お隣は洗濯日和
西暦2173年。
人類は火星に定住しはじめていた。
とはいえ、火星は過酷だ。
寒い、乾燥している、そして酸素がない。
それでも「地球より家賃が安い」という理由で、
多くの中流層が火星のコロニーに移住してきていた。
火星歴5年目の男、ミナトもそのひとりだった。
—
ある日、彼はふと気づいた。
自宅の窓から見えるお隣の家のベランダに——
干してある。洗濯物が。しかも、普通にヒラヒラしてる。
「……おいおい、ここ火星だぞ? 大気圧ゼロだぞ?」
驚いたミナトは、興味本位でお隣に訪ねた。
住んでいるのは、老夫婦だった。にこやかな笑顔で迎えてくれる。
「ああ、うちの洗濯物ねぇ。あれね、“自家栽培”なのよ」
「じ、自家栽培……?」
—
話を聞くとこうだ。
火星に布地を輸入すると税金が高い
洗濯機は電力消費が激しい
よって、「服を育てて、使い終わったら干して再生する」方式
つまり、あれは服型の植物らしい。
乾燥させると元の形に戻るらしく、しかも自動で除菌・リフレッシュ機能つき。
「でも、外気って危険じゃ…」
「うふふ、うちは火星対応型ハイブリッドベランダだから平気なの」
ミナトは妙に感心した。
「火星に来てまでエコとは……」
—
数日後、ミナトの家にも布っぽい草が届いた。
なんとお隣がこっそり苗を植えてくれたのだ。
「いいでしょ、次の流行は“服の家庭菜園”よ」
—
それからミナトも、洗濯ではなく“栽培”をするようになった。
服は伸び、乾き、再生する。
ハンカチなんて、3日で実った。
—
ある日、政府の火星住宅管理局が回ってきた。
「おや? お宅、お隣さんから服の苗をもらってませんか?」
「え? はい…いただきましたけど」
「やはり。違法です」
「えっ!?」
「火星では衣服も“居住空間の一部”に該当します。
許可なく他人の家で発芽させると、領土侵害にあたるんですよ」
—
こうしてミナトは、火星に来て初めての罰金を払うことになった。
金額は、地球の洗濯機が3台買えるほどだった。
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お隣の老夫婦は、しれっとしていた。
「お気の毒に。でも、うちは全部許可取ってるから。火星歴長いからねぇ」
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ミナトはその日、誓った。
「やっぱり火星でも、ご近所づきあいは慎重にしよう」
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そして夜、ベランダで服の芽がしおれていくのを、
彼は遠い目で見つめていた。