第17話:修行回、あるいは「ツンデレなお人好し」の日常
自由都市メルキアに戻ってから、数日が経過した。
管理者の野郎からは何の接触もなく、
新しい「主人公」が送り込まれてくる気配もない。
手の甲に刻まれた契約の紋章は、不気味なほど静まり返っている。
(奴が言っていた「コストがギリギリ」ってのは、案外本当なのか……?)
そんな淡い期待が脳裏をよぎるが、即座にそれを打ち消した。
あんなふざけた野郎が、ギリギリの予算で
綱渡りの勝負なんて殊勝な真似をするはずがない。
そもそも「不正をしたら即座に俺の勝ち」なんていう、
自分に不利な制約をあっさり呑んだのも、
絶対的な余裕の裏返しか、
あるいは何らかの罠があるからに違いないのだ。
(きっと、送り込む主人公を厳選しているか、
あるいは本業の銀河管理とやらが忙しいだけだろう……)
俺はそう結論づけ、窓から差し込む朝日を浴びながら手の甲の紋章を眺めた。
未だに勝負の勝ち筋は見えていない。
相手がどんな物語を持って攻めてくるのかすら不明なのだ。
だが、このまま待ってジッとしているのも性に合わない。
「――修行、するか」
ぽつりと呟いた言葉に、脳内の相棒(元アレイン)が「賛成だ」と即座に応じた。
契約の条文には
『アレインの能力や勢力に応じ、送り込める主人公の格が上がる』
という一文がある。
一見すると、俺が弱ければ相手も弱くなるという救済措置に見えるが、
実はそうじゃない。
奴が送り込んでくるのは、どうせ理不尽なチート能力を引っ提げた
「主人公様」なのだ。
相手の社会的地位が貴族や王族に上がったところで、
能力が弱くなるわけがない。
むしろ、政治力や軍事力といった
面倒な権力まで付随してくる可能性の方が高い。
なら、対話をするにしても、結局は「肉体言語」による
話し合いになってもいいように、自分の地力を上げておくしかない。
(……ただ、これ以上力を上げると冒険者ランクが上がって名が売れちまう。
それは懸念事項なんだがな)
(かまわねえよ、もう一人の俺。お前と俺の魂が掛かってるんだ。
背に腹は代えられねえだろ)
「いいのかよ相棒。平穏な生活は期待できなくなるぜ?」
(そん時はそん時だ。あまりに世間が煩くなるようなら、
ブルーナたちを連れて海を渡っちまえばいいだけさ。
……お前を見て分かったんだよ。「居場所」ってのは、
与えられるもんじゃなく、自分で作るもんだってな)
相棒の言葉に、俺は思わず口元を緩めた。
「……言うようになったな。
でも、ブレイブたちは海の向こうまで追っかけてきそうだけどな。
特にエリナあたりは、あの執念深さだ。
世界の果てまで鎖を持って追いかけてきそうだぜ」
(ははっ、ちげえねえ!)
俺たちは声を合わせて笑い、そして決意した。
「さて、みんなが大嫌いな修行回だ。
……まあ、もう俺は『主人公』じゃないんだから、
読者様のご機嫌なんて気にする必要はないんだけどな」
翌朝。
俺の新しい日課は、夜も明けきらぬうちからのマラソンから始まった。
重りをつけた装備で街道を駆ける。
基礎体力を底上げしなければ、魔力の出力にも限界が来る。
毎朝続けているせいか、数日もすると近所の獣人や、
街のガキどもが「アレインの兄ちゃん、今日もおせーぞ!」と、
わらわらと後ろについて走るようになった。
メルキアの朝の風物詩になりつつある。
「おう、アレイン! 今日も頑張ってるな。ほら、朝飯だ。食ってけ!」
果物屋の親父が、瑞々しいリンゴを放り投げてくる。
「ありがとよ!」
走りながら片手でキャッチし、そのままリンゴを丸かじりして疾走を続ける。
(俺はロッキーか何かか?)
