後編 ~魂を導いた者~
俺の名は如月。
いや、これは今の仕事上の名前か・・・。とにかく俺は少し前に「なんとなく」なんて馬鹿みたいな理由で散歩に出かけ、そして不運にも交通事故で命を落とした。
・・・え? じゃあなんで今話ができるのかって? まあまて、落ち着け。
ただ死んで終わり、だったらよかったのだが、俺は死後の世界で「魂を導く仕事」・・・通称「死神」の女、咲夜と出会った。
俺は咲夜の提案で死ぬ一日前に戻り。後悔の無い死を迎えることができた。
だが、そんな俺の死に様が死神の予測を上回る現象を引き起こしたらしく、俺は何故か死神にスカウトされ。ついこの間まで見習いとして頑張ってたのである。
・・・というのが少し前までの話。俺は今・・・。
「だぁ~かぁ~らぁ~! アンタはもう死んでるんだって!」
「あぁ~~~~?」
「ぐっ・・・このおいぼれめ・・・」
「誰がおいぼれじゃこの若造がああああぁぁぁぁ!」
「しっかり聞こえてんじゃねぇかよ、このジジイ!」
あれから数日、俺は見習いからあっさりと一人前となり、一人で仕事をこなしていた。本来ならもう少しかかるらしい見習い教育をこんなに早く終わらせる辺り、咲夜サンは本当に優秀だったようだ。
今はチマチマと仕事を消化している。
今になって知ったのだが、咲夜サンは俺が死ぬ一ヶ月も前から俺を観察してたらしい。
あの時、俺が親友の死亡予定時刻を狂わせたように、予定よりも早く死ぬ人間がいるからだ。
そんな時、導く人がいなければ、その魂は悪霊になってしまうらしい。
だから、死神達は死亡予定時刻の最大一ヶ月前から対象の観察を開始しているそうだ。
それでも、予定より一ヶ月以上早く死んでしまって、そのまま悪霊になってしまう魂もあるらしいが・・・。
その点に関しては俺は幸運なんだろうか・・・。
何はともあれ、俺は今のところ後悔していない。日々を「なんとなく」生きていたあの頃と比べると、俺の毎日はすごく充実しているからだ。
多くの人を観察して、いろんな人の心に触れた、人生に触れた。それだけで、俺には貴重な経験だった・・・。
「お嬢様・・・ですか・・・」
次の対象に関する資料に目を通しながら俺は呟いた。
「そ、なかなか立派な家に住んでるみたいね。ご両親はいつも出張で留守。ほとんど一人暮らしみたいなものよ」
「・・・なるほど・・・」
顔写真を見てみる。流石にお嬢様らしい整った顔には気品が感じられる。
「あら? 一目惚れ?」
咲夜サンはクスクス笑ってこっちを見る。
「・・・からかわないで下さいよ・・・」
俺はそっぽを向いた。
「ここか・・・」
対象の家は遠目からでもすぐにわかった。流石に大きい、一度でいいからこんな家に住んでみたいものだ。
門の前に下りてみる。それだけで目の前の家の迫力は増した。
「さて、と・・・」
俺はそのまま門に手で触れる。 ・・・そのまま俺は門をすり抜けた。
・・・死んでいる以上、当然のことだが、やはりこの感覚は慣れない。そのまま庭を通り、家に近づいていく。
「ん・・・?」
近づいていくうちに、俺は“それ”に気づいた。
「音・・・?」
美しい音色だ。何かの曲だろうか? それは家の中から、そしてこの敷地内に響いている。
「お邪魔します、と・・・」
俺はその音色の方へ誘われるように壁をすり抜けていった。
「あ・・・」
辿り着いた部屋の先には、一人の女性がいた。今まで聞こえていた音は、彼女のフルートの音色だったらしい。
お嬢様らしい、美しく、気品のある顔立ちは、まさしく俺が探していた“対象”だった。
「へぇ・・・」
部屋に入って、よりはっきりと聞こえるようになった音色に、俺はすっかり聞き入っていた。流れるようで、それでいて引き込まれるような、深く、澄んだ音色。それは、彼女の心を表しているかのようだった。
俺はそのまま、彼女の演奏が終わるまで、その音色に聞き入っていた・・・。
やがて、演奏が終わり、部屋を静寂が支配する。
「・・・」
すごい、素直にそう感じた俺は、彼女に拍手していた。まあ、見えてるわけじゃないし、聞こえるわけ・・・。
