5.まさに
本編第五話です。
不意に。
ぐん、と体が持ち上げられる感覚がした。体に重力が重くのしかかっているような、飛行機が上昇するときのような違和感のある感覚が全身を襲う。そしていきなり水からあがったときのような耳鳴りと頭痛がして、顔をしかめる前に目の前が暗い色で覆われた。
急な蒸し暑さに苦しくなり、跳ね起きる。
スーパーまでの道のりの途中にある、木陰のある公園。
あまりの眩しさに顔を上げると、日陰になっていたベンチに燦燦と輝く太陽光が降り注いでいるのが見えた。時間の経過で太陽のが移動し、木陰だった場所も移動したのだろう。日の光が当たったことで目が覚めてしまったようだ。
暑さで正常に働かない頭でぼんやり考える。あの夢は何だったのだろうと。
夢とは、その多くが時間の経過とともに忘れるものだ。今見た夢もだんだんと輪郭がぼやけ、記憶が抜け落ちていくのを感じる。
消えゆく中で、あの夢がなんだか意味のあるもののように感じられてしまい、持ち歩いている手帳を取り出して、かろうじて残っている情報を書きだした。手帳に文字が躍るたび、記憶が紙に落ちていくような心地がした。
スーパーは、平常よりも賑わいを見せていた。
店頭に並んだテレビに映るニュースキャスター曰く、今年は記録的な猛暑なんだそうだ。
夏場も比較的涼しい気候であったこの地域には、クーラーなんてたいそうなものは滅多にない。打ち水や風鈴の方が主で、扇風機が二台もあるような家庭は珍しい。猛暑日は普通35℃以上の日のことを指す。流石にそこまではいかないが、最近は30℃の日も出てきている。それでも、家庭にクーラーが増えることは稀だ。
結局のところ、扇風機やクーラーを家庭に増やすよりも、クーラーが元からあるスーパーに行った方がメリットは多いのだろう。大きい買い物をする必要も取り付ける手間も、消費することがほぼ決定してしまう多大な電気代も節約できて家計にも優しいということだ。買い物に必要な時間以上に、滞在の必要性の有無を問わず、老若男女がスーパーの下に集まって各々の時間を過ごしていた。
一応これから利用する身なので、水を購入して一旦隅に落ち着く。すると、こちらに気づいたご婦人が話の輪からわざわざ抜け出して話しかけに来た。
「あら、先生。今日はどうなさったの?」
愛想笑いを向けて誤魔化す。こういった手合いは下手に言葉を重ねるよりも、無害を主張するように笑顔を押し売った方がうまくいく。彼女らは恐らく、顔面の良さではなく若さに飢えているのだろう。回数を重ねてもなおぎこちない笑顔の何がいいのか、いともたやすく黄色い悲鳴があがった。
先生とは、ただのあだ名である。
持論ではあるが、先生とは本来、名前を聞いてすぐ代表作や処女作が自然と出てくるような大作家を称えて言う敬称だと思っている。もちろん自分は呼んでもらえるような売れっ子ではないので、呼ばれるたびに羞恥心で胃がむかむかする。顔が熱くなっていないか心配で、考えているふりをして何回か顔を触って確かめてしまう始末。
彼女らは、小説家と名乗ったときからこんな調子だ。こういった手合いは、本質までは見ない。俺の小説を探し購入したわけでも読んだわけでもなく、ただ小説家という字を気に入って好んで使っているだけだろう。きっと、俺の名前は憶えていない。人は使わないものから忘れるから。
彼女らの似たり寄ったりな無駄に長い世間話を聞きながら、冷房の風を浴びる。内容がするすると頭から抜け落ち、冷房が熱でこわばった体のをほぐしていく。先ほどまで寝ていたはずなのに、ふっと意識が飛びそうになった。これでは立ったまま寝てしまう。それらしい言葉を並べ、冷房の真下から避難することにした。
無事に続きました。
次回の投稿は8/8(金)です。お楽しみに。