4.夢か
本編第四話です。
目を開けると、異様な光景が広がっていた。
辺り一面に、濁った水が広がっている。ただひたすらに伸びた一本道だけが、日常の一幕のような顔をしてそこにいた。
おそらく、ここは夢の中なのだろう。こんなことが現実で起きたのなら、もう少し危機感が迫ってくるはずだ。人間のわずかに残された生存本能が、嫌でも騒ぎ立てただろう。ここは危ない。逃げなければ死ぬ、と。
とりあえず、歩いてみることにした。
この夢が意味するものが何なのか。夢とは記憶の整理であり、脳の処理機能の一環と言われている。だがこれといった心当たりもなく、こんな変な夢を見るほど疲れてはいない。
確かに奇妙だが、恐怖する要素もない。ともなれば、残るのは好奇心のみだろう。これは明晰夢なのだろうか。せっかく夢と自覚しているのだから、そうであってほしいと思う。
ひとまず自身の意識で歩くことはできるようだが、これからの出来事がそうとも限らないし、ここに留まって状況が動くとも限らない。動けば、ネタになる。夢なら何が起きたって関係ない。生命の危機にさらされるわけでもないし、そこでの体験は無料だ。なんて素敵なのだろう。
履いているズボンを限界までたくし上げ、歩く。
水をけり、足を沈める音だけが響く。水の感覚は現実に近かったが、やたら生ぬるく、肌に絡みつくような不快感を覚えた。ふと足元を見ると、足を進めるたび、水嵩が増していくことに気がついた。足首から脛、脛から膝まで。どんどん上がっていく。決して地面が沈んでいるのではなく、本当に水面が上がっていく感覚がした。辺りは、段々と霧がかかったようにぼんやりとしていく。
そうして進んでいくと、ぼやけ始めた視界の端に人影が写った。小さな、今にも水に沈みきりそうな小さな影。このころになると、水は俺の膝を完全に覆っていて、たくし上げたズボンの裾を少し濡らしていた。
目を凝らして、意識して見ようとする。輪郭がだんだんとはっきりするにつれ、人影は自分の腰ほどしかないことがわかった。子供だろうか。それと同時に、子供に向かっていく不審な影を見た。水の中を這うように進み、子供を囲うように群れている。
瞬間、視界がカッと熱くなったことを感じた。
俺はここが夢の中であることも忘れ、夢中で飛び出した。得体の知らない生き物の群れを押しのけ、子供を抱えてがむしゃらに駆ける。水が足に絡みついて上手く進めなかったが、それでも必死に足を動かす。
必死に走って、走って、走っていくうち、腕の中の子供が自身に何かを伝えようとしていることに気づいた。思っていたよりも強い力で襟を引っ張っている。動悸が激しい胸を無理くり抑え、ひとまず子供を下ろそうとしてふと気づいた。
辺りの水は膝まで下がっていたが、記憶にあるよりも鈍く、生活汚水の如く濁っていた。こんな場所に下ろすのははばかられる。小脇に抱えていた子供の膝の裏に手を入れ、抱きかかえる。顔がぐっと近づき、ようやく表情をうかがえた。
憔悴しきった様子の子供は、どうやら少女であるようだった。黒い喪服のようなワンピースを着ていて、頭のてっぺんからつま先まで水を被ったように濡れている。
どうしてこんなところにいるのか。なぜ夢に出てきたのか。あまりに現実に近しい感覚に、これは夢ではないと錯覚してくる。声をかけようとした、そのとき。
足元から這い上がってくるような恐怖。咄嗟に少女を背後に庇い、その方向に目を向ける。
一羽、二羽、三羽…。数えきれないほどの烏が、一斉にこちらに目を向けていた。
そして、今にも襲い掛かりそうな様子でこちらをうかがっていた。
無事に続きました。次回の投稿は今のところ未定です。
進捗は活動報告にて行っておりますので、チェックしていただければ幸いです。