「ありがとうございます」
・・・。
・・・あれ? 今、この部屋には俺と彼女しかいないよな? 今のは俺が言ったんじゃない。じゃあ彼女が言ったんだ。
・・・誰に? え、俺? いやいやいや、そんなはず無いよ、だって俺、死んでるもん。
だが、そんな俺の考えを否定するかのように、彼女は微笑みかけている。 ・・・こちらに。
・・・い、いやいやいやいや! ほ、ほら! あれだよ! 俺の後ろに誰かいるんだ! それでこっちに・・・。
そう思って後ろを振り返るが、誰もいない。
そして女性は止めとばかりにとんでもないことを言った。
「あなたですよ、あなた、黒服の人」
・・・。
「・・・」
俺は、ギギギ、と油の切れたロボットのように引きつった笑みを浮かべながらゆっくりと振り返った。
「私に何か御用ですか?」
女性は、しっかりとこちらに微笑みかけていた。
「・・・霊感・・・」
俺はなぜ自分が見えているのかわからず、パニックになっていたが。
彼女のどこかのんびりとしたオーラに飲まれて、次第に落ち着きを取り戻していた。
「自分は幽霊です」なんて、トチ狂った説明も何故かあっさりと受け入れた。この女性、只者ではない。
そして、なぜ見えるのか、その理由として有力なのが“霊感”だそうだ。
彼女は昔からそういった類のものが見えていたらしい。なるほど、俺たち死神も霊っちゃあ霊だが・・・。
・・・その辺は今度、咲夜サンにでも聞いてみるとしよう。
「それで、幽霊さんが何の御用でしょう?」
うわー、“幽霊さん”だってさ。絶対この人、泥棒とかにも“さん”つけるタイプの人だ・・・。
「えっと・・・その・・・」
はたして、言っていいのだろうか。もちろんそういう決まりがあるのかもしれないが、それ以前に
「あなたはもうすぐ死ぬから導きに来た」なんて残酷なことをこの目の前の女性に言っていいのだろうか。
しかし、相手にこちらの姿が視えている以上、理由も話さずにずっと監視するのは失礼だ。
やはり、話すべきなんだろうか・・・。
「あの・・・。実は、あなたは・・・」
俺が、その核心を口にしようとしたとき・・・。
「もしかして、もうすぐ死んじゃうとかですか? 私」
「───」
もはや、何も言えなかった。
彼女には霊感がある。ならよく考えれば当然のことだった。
彼女はよく俺たちのような“黒服の幽霊”を目撃していたらしい。そして、その“黒服の幽霊”が他の幽霊を導いているところも・・・。
それを見た彼女が、俺たちのような“黒服の幽霊”が“他の幽霊を導く存在”だと認識するのに、そう時間はかからなかった。
その“黒服の幽霊”が今、目の前にいる。だが自分はまだ死んでいない。なら答えは簡単、これから近いうちに死ぬということだ。
・・・そこまで彼女は理解してしまっていた。
・・・なんていうかもう頭が上がらない。つーかすげぇよアンタ、マジで只者じゃねぇな。
「・・・その、なんか、すいません」
何故か、俺は頭を下げていた。おそらく変えられない運命を突きつけてしまったことへの謝罪か、それとも・・・。
だが、それでも女性はその微笑を崩すことなく。
「気にしないで下さい。あなたは私の質問に対して、ただ事実を言ってくれただけなんですから」
そう言ってくれた。
「それで・・・、私はいつ死ぬんですか?」
「・・・えっと・・・」
言っていいんだろうか? 決まりとかあったっけ? いや、それ以前に彼女にこれ以上辛い現実を突きつけない方が・・・。
「私は・・・知りたいです。もし、私に気を使っているのなら気にしないで下さい」
「・・・」
そこまでの覚悟を前にして、俺は断ることができなかった。
「今からだと・・・」
そういえば、俺もまだ彼女の予定時刻を確認していなかった、時刻は・・・。
「・・・ちょうど一ヶ月後だ。まだ少し時間がある」
それを聞いた女性は少し驚いたような、がっかりしたような表情をして
「一ヶ月後・・・そうですか・・・」
と言った。 ・・・何かあるのだろうか?
