アップル救世主論
ある日、農業研究機関のひとりの若手研究員が、一個のリンゴに奇妙な反応を示した。
計測器がピコピコと異常値を示す。
「……なんだこれ?このリンゴ、ウイルス耐性物質が…全種に?」
実験を重ねた結果、それは世界中の病原体に効く、**万能抗体物質“Apelin”**であると判明した。
しかもリンゴの中でも、ごく限られた条件で育ったものにしか含まれていない。
ニュースは瞬く間に広がった。
“Apelinこそが、世界を救う希望だ”と。
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製薬会社はこぞって買い取りに走り、リンゴ農家は一夜にして大富豪に。
テレビでは“奇跡のリンゴ農家”として、青森のじいさんが毎晩インタビューに引っ張りだこ。
国連はリンゴ栽培を地球的最優先事項に定めた。
“Apelin保護区”が世界各地に設けられ、
子供たちは学校で「1日1リンゴ、感染ゼロ」と歌った。
そのとき、最初に発見した研究員・佐藤は、まったく表に出なかった。
というより、誰も彼のことを覚えていなかった。
「おい、なんで俺が無視されるんだ…」
佐藤は思い悩んだ。
確かにリンゴはすごい。Apelinはすごい。
でも、最初に見つけたのは自分だ。
じいさんでも、リンゴそのものでもない。
嫉妬。怒り。やがて、ひとつの疑問が芽生えた。
「……Apelinって、本当に万能なのか?」
彼は再度、研究をはじめた。
表に出ていない副作用の存在を探るために。
1ヶ月後、彼は恐るべき事実を突き止めた。
Apelinを摂取し続けたマウスの脳が、
急速に“感情を喪失”していく。
喜びも怒りもない
好奇心も消え
単純作業だけを無限に繰り返す
やがてそれは、命令だけを忠実に実行する存在となった。
彼はすぐに論文を出したが、誰も信じなかった。
政府もメディアも製薬会社も、今さらリンゴに悪者になってほしくないのだ。
「リンゴが危険なわけないでしょw」
「陰謀論乙」
SNSでは彼の顔写真が拡散され、
“リンゴに親を殺された男”とあだ名がついた。
佐藤は世間から消えた。
数年後――
Apelinは水に混ぜられ、全人類に配布されていた。
戦争はなくなった。犯罪も、暴動も。
人々は穏やかに働き、感情を乱すこともなく、毎日を繰り返す。
ただし。
笑う者もいない。泣く者もいない。歌う者もいない。
感動も、恋も、創造も、すべて消えた。
“完全に管理された、平和な社会”が完成したのだった。
そんな中、地下でただひとり、研究を続ける男がいた。
「……やっぱり俺、バナナ派だったんだよなあ」
彼の冷めた目には、感情が宿っていた。