そんな雑念がよぎるが、即座に振り払い、
肺が焼けるような感覚を楽しみながら一周を終える。
マラソンが終わればギルドへ直行だ。
俺は報酬の額を無視して、「強そうな魔物」や「厄介な盗賊」の討伐依頼を
片っ端から引き受けた。
狙いは実戦経験の蓄積。
対人、対魔物、あらゆるパターンでの戦闘感覚を研ぎ澄ますためだ。
特に、貴族や大商人の護衛依頼は優先的にこなすことにした。
(もし奴が『貴族主人公』や『王子様主人公』を送り込んできた時、
こっちにコネがなくて会えませんでした、
なんて理由で負けるのは話にならねえからな。
面倒だが、今のうちに上位層と縁を作っておくに越したことはない)
また、ギルドで長年塩漬けになっていた難度の高い依頼や、
報酬が安すぎて誰も受けない僻地の村の依頼も、
片っ端から「ついで」として片付けていった。
ギルド長のガラムや、受付のアレーナは
「本当に助かるよ、アレイン!」
「アレインさん。村のみんなも感謝していますよ!」
と涙ぐんで感謝してくれた。
「修行のついでだ。俺のためにやってるだけだから、礼なんていらねえよ」
ぶっきらぼうに突き放すが、そのせいで街や村の人々からは
「口は悪いが困った時は助けてくれる、ツンデレなお人好し」
という不名誉(?)な称号で呼ばれるようになってしまった。
お陰で、どこに行っても野菜やら何やらを押し付けられる。
修行のつもりなのに、好感度まで上がってしまうのは計算違いだった。
依頼がない日や早く終わった夜は、宿の裏手で仲魔の強化に励む。
以前使った『サクリファイス・ドロップ』。
俺の体液を供物として眷属を強化するスキルだ。
「アレインよ……いよいよ、妾に『秘液』をくれる気になったか!」
ブルーナが顔を赤らめ、期待に満ちた目で潤ませてくる。
『あら、随分と積極的になったのね。私たちの絆も、
ようやくそこまで深まったということかしら?』
ヴェルナまでもが、艶めかしい眼差しで俺を見つめてくる。
「……いや。指先を切って、血を飲んでもらうだけだ。
お前ら、何を期待してやがった」
ナイフを取り出した瞬間、二人の表情は目に見えて落胆に染まった。
「……血か。命の源であることは間違いないが、なんというか、
その……落差が激しいのう」
『……ええ。もちろんあなたの血なら喜んで頂くけれど。
少しだけ、覚悟を決めて損をした気分だわ』
文句を言いながらも、二人は俺が指先から垂らした一滴の血を、
大切に飲み干した。
俺の血を与えられたブルーナとヴェルナは、一時的に爆発的な魔力を放出した。
その効果が落ち着いた後、俺は『鑑定』を使って二人の能力を確認する。
(……ほう。わずかだが、魔力も地力も向上しているな)
ステータス欄に並ぶ無機質な数字を眺めながら、
俺はふと、前世から抱いていた疑問を反芻した。
ラノベでよく見る、この「HP」だの「MP」だのという数値。
魔力はまだわかる。だが、HPが0になったら即死するのか?
それとも単に動けなくなるだけなのか?
そもそも、誰が何の基準でこの数字を弾き出しているんだ?
「理屈は全くわからんが……今の俺にとっては、この『鑑定』もただの
ステータス確認画面に成り下がったな」
かつては世界を知るための唯一の窓だった鑑定スキルも、
今や日課のトレーニングの成果を測る測定器のようなものだ。
街のガキどもに追いかけられ、リンゴをかじり、血を分け与え、数字を確認する。
傍から見れば奇妙な日常だが、これが俺の選んだ「戦い」の準備だ。
まだまだ修行は始まったばかりだ。