「・・・その・・・何か予定でも?」
俺は遠慮がちに聞いてみたが、彼女はすぐにさっきまでの微笑に戻って
「ああ、いえ・・・たいしたことじゃ、ありませんから・・・」
そう答えた。
───翌日、彼女の死亡予定時刻まで三十日。
「なんだ、同じ学校の先輩だったのか」
昨日あれから少し話していたのだが、彼女が俺が生前通っていた高校の一つ上の先輩だと気付いたのは、翌日の朝のことだった。
「私もビックリしましたよ。まさか同じ学校の後輩だなんて」
それでも、女性は少し嬉しそうだ。
「あの・・・それじゃあこの前事故で死んだ生徒ってもしかして・・・」
「ああ・・・多分俺だ」
考えてみればそうだ。このまま彼女の観察の為についていくということは、俺が通っていた高校に行くということ。
しかし、俺はまだどうしても母校に足を踏み入れることを躊躇っていた。
当然だろう。俺はついこの間までそこに通い、普通に生活していたのだから。近くを通るときもどうしても避けてしまっていた。
「・・・」
「あの・・・大丈夫ですか?」
「ああ、いや・・・」
いろいろ考えて難しい顔をしていたのだろう、気を使われてしまった。
「仕事だから、公私混同はやっぱだめでしょ」
俺は死神、今は仕事中だから仕方ない。そう自分に言い聞かせ、気持ちを切り替えて俺は母校へと向かった・・・。
学校は何一つ変わっていなかった。当然といえば当然だが、俺は死神になって始めて訪れたのだ。なんだか本当に久しぶりな気分だ。
「やっぱり・・・変わってないな」
「・・・」
「あっ・・・と」
思わず呟いた言葉は、確かに彼女の耳に入ったのだろう。複雑な表情で見つめられていた。
「気にするな。行こう」
俺たちは歩き出した。
廊下を歩いている。朝早いこともあって、まだ廊下には人が少ない。いつもの喧騒もなかった。
「・・・」
俺が死んで数日たった。だがその数日で俺のことはまるで無かったことのように感じられた。
・・・いや、当然なのかもしれない。俺はあまり目立つタイプではなかったからな・・・。
そんな事を考えていると・・・。
「あっ・・・」
そこは、俺がいたクラスだった。
おかしい、彼女は一つ上だから、この教室は通らないはず・・・。 ・・・まさか。
「・・・アンタ、もしかして・・・」
彼女は、俺を見て微笑んでいた。その表情のまま
「・・・やっぱり、気になると思って。 ・・・余計、でしたか・・・?」
「・・・」
まだ教室にはほとんど人がいない。もしかしたら、そういう点でも気を使ってくれたのかもしれない。
「・・・いや・・・」
なら、答えは一つだ。
「ありがとう。 ・・・じゃあ、少しだけ」
「・・・」
まさか花が置いてある自分の席を見る日が来るとはな・・・。ものすごく複雑な気分だ。
(アイツは・・・)
ふと、アイツの席を見る。本人はまだ来ていない。
・・・少しは、悲しんでくれたのだろうか・・・。 ・・・なら、いいのにな。
「・・・もう、いいんですか?」
俺はそれだけで教室を後にした。それが彼女には意外だったのだろう。
「お友達の方がすごく悲しんでたって聞きました・・・まだ来てないみたいですが・・・」
「・・・いいよ。見たら、きっと立ち直れなくなる」
それからは、俺の馴染んだ日常だった。ただ、やはり見えていないとはいえ先輩ばかりの教室は緊張する。それに・・・。
「・・・」
授業なんぞわかるか! 仕事上、彼女から離れられないため、俺はわかりもしない授業を延々聞かされるハメになった。
一応彼女を見とかないといけないので居眠りもできない。 ・・・拷問か。
「くそ・・・」
いきなり散々だった。
「・・・」
休み時間、やっと少しは楽ができるかと思えば・・・。
「ここは・・・こうなります」
「そっか~。 ありがとう、助かったわ!」
「次、ここなんだけど・・・」
「ああ、そこは・・・」
また勉強かい!
