第26話:雨音と、綻び始めた全能感
ポツポツと、冷たいものが頬を叩く感覚で、俺の意識は泥のような闇から浮上した。
空を見上げれば、厚い雲が静寂の森を覆い、静かな雨が降り始めている。
戦いの熱を冷ますような、けれどどこか寂しげな雨だ。
呼吸するたびに、鼻を突くのは焦げた木の匂いと、雨に打たれた土の匂い。
重い目を開けて周囲を見渡した俺は、その光景に一瞬、思考が止まった。
俺が《碧雷・バーストノヴァ》を放った一帯は、もはや「森」と呼べるような場所ではなかった。
半径数百メートルにわたって、数百年を生きただろう巨木が根こそぎなぎ倒され、地面は魔力の爆発によって抉り取られたクレーターのように無惨な焦土と化している。
(……やりすぎたな。これじゃあ、ギルドの連中に説明がつかねえ……)
(よぉやっとお目覚めか? もう一人の俺)
(ああ、相棒……。おはようさん。ひどい目覚めだぜ)
脳内の相棒の声に、俺は心の中で毒を吐きながら答えた。
「な、なんで……なんで傷は塞がってるのに、目を覚まさないんだよ!!」
直後、鼓膜を劈くような叫びが聞こえた。
「アニメやゲームなら、イベントが終わって回復呪文をかけたら、すぐにパッと起きるだろ! なあ、起きてくれよ!」
カイトが喚き散らしながら、俺の体に必死に治癒魔法をかけていた。
彼の指先からは、今までの効率重視な極大魔法とは程遠い、魔力の制御もままならない不格好な光が漏れている。
だが、その光には、システム上の数値を超えた「必死さ」が宿っていた。
「……おい……うるせえぞ、カイト……」
「っ! アレインさん!?」
カイトが驚愕に目を見開き、弾かれたように後ずさった。
俺はため息をつき、ひどい倦怠感に耐えながら上半身を起こす。
脇腹の傷は変身の余波で塞がってはいるが、血管が干上がるほどの失血のせいで、
視界はまだチカチカと火花が散っていた。
「……悪かったな。心配させちまって。……おい、月光草は無事か?」
俺は倒れる直前に拾い集め、懐に押し込んでいた草の感触を確かめようとした。
「……草なら、そこに。あんたが倒れた時、手からこぼれ落ちてたから……僕が拾ったよ」
カイトが震える手で、泥に汚れた月光草の束を差し出した。
「……それがお前のお目当てのエリクサーの素材だ。大事に持っとけ。……俺の血と引き換えなんだからな」
「……わかったよ。わかったから……もう喋るなよ」
カイトは素直に頷き、その草の束を、壊れ物を扱うかのように大切そうに鞄へとしまい込んだ。
その横では、ヴェルナがいつものように涼しい顔で雨に打たれながら立っていた。
『まったく、ようやくお目覚めね。さっさとこの坊やを街まで届けて、あなたを回収しに戻るつもりだったのだけれど?』
脳内に響くヴェルナの冷ややかな念話を聞いて、俺は苦笑した。
どうやら俺が死闘を繰り広げている間、この一人と一匹の間で、相当なやり取りがあったらしい。
遡ること数十分前――。
ヴェルナは俺の命令通り、カイトを背に乗せて全速力で森を駆け抜けていた。
背後で繰り広げられる死闘の轟音、そして森を震わせるトレントの咆哮を聞きながら、カイトは恐怖に顔を青ざめさせていたが、ある地点で突然「止まってくれ!」と叫んだのだ。
「ちょっと待って! 止まってよ!」
カイトが必死にヴェルナの首にしがみつく。
ヴェルナは鬱陶しそうに足を止めると、ついに「馬のふり」を投げ捨て、念話で辛辣に言い放った。
『さっさとあなたを安全な場所へ届けて、アレインのところに戻りたいのだけれど? 邪魔をしないでくれるかしら』
「……っ!! お前、喋れたのか!?」
驚愕するカイトを、ヴェルナは一瞥すらしない。
『ええ。もう馬のふりをしている場合ではないもの。あなたがモタモタしていると、いつまでも助けに戻れないわ。静かに運ばれてくれないかしら?』
