れそうね』
ヴェルナは呆れたように大きな溜息をついたが、その黒い尻尾は心なしか嬉しそうにパタパタと揺れていた。
なんだかんだ言って、ヴェルナも子供好きなのだ。
◇
「……これはアレインさん、よくおいでくださいました」
ギィ、と古びた重い扉を開けると、穏やかな微笑みを湛えた老神父が俺たちを迎えてくれた。
エリクサーの件を話すと、神父は一瞬、信じられないというように目を見開き、
それから深く、深く頭を下げた。
「ありがとうございます……。主の御加護があらんことを」
彼は震える手で十字を切り、俺たちを奥の居住区へと案内し始めた。
「アレ兄だー!」
「ブルーナとヴェルナも来てるぞ! 本物だ!」
「……え、こいつ誰だ? カイト? 見たことない奴だな。」
「アレインの弟子か? 弱そうだぞ」
廊下を進むなり、わらわらと小さな影が群がってきた。
「おおうるせー! ほら、土産だ。」
俺が買い込んだ袋を差し出すと、子供たちは歓声を上げた。
「わーい! さすがアレイン! さすアレ!」
「ちゃんと仲良く分け合えよ」
「当たり前じゃん! 俺はそんな意地汚くねーぞ!」
「……ねぇねぇ、ブルーナと遊んでいい?」
「私はヴェルナをナデナデしたーい!」
「あー、いいぞ。ブルーナ、ヴェルナ、子守を頼めるか?」
俺が言うと、ブルーナは
「ギャウッ!」
と勇ましく鳴いて俺の頭から飛び降り、一番近くにいた女の子の胸にスポッと収まった。
「可愛いー! 」
「私にも抱かせてよー!」
『……はぁ、仕方ないわね』
ヴェルナも念話で溜息をつきながら、背中に子供を乗せたり、大きな頭を預けたりと、甲斐甲斐しく相手をし始めた。
「騒がしくて申し訳ありません」
「かまわねーよ。ガキが元気なのはあんたがちゃんと仕事してるってことだろ? なあカイト」
腕を数人の子供に引っ張られて
「カイト! カイトってば!」と洗礼を受けている彼が、困惑しながらも
「……そうだね、いい場所だね」と小さく、だが確かな実感を込めて頷いた。
◇
子供たちに手を引かれ、俺たちは一番奥の、陽だまりのような静かな部屋へと辿り着いた。
そこには、透き通るような肌をした幼い少女――ミリーが、細い呼吸を刻みながら眠っていた。
その傍らで、縋るように手を握り、必死に看病を続けている年嵩の少女――セーラがいた。
「カイト、渡してやれ。それはお前が手に入れたもんだ」
「……ああ。わかってる」
カイトは震える手で、懐からエリクサーを取り出した。
「セーラさん、これ……依頼の品です。エリクサーを持ってきました。もう、大丈夫だよ」
突然の来訪者に驚き、警戒の色を見せていたセーラだったが、差し出された神聖な小瓶を見た瞬間、その目から大粒の涙が溢れ出した。
「あ……ありがとうございます……! これで、ミリーが……本当に、本当にありがとうございます……!」
(姉のセーラが、病気の妹ミリーのために。そこに現れた救世主カイト。エリクサーで好感度爆上がりエピソード、好感度視覚化、全属性魔法……のチート。おいおい、もしかして……)
アレインの脳内に、前世で読んだライトノベルのタイトルが次々と浮かぶ。
『好感度が見える世界で全属性魔法チート覚醒! 美少女ハーレム無双始めました』……いや、これか? 『追放された無能魔導士、実は全属性適正でした。妹を救って聖女姉妹とスローライフ』……的な世界か!?
そんなメタな思考を遮るように、カイトが静かに、だがはっきりと告げた。
「お礼を言うなら、アレインさんに言ってください。僕は運んできただけです。……アレインさんは、血を流して、死ぬほどボロボロになりながら、この素材を手に入れてくれたんですから」
「おいおい、余計なこと言うなよ。カッコ悪いだろ」
「だって、事実じゃないか。……僕一人じゃ、一歩も進めなかった」
カイトは譲らなかった。
セーラは俺を真っ直ぐに見つめ、椅子から立ち上がると、深く、深く頭を下げた。
「この子たちからいつも話は聞いています。アレインさん……本当に、本当にありがとうございました。あなたの慈悲を、生涯忘れません」
「慈悲なんて、そんな上等なもんじゃねえよ。俺はカイトに手を貸しただけだ。……それより、さっさと妹ちゃんに飲ませてやれよ。」
セーラの手によって、黄金の液体がミリーの唇を湿らせる。
すると、まるで魔法のように少女の頬が赤みを帯び、どす黒く浮き出ていた血管のあざが消えていく。
「……ん……。おねえ……ちゃん?」
ミリーがゆっくりと、重そうに、けれど力強く目を開けた瞬間、部屋中に歓喜の渦が巻き起こった。
セーラは声を上げて泣き、後ろで覗いていた子供たちは「やったー!」と飛び跳ね、そしてカイトも、誰もが心からの笑顔を浮かべていた。
「カイト。いつもブツブツ言ってる『好感度』とかいうのは、いいのか?」
俺が耳元で囁くと、カイトは少しだけ顔を赤くして、だが力強く首を振った。
「……何言ってるんだよ。もう、そんなことはどうでもいいんだ」
数値じゃない。目の前の少女が笑い、姉が泣いて喜んでいる。
その「事実」に勝る報酬などないのだと、カイトの顔が物語っていた。
「さーて! 元気になったなら次は飯だ!体は良くなっても体力がなきゃ始まらねえ」
俺は部屋の空気を換えるようにパンと大きく手を叩いた。
「おらガキども! 土産の食材で飯を作るぞ。火起こしと野菜洗いは手伝え! サボった奴の分はねえぞ!」
「はーい!」
「アレ兄の料理だ! 楽しみ!」
俺が子供たちを引き連れて、騒がしく部屋を出ていく
その後ろ姿を見つめながら、セーラはポツリと、カイトに語りかけた。
「……アレインさん。粗野な感じなのに、なんだか不思議と惹きつけられる人ですね。まるでおとぎ話の英雄様みたい」
「……ええ。僕も、そう思います」
調理場から、アレインの「こら、つまみ食いすんな!」という怒鳴り声と、子供たちの笑い声が響いてくる。
「おねえちゃん……おなかすいたー」
ミリーの元気な声が、教会の廊下を通り抜けていった。