この先輩、やはり頭もいいらしい。休み時間になれば多くの生徒が彼女に勉強を教えてもらいに来ていた。
教え方も上手い。俺も生きてたら教えてもらいたいくらいだった。
そんな中で、俺は気になる話を聞いていた。
「フルートの発表会、もうすぐだよね? みんなで見に行くからね!」
「あ・・・えっと・・・」
俺が気になったのは、そのときの彼女の表情が、自分がいつ死ぬのかを聞いたときの表情と似ていたからだ。
発表会・・・一ヶ月後・・・。
・・・もしかして。
俺の中には、ある一つの仮説が出来上がっていた。 ・・・当たってほしくない類の。
「なぁ・・・アンタ」
放課後になって、帰り道。俺は思い切って本人に聞くことにした。
「はい? なんでしょうか?」
「・・・」
どこまでも優しい微笑みを浮かべる彼女に聞くのはためらわれたが・・・。
「フルートの発表会って、いつの話なんだ?」
「・・・!」
彼女はそれを聞くと少し驚いて、それきり俯いてしまった。
「・・・やっぱり・・・」
どうやら、俺の予想は正しかったらしい。
「・・・いつなんだよ?」
「・・・その・・・」
どうやら観念したらしい、彼女はゆっくりと口を開いて・・・。
「・・・来月の初め、です。 ・・・ちょうど、私が死ぬ少し後・・・」
そう答えたのだった。
「そんな・・・! どうして最初に言ってくれなかったんだ!?」
思わず声を荒げてしまう。当然だ、そんな大事なことを今までずっと彼女は黙っていたのだから。
「いいんですよ・・・仕方ないですし・・・」
「それでも・・・! ・・・そんなのって・・・」
俺はまだ言いたいことがあったが、彼女の悲しそうな・・・それでいてどこか寂しそうな表情を見ると、何も言うことができなかった・・・。
「・・・くそっ・・・!」
あれから帰宅して、俺と彼女との間に会話は無かった。今は夜、彼女はもう寝てしまっている。俺は一人、屋敷の屋根の上から夜の街を見つめていた。
「発表会なんて大切な日の直前で死ぬなんて・・・理不尽だ」
運命なんてものを決めた奴に怒鳴ってやりたい。
正直、どうにかしてやりたいとは思っている。しかし俺はもう死んだ身だし、第一死神としての仕事が・・・。
「公私混同だしな・・・。でも」
やっぱり納得いかなかった。
「・・・行くか」
彼女が寝ている間の少しの間だけ街を見てみよう、何か手がかりがあるかもしれない。公私混同なんてもう知るか!
「咲夜サンも適当だからな! そんな人の教育を受けたからだ!」
自分でも無茶苦茶な理由を叫びながら、俺は夜の街へと向かっていった・・・。
・・・大丈夫だ、俺は一度、人の運命を変えてやったんだから・・・!
