神谷課長は犬になりたい
《あらすじ》
いい雰囲気のバーのカウンター。
隣には、憧れの上司、神谷課長。
なのに、課長の様子がいつもと違いすぎて──!?
カクヨムKAC用に書いた超掌編小説です。
「……まったく、どれだけ酔わせれば、首を縦に振ってくれるんだ?」
「いくら酔わせても、振りません!」
目の前には、憧れの上司、神谷課長。
今、私はバーのカウンターで課長と一緒に飲んでいる。
いつも堅物な課長とこうなってしまったきっかけは、数時間前……。
*
私は、平良通子。
今日は仕事量が多く、残業をしていた。
少し休憩しようと、給湯室の前を通った時だった。
隣の会議室から妙な声が聞こえてきた。
この時間に会議の予定はなかったはず。
「トリの降臨!!」
はっきりと、低い声が聞こえる。
「きたぁーーーーっ!! トリたん!!!!」
……ん?
トリたん?
その名前には聞き覚えがある。いや、むしろ私にとっては特別な名前。
私が推しているアイドルグループKACのセンター、トリたんのことだ。
何を隠そう、私もトリたんのファンだった。
トリたんの魅力は、世代や性別を超えて多くの人を惹きつける。
この会社にトリたんのファンが!?
誰だろう、と気になって扉を開けると──
「か、神谷課長!?」
「た……平良くん!?」
まさか、あの堅物クールな神谷課長が、トリたんのファン……!?
「課長……。今、トリたんって……」
しばしの沈黙が流れた。
「バレてしまっては仕方がない」
課長は、スマホ画面をこちらに向ける。
アイドルグループKACとコラボしている、ソーシャルゲームのガチャ画面が映っていた。
「確率1/50000のトリたんが来たんだよ!! ああー。課金〇〇万円注ぎ込んだ甲斐があったぁー」
うわぁ……ガチのファンだ、この人。
「課長って、トリたんのファンだったんですか?」
「ああ……。黙っていてくれると助かる」
「言いませんよ。その代わり……」
「な、なんだ? 口止め料か? ご馳走くらいならできるが──」
「私と、トリたんについて語ってください!!」
「え?」
「実は、私もファンでして……」
「そ──そうだったのか!!」
がっしりと手を掴んでくる課長。
そして、意気投合しバーのカウンターへ来たまでは良かった。
私は、ついうっかり「今度のライブのチケットが取れた」と口を滑らせてしまったのだ。
「平良くん、いや、平良様! お願いだ、そのチケット、譲ってくれ!!」
そうなりますよねー。
「いやですよ。やっと取れたチケットなんです」
「……まったく、どれだけ酔わせれば、首を縦に振ってくれるんだ?」
そう言いながら、お高いお酒をどんどん勧めてくる。
そして、顔面偏差値が無駄に高い!!
いくら憧れの課長だからって、KACのチケットは譲れない!
「いくら酔わせても、振りません!」
「いくらならいい? あいにく、手持ちはこれだけしかなくてな」
と、分厚い財布を出してくる。
待て待て待て、もしかしてこの人、ここで断ったら転売チケット買っちゃうんじゃないの?
「うううーーーー。わ、かりました! このチケット、お譲りします」
課長が転売屋に走らなければ! それでいい!
「そうか! いくらだ? 言い値で買おう」
「ちょい! ストーーップ! 定価でかまいませんよ」
「なに? そういうわけにはいかない」
「いや、ほんとに……。お金がほしいわけではないので」
「君は神か? いや、神はトリたんだな……」
課長、かなりこじらせてるなーー。
「ならば、君は天使だな。うん、きっとそうだ」
思わずときめいてしまうところだった。
「しかし、それでは俺の気が済まないな……。そうだ、君をこれから『平良様』と呼ぼう」
「絶対にやめてください」
「呼ぶのもダメか……。では、奴隷になろう、犬でもいい」
「課長ーーーー!」
なんで推しのライブチケットの話をしてただけなのに、上司が犬になろうとしてるんですか!?
「あの、本当に! 仕事で困ったら助けてください。それでいいんで!」
「そうか……。君は菩薩のような人だな」
天使だったり菩薩だったり、忙しいな。
「あ、そうだ!」
お願いしたいこと、思いついた!
「なんだ?」
「今回は課長にお譲りしますけど、もし、今度二人ともチケットが取れたら……」
ライブの話題とはいえ、こんなことを言うのはやっぱり恥ずかしい。
でも、せっかくなら……。
「KACのライブ、一緒に行ってほしいです」
課長は、一瞬驚いたように目を瞬かせた後、ふっと口元を緩めた。
まるで、とびきりのレアカードを引き当てた時のような、嬉しさを隠しきれない顔で。
「お安いごようだ」
── 完 ──




