2.目をつぶる
本編第二話です。
両親は、昔から綺麗なものに目がなかった。
祖父母から譲りうけたという大小色とりどりの宝石に、親戚の貿易商から買い取った古い絵画、彫刻、古いコインといった値の張るものから、ビー玉やガラス片、写真集といった簡単に手に入るものまで。物で溢れかえった我が家は散漫としていて、居心地が悪かった。
だから性格が悪いだとか、異常な思考を持っていたとかではない。私を愛情をもって育ててくれたし、常識を教えてくれた。そのおかげで、今平穏に過ごすことができているのだから。
私がそれに気づいたのは、初めて遠出をしたあの日。
小学校の社会科見学で、美術館に行った時のことだった。
美術館には、綺麗なものがいっぱいだ。家にあるような見慣れた輝きに辟易する。もう見たくもないし、興味が湧かなかった。
私はただ退屈だった。強制されて連れてこられた場所で、興味もないものを見させられている。熱心な教師、興味津々な友人。どれもがいらない要素で、今は視界の端にも入れたくなかった。
そうして視線を動かしたとき、ふと一つの作品が視界の端に映った。
大きな人だかりから覗く、一体の人形。愛らしい西洋風の人形は当たり前だが生気がなく、暗い場所で見たらゾッとしてしまいそうな瞳を持っていた。
なんとなしに見つめていると、もやもやと、今まで体感したことのない違和感が胸の内に広がるのを覚えた。なんだか気味が悪い。もう次の展示を見に行ってしまおう。そう思って足を一歩動かしたそのとき。
目があった。
目があうというのは、大抵互いに互いの存在を認識したときに起こる。
気のせいだろう。もう一度見て、あわなかったら気のせいだ。そもそも、人形と目が合うなんて馬鹿げている。一度目をそらし、もう一度見ようとする。
目がそらせない。
足が棒のようになって、思うように動かない。
人形の吸い込まれるような青い瞳が、肉体を通して心を見透かしてきているような、拭えない不快感がふいに襲ってくる。
そこから、早く逃げたくて。動かしにくい足をもつれさせながら必死に人の波をかき分け、美術館から飛び出した。
綺麗なものは、怖い。
吸い込まれてしまうような、えも言えぬ恐怖。
ぞわぞわと肌を虫が這っているような感覚が襲ってきて、足が震えて立てなくなる。
両親に言ったことがある。でも、困ったように笑って、それ以上は何も言ってくれなかった。そうしていつものように綺麗なものが部屋の隅に増えていった。
そうしてわかったのは、怖いものは、怖いと感じた人にしかわからないということ。この感覚は、普通の人にはないものだということ。言ったところで誰もわかってくれないということ。
だから、怖いものから逃げるよりも、知らない顔をしていなきゃいけない。どんなに怖くとも、逃げてはいけない。そうでなければ、いざというときの逃げ場所もなくなってしまう。必死に平静を装う他なかった。
でも、それ以上に、両親が綺麗なものを愛していたから。愛する人の愛するものを愛そうと努力した。
愛するために、綺麗なものをお世話することにした。
恐怖を覚えながら宝石を並べ、絵画の埃を落とし、コインを磨いた。
そうしていると、怖いものがどんなものかわかるようになった。
凶暴で手のつけようのない狂犬を、柵で囲って近づけるようにするように。
目を背け、気づかないふりをすればいい。もしくは、興味のないふりをすればいい。
両親のコレクションを練習台にして、平気なふりをできるように。少しづつ慣れていったのだ。
でも、これは違う。こんなものは知らない。
周りの声がはっきりと聞こえない。
音は絶え間なく耳に入っているはずなのに、音がやけに遠くに聞こえる。
耳鳴りが止まない。
まるで世界に、知らない人と二人だけ取り残されたような感覚。
音も、視界も、思考も。たった一つのことに気を取られ、戻ってくる気配がない。
耳の奥で、誰かがささやいているような感覚がする。
どこかで、水が落ちる音がした。
お読みいただきありがとうございます。次話の投稿の予定は未定です。一応公式企画にのっかって投稿しているので、来週の同じ日、時間に投稿できるように努めていきたいと思います。