「・・・無茶か・・・」
街を見るだけで手がかりなんてわかるはずもない。結局俺がしたことは無駄なあがきでしかなかった・・・。
「実体化とかできればなぁ・・・」
流石にそこまで便利にできちゃいなかった。
「・・・どうしたもんか・・・」
時間はまだあるとはいえ、これ以上できることもない。途方にくれていた時だった。
「ずいぶんと熱心ね?」
聞きなれた女性の声が聞こえた。
「咲夜サン・・・」
「久しぶりね、お仕事、頑張ってる?」
「ぐ・・・」
答えられるわけがない、今俺がここにいるのは完全に俺の独断だからだ。
「えっと・・・その・・・」
誤魔化せ! うまく誤魔化すんだ! 俺!
必死になっている俺を見て、咲夜サンは呆れたように言った。
「まったく・・・。仕事の途中で少し様子を見に来てみれば・・・。公私混同は関心しないわよ?
」
「なっ・・・」
お見通しだった!
「あの娘のことは少し調べたから事情は大体わかってる。でも、普通そこまでする?」
ただただ呆れたように咲夜サンは言った。
「いや、でも! 一度運命変えられたんだし・・・」
「バカ、それも奇跡に近かったのに、そう何度もできるわけないでしょう?」
「ぐ・・・」
返す言葉も無かった。そんな俺を見て咲夜サンはため息を一つついた後
「どうしてそんなにあの娘を助けようとするのよ? まさかホントに一目惚れ?」
「いや、それは違いますけど・・・」
まだ話して間もないから、好意とかそんなんじゃない、ただ俺は・・・。
「・・・少し、羨ましかったんですよ」
「・・・羨ましい?」
「・・・えぇ、俺はクラスでも目立たなくて、何やっても並程度で、でも彼女はクラスの人気者で、何でもできて・・・。同じ学校なのに、こんなにも違うってすごいなぁって・・・。それが少し羨ましくて・・・」
そんなすごい人の晴れ舞台だってのに、その直前に死んでしまうなんてやっぱり納得がいかなかった。
「・・・って。やっぱり公私混同なんですけどね・・・」
咲夜サンは、そんな俺を黙ってみていたが、やがていつもの微笑を浮かべて。
「へぇ~・・・。なんか、いいわね、そういうの。青春って感じ?」
なんてコトを言った。
「青春って・・・」
「なんか若々しくていいなぁ~。 ・・・よし、じゃあやれるとこまでやっちゃいなさい!」
びし、と指を指されていた。
「・・・え・・・えええぇぇぇ!?」
いいのかそれで!?
「まぁ、最初から止めるつもりも止められる自信もなかったからねぇ~。もう、いっか。みたいな?」
やっぱ適当だ!
「・・・公私混同はご法度じゃないんですか?」
そんな俺の疑問は
「若さに任せて突っ走るのも時には大切なのよ」
いつもの咲夜サン理論に吹き飛ばされていた。
・・・まったく、いい上司だよ、ホント。
咲夜サンのゴーサインに背中を押されるように、俺はまた夜の街へと繰り出したのだった・・・。
〈Another Side〉
夜になって、いつもの寝室で、いつものベッドに横になっているのに、私はなかなか寝付けずにいた。
頭に浮かんだのは、つい最近やってきた“死神”のこと。
(確か・・・如月っていう名前だっけ・・・)
ここ最近、この屋敷には誰も訪れず、そんな中で久しぶりの客人がまさか“死神”とは・・・。
(もうすぐ死ぬ運命・・・か・・・)
両親は仕事が忙しく。屋敷にはいつも私一人だった。ずっと一人で、退屈だった私が唯一熱中できたものがフルートだった。
暇さえあればいつも演奏をして、気付けば多くの人に認められる実力になっていた。
───私にとっての宝物があるとするなら、それは間違いなくこのフルートだった。
(発表会・・・出たかったなぁ・・・)