冷酷なヴェルナの言葉に、カイトは一瞬ひるんだ。
だが、彼は震える足でヴェルナの背から飛び降りると、焦土と化した森の奥を指差して叫んだ。
「ダメだ……戻るんだ! 僕は、僕は『主人公』なんだぞ!モブ一人を囮にして自分だけ逃げ延びるなんて、そんなの、僕の物語にはあり得ないんだ!!」
鼻水を垂らし、今にも腰を抜かしそうになりながらも、カイトは必死に啖呵を切った。
それに対してヴェルナは、鼻で笑うように吐き捨てた。
『その割にはまだ足が震えているじゃない。さっさと運ばせてもらえるかしら? 無駄な感傷は効率を下げるわよ。……あなたの、大好きな言葉でしょう?』
「うるさい! 効率なんて、もういい!行かせてくれないなら、走ってでも戻る!」
カイトがそう叫んだ直後だった。
森の最深部で、アレインが放った《碧雷・バーストノヴァ》の極大爆発が起きた。
夜の森が白昼のように碧く照らされ、凄まじい地響きが足元を揺らす。
その光を見た瞬間、ヴェルナはアレインが「切り札」を切ったことを悟り、カイトは、自分が「モブ」と見下していた男が、どれほどの覚悟でそこに残ったのかを理解した。
結局、ヴェルナは呆れた顔をしながらも、カイトを再び背中に乗せて戦場へと引き返したのだ。
◇
「……結局、戻ってきたのかよ。効率最悪の選択だな、カイト」
俺の言葉に、カイトは泣き顔のまま、恥ずかしそうに視線を逸らした。
「……うるさいな。僕が、僕の意志で決めたんだよ。……『主人公』なら、当然の選択だ」
俺は少しだけ笑い、カイトの支えを借りて立ち上がった。
自分のプライドを守るために震えながら戻ってきたのは、なんだかんだ言って、嫌いじゃない。
「ふう……傷は塞がったが、まだ血が足りねえな……」
ふらつく俺の体を、カイトが慌てて支える。
「森の外までは、妾が運んでやるのじゃ」
それまで黙っていたブルーナが、不敵な笑みを浮かべて前に出た。
「なら私は森の外で待ってるわ。誰も乗せていない方が早いもの」
ヴェルナはそう言うと、風のように走り去っていった。
あいつ、相変わらずマイペースだな。
「……え、ちょっと待って。こんなちびドラゴンじゃ、二人乗せるなんて無理だよ」
カイトが呆れたように言うが、ブルーナは黄金の瞳を細めた。
「黙れ、小僧。刮目して見るが良いわ!」
ブルーナの体が碧色の光に包まれ、急速に巨大化していく。
光が弾けた後に現れたのは、碧い鱗を雨に濡らして輝かせる、神話から抜け出したような碧燐の古龍だった。
「木々が邪魔じゃったが、アレインが更地にしよったから余裕じゃな。久々に大きく羽を伸ばせるわい」
「……すご……でかい……」
カイトは口をあんぐりと開けて、古龍となったブルーナを見上げている。
「小僧、さっさとアレインと一緒に妾の背中に乗るのじゃ。これ以上の雨は体に毒じゃからな」
俺たちはブルーナの広い背中に乗り込んだ。
雨上がりの森に、雲を割って朝日が差し込み始める。
ブルーナが翼をはためかせると、焦土と化した戦場が瞬く間に足下へ遠ざかっていった。
管理者の指し示す「物語のルート」を外れ、一人の人間として血を流し、泥にまみれ、助け合う。
カイトが今まで見ていた「数字だけの世界」は、俺の流した血と、なぎ倒された森の光景によって、取り返しのつかない「現実」へと書き換えられていた。
「アレインさん……。あんた、一体何者なんだよ……。Aランクって、こんな……」
カイトの呟きに、俺はもう答える気力が残っていなかった。
「……積もる話は後だ。……っつーか、もう眠い。……俺の体、頼んだぜ……」
俺はカイトの細い肩に身を預け、深い眠りに落ちた。
空飛ぶ古龍の背中で、カイトは俺の重みを感じながら、ずっと眼下の世界を見つめていた。