当日の直前に死んでしまう運命というのは、やはり悔しかった。
(できることなら・・・知りたくなかったな・・・)
間違っているとわかっていても、どうしてもあの“死神”に対しての怒りのような感情が湧き上がってくる。
そして、そんな自分に嫌悪するのだ・・・。
「はぁ・・・」
私が大きなため息をついた時だった。
「あらあら、ため息なんてついてどうしたの?」
「えっ・・・!?」
聞きなれない女性の声に慌てて振り返ってみると・・・。
「始めまして、如月クンがお世話になってるわね」
そこには、あの“死神”と同じような黒い服を着た女性がいた。
「如月クンって・・・あなたは・・・?」
「私は咲夜。彼の上司ってところかしら」
「上司・・・」
突然現れた、もう一人の“死神”の存在に、私は少し混乱していた。
咲夜と名乗った“死神”は、しばらく黙ってこちらを見つめていたが、やがて呆れたような表情をすると
「まったく・・・少し様子を見るだけだったのに・・・アナタ、見てられないわ」
と言った。
「見てられないって・・・何が・・・」
「アナタ、如月クンがどんな気持ちでアナタの“死亡予定時刻”を言ったと思ってるの?」
「なっ・・・」
まるで、さっきまでの私の心を見透かしたような発言だった。
「彼、一度死神の“死亡予定時刻”を覆したのよ。だから今、アナタを何とか救おうと頑張ってるわ」
「え・・・」
そういえば、あの“如月”と名乗った死神の姿が見えない。 ・・・まさか本当に・・・。
「何で・・・そこまで・・・」
小さな呟きだったが、向こうにもはっきりと聞こえたらしい。彼女はため息を一つつくと
「バカね、あなたのために決まってるでしょう? 彼はそういう奴なのよ。自分が納得できないからって、平気で仕事に公私混同しちゃうお人よし・・・。 ・・・どこまでもまっすぐなのよ、如月クンは」
「どこまでも・・・まっすぐ・・・」
その言葉で、私の心は不思議とすっきりしていた。
「だから、間違っても彼を恨んだりなんかしちゃダメ。彼も辛かったと思うわよ?」
「・・・」
しばらくの沈黙、そして
「本当は何もするつもりはなかったんだけど・・・。 ・・・私が言いたいことはそれだけ。
・・・私がここに来たことは秘密よ?」
それだけを言って、彼女は去っていった・・・。
〈Another Side Out〉
「くそ・・・ダメか・・・」
帰ってくる頃には、とっくに深夜を回っていた、収穫はゼロ。 ・・・まあ当然なのだが・・・」
「・・・まだ時間はある。落ち着いてやろう・・・!」
気合を入れなおして、屋敷の中に戻ると・・・。
「あっ、お帰りなさい」
何故か、彼女が待っていた。
「あれ・・・?」
時計を見る、やっぱ深夜だ。時計が止まっているわけでもない。
「どうして・・・」
「どこかに行ってたんですか?」
「う・・・えと、それは・・・」
さて・・・どう誤魔化そうか・・・。
俺が必死に言葉を探していると・・・。
「・・・一つ、お願いしてもいいですか?」
突然、彼女がそんなことを言ってきた。
「は・・・? お願い・・・?」
「・・・突然出て行かれると心配します。外出するときは一言言ってください、お願いします」
「・・・それは・・・」
一言言ってからじゃ、夜の探索が・・・。
「・・・駄目ですか・・・?」
何故か、彼女の表情は悲しそうだった。
「・・・わかったよ・・・もう勝手に外出しない・・・」
だから、俺はこう答えることしかできなかった。
「本当ですかっ? ありがとうございますっ!」
思い切り頭を下げられた。
「いや、そこまでしなくても・・・」
一体何があったんだ?
「よろしくお願いしますね? “如月さん”」
「あ・・・」
初めて名前で呼ばれた・・・。
そんな彼女に俺は
「わかったよ・・・“先輩”」
そう答えていた。
結果から言うなら、手がかりは見つけられなかった。ただ、それでも彼女との一ヶ月は、いい思い出になったと思う。
彼女を救ってやれなかったことが、俺にとって心残りだったが・・・。
───そして、運命の日、彼女は下校中に、事故で死んだ。
「・・・ひとつ・・・聞いていいか?」
事故現場の上空、そこから、倒れている自分を見つめている先輩を、俺は見つめていた。
・・・あのときの状況によく似ている。俺が死んで、霊になったとき、俺はあんな表情で自分を見ていたのだろうか?
・・・咲夜サンは、そんな俺を今の俺と似たような気持ちで見ていたんだろうか・・・。
あの時とは、大きく立場が変わっているこの状況で、俺はひとつの疑問を先輩に問いかけた。
「・・・なんですか?」
「先輩・・・最後まで微笑んでたろ?」
先輩は、死ぬ直前までその微笑を崩すことがなかった。自分の運命がわかってるとはいえ、そこまでの覚悟ができているものだろうか?
「ええ・・・そうですね・・・」
「・・・覚悟ができてたからか?」
俺の問いに、先輩は小さく首を横に振って
「いいえ・・・死ぬのは怖かったですよ」
「じゃあ何で・・・」
「・・・多分、悔いが無かったからだと思います」
先輩ははっきりとそう言った。
「悔いが無いって・・・発表会は・・・!」
「違うんです・・・」
先輩の言葉に、俺は混乱していた。
発表会が・・・悔いじゃない・・・?
「・・・私の両親は仕事で忙しいので、いつも屋敷には私一人でした・・・。
・・・そんな私にとってこのフルートは宝物でした・・・」
先輩は手に持っていたフルートを両手で優しく包み込んだ。
・・・死んだ時に、一番思い入れのあったものをひとつだけ持ってこれる・・・。先輩にとってはフルートがそれだったという訳か。
「舞台には出たかったですよ? ・・・でも、私はそれ以上に・・・」
先輩はこちらに振り返ると
「如月さんと過ごした一ヶ月が、楽しかったですから・・・」
「・・・!」
ずっと一人で過ごしていたと言った。そんな先輩にとって、俺と過ごした日々はかけがえのない思い出になったということか・・・。
それが、たとえ“死神”だったとしても・・・。
「毎日、朝起きると“おはよう”と言ってもらえる・・・。それが、私にとってはすごく嬉しいことだったんです」
先輩は、ゆっくりとこちらに近づくと
「もしかしたら、これでもいいのかもしれません・・・」
そう言って、俺の手をとって、いつもの微笑を浮かべて
「こうして、如月さんに触れることができましたから・・・」
そう言ってくれた。
「でも・・・」
先輩の微笑は、本当に心からのものだったから、俺はそれ以上何も言えなかった。
「さてと・・・」
いつまでもこうしてもいられない。そもそもこういう“仕事”なんだから・・・。
「これから、いくつかの選択が先輩には・・・」
「・・・」
「・・・」
・・・ずっと話をして、過ごしてきた。そんな相手と別れるのは、やはりつらい。
いっそ、最初から先輩が俺に気付かなかったら・・・。
「・・・くっ・・・」
心は“仕事”だと割り切れている。だが体が動いてくれない。俺の体は、これ以上先の言葉を口にしないように動いていた。
「あの・・・如月さん・・・?」
「・・・俺は・・・」
導かないと。さもないと彼女が悪霊になってしまう。
自分に喝をいれて、言葉を紡ごうとしたとき・・・。
「いいムードのところ、邪魔するわよ~」
あの、聞きなれた声が聞こえてきた。
「「!」」
「あら? もしかしてホントにお邪魔だったかしら?」
いつの間にか、咲夜サンがクスクスと笑ってそこに立っていた。
「咲夜サン・・・何しに来たんですか?」
気合をいれた直後だったから、なんかぷつりと緊張の糸が切れてしまった。
「アラ、冷たいのね? お楽しみは後にしなさい?」
「違います!」
やっぱこの人には適わない・・・。
「ああ、アナタにも関係あるから、聞いててね?」
「えっ・・・?」
先輩にも・・・? 何だろう・・・。
「それで、如月クン、ウチは今、人手不足なのよ」
いきなり、咲夜サンはわけのわからないことを言ってきた。
「は・・・?」
人手不足だって・・・?
「実は、最近ベテランの死神たちが次々と定年退職で成仏しちゃってね・・・。今、すごく忙しくなってるの」
「定年退職あるのかよ!?」
定年っていつだよ!
「まぁね。 ・・・それで、今私達が何人かスカウトしてるのよ。 ・・・それで如月クン、いい人知らない? ・・・例えば、もう何度も死神の仕事を見てる人とか・・・ね?」
「・・・!」
なるほど・・・なら適任者がいるじゃないか・・・・。
「いますよ・・・ここに」
そして、俺は先輩を見た。咲夜サンはうんうんと満足げに頷く。
・・・咲夜サン、ありがとう。
そう心の中で礼を言った。 ・・・もちろん口には出さないが。
「えっ・・・でも・・・私・・・」
自信のなさそうな先輩に、咲夜サンは
「大丈夫よ。アナタがその気なら審査無視で合格にしてあげるわ」
そんな無茶を言い出した。
「えっ・・・それ許可は・・・」
「もちろん無いわよ? また上司に怒られるわね~」
やっぱり独断だった!
でも、別れずにすむなら、やはりそうしてほしい。それが俺の本心だった。
「先輩・・・」
先輩にもそれは伝わったのだろう。最初こそ不安そうな表情だったが、やがて
「わかりました・・・私でよければ、やってみます」
そう言ってくれた。
「うん、そうこなくっちゃ。 ・・・実はもういろいろと準備できてたのよね~」
手配早いなアンタ・・・。
「じゃあ、まずは名前だけど・・・」
咲夜サンはしばらく考えて・・・
「・・・翡翠。なんてどうかしら?」
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「おう、元気でな」
「さようなら、お元気で」
男性の魂は、天国へと昇っていった・・・。
「ふう・・・今回は楽だったな」
「そうですね、冷静な人でしたから・・・」
一息ついている俺に、翡翠が微笑みかけてくれていた。
あれからの展開は速かった。咲夜サンのいつもの独断でアッサリと先輩は受け入れられ、“翡翠”として働くことになった。
そして・・・。
(この娘の教育は如月クンに任せるわね~)
なんてコトを言い残して、またふらふらと行ってしまったのだ。
もともと死神の仕事を見ていたことと、彼女自身の性格から、彼女の仕事はかなり手際が良かった。
なんか、俺が教えられてる気さえする。
「最近忙しかったけど、これでしばらくは楽かな・・・」
急な仕事が無ければ、しばらくは暇だった。
「じゃあ・・・また演奏しましょうか・・・?」
そういって、翡翠はフルートを取り出した。
「そうだな、最近聴いてなかったし・・・」
「じゃあ、演奏しますね」
久しぶりなだけあって、彼女も嬉しそうだ。
仕事の合間のひと段落の時、こうして翡翠のフルートを聴くのが定番となった。
「始めます・・・」
綺麗な音色に耳を傾ける。
彼女は様々な曲を演奏できたが、この曲は俺も彼女も一番気に入っていた。
───それは、鎮魂歌。俺と、彼女自身に捧げる。儚くも美しい魂の鎮魂歌だった・・・。
これで完結です。
今作、いかがでしたか?
「あなたに捧げる鎮魂歌」は「人の死」をテーマにしています。
死後、その魂が彼らのような「死神」によって導かれているとしたら、ぜひ一度会ってみたいものですね。
これからも少しずつ作品を上げていきたいと思うので、よろしくお願いします。