第48話 捕食
窓からは教会の鐘が見えた。
そして、次に目に入ったのは教会の外に大挙して押し寄せている騎士たちだった。
それだけで私は次の展開が見えてしまった。
あの状況からでは、姫といえど逃げられない。捕まるしかない。
果たしてアリス姫が無抵抗で捕まるのか?
ノー、だ。
私はライラの部屋に走った。
「ライラ、ごめん。少し用事ができた。必ず戻ってくるから、待っててくれる?」
「うん。わかった。いいよ」
「ありがとう」
「がんばって、お兄様」
ライラは私の額に顔を寄せてキスしてくれた。
私はライラをぎゅっと抱きしめて部屋を出た。
扉をそっと閉じ、妹の護衛騎士に誰も通さないよう指示をした。
そして窓を開け、飛び降りて段々になっている屋根に着地する。
ちょっとよろけて手をついたが、大丈夫。
……あと一歩で頭から落ちそうになって肝を冷やしたが。
下りられる方へ、屋根伝いに下りて行く。
急いで、慎重に。
ようやく地面に下りると、膝が震えた。
それを無理矢理動かして教会へ走った。
槍を構え、教会を取り囲む騎士たちに叫んだ。
「第三王子、ゼブラ・ゼニス・ゾンダークだ! 通してくれ!」
騎士たちが驚いて振りかえる。
しかし、当然のように道は開かれない。
「王子だ」「なりません、王子、ここは」「邪魔をしないでいただきたい」
大きな手が私を捕まえるように伸びてくる。
私はとっさに身を引いて距離を取った。
私を追いかけてきてくれるなら、少しは包囲も緩まるのだが……。
しかし、彼らは私を追いかけはしなかった。
彼らにとっての標的はあくまでもアリス姫であり、私ではないのだ。
と、教会の中から争うような物音が聞こえてきた。
姫が暴れているのだ。
「王子、ご安心ください」「我らは必要以上に姫を傷つけはしません」
「どうかそこで大人しくしていてください」
騎士たちはそう言って、私に背を向けた。
……そうか、それなら私にも考えがある。
騎士たちはやけに密集している。
とても入り込む隙が無いほどに。
おそらく、アリス姫を逃がさず、かつ傷つけずに捕まえるためだろう。
しかし、潜りこむことはできそうだ。
私はかがみこみ、騎士たちの足元に飛び込んだ。
「王子!?」「な、何を……!?」
困惑する騎士たちの声が頭上から聞こえてくる。
気にせずに進んだ。
狭い。本当に狭かった。
身をよじって、無理矢理身体を押し付けながら進んでいく。
「うわ!? なんだ!?」
「王子だ! 王子が足元にもぐりこんでいらっしゃる!」
「踏むな! 動くな!」
「王子は今どこだ!?」
「教会入り口付近の連中はもっと密集して塞げ!」
「これ以上は無理だ!」
頭上では騎士たちが混乱して叫んでいる。
私はまるでモグラやネズミになったような気分で進んだ。
攻撃などされないとわかっていても、少し怖かった。
当たり前だが、重い鎧を着こんだ騎士たちの足元を這って進むなんて初めてだ。
彼らがちょっとでもその気になれば私を殺すなんて簡単にできる。
足をほんの少し動かすだけで事足りる。
誰がやったかなんてわかりやしない。
……。
怖い想像が頭の片隅を駆け巡っていく。
でもそんなことありはしない。
ありはしないんだ。
鎧の森を這って、教会の中へと入る。
入口も、教会の中もより一層狭い。
けれどそれは彼らも十分自由に動けないということだ。
だからそれはもう無理矢理に、彼らに足をどけさせるつもりで進んだ。
姫と騎士たちが争う音が聞こえる。
がしゃがしゃと鎧が動く音。
騎士が尻もちをつく音。
姫の叫び声。
騎士の冷静な呼びかけ。
私はその音の方へ這っていった。
鎧の隙間から、鐘楼へ続く小部屋が見える。
頭上で騎士が叫んだ。
「双方、動くな! 殿下がお越しである!」
争っていた物音がピタリと止まった。
水を打ったように静かになる。
聞こえるのは、私が這う物音だけだ。
騎士たちの足元を死にかけのミミズのように這う私。
姫から見た私はさぞみっともないだろう。
這いつくばって土まみれになって。
騎士たちに遠慮させてお情けで通されただけ。
武器も持たず、何の助けにもなりはしない。
何しに来たの?
そう聞かれると何も言えない。
姫の前に立ってようやくそれに気づいた。
「ええと……、来ました……」
「なにしに?」
「少しでも力になりたくて……」
「ふーん……」
姫はボロボロだった。
囚人服はすりきれ、あざや細かい傷があちこちにある。
姫は腕を組み、いつも通りの鋭い目で私をにらんだ。
「ライラちゃんは?」
「え?」
「ライラちゃんはどうしたの?」
そうだった。
私たちはライラを助けるために、別れたんだった。
「あー……、無事でした」
「はぁああああ……」
「すみません……」
姫はまだ何か言いたそうに目を細め唇をもごもごさせていたが、言うのをやめたらしい。
咳払いをして視線を切った。
そして梯子の上を見上げた。
「ちょっと来て」
「はい」
「王子! アリス殿! それは―――」
「私は王子に話があるの!!
終わったら捕まってあげるから待ってなさい!!」
「わ、わかりました……」
噛みつくように言われ、騎士たちは黙った。
しかし、私には彼らのことを慮るような余裕はなかった。
上で何を言われるのかと思うと、生きた心地がしなかったのだ。
梯子を上っても姫は何も言わなかった。
ただ無言で周囲を見回している。
梯子の下や、教会の周りの騎士たちの視線が気になるようだ。
そして、何も言わずに吊るされている鐘の下から潜り込んだ。
私が鐘の前で戸惑っていると、鐘の下から伸びた手がちょいちょいと私を招いていた。
入れ、ということらしい。
鐘の中は狭かった。
姫は気難しい顔で腕組みをして立っていた。
私が気まずくて視線をそらすと、姫は私の頭をつかんで無理矢理に視線をあわせてきた。
「痛い、痛いです。アリス姫……」
「助けてくれて、ありがとう」
じっと真顔で見つめている。
まるで獲物を狙う肉食動物のような目をしていた。
「二回も助けられたのに、お礼も言ってなかったから」
「い、いえ、お安い御用です……」
近い。
姫は私の頭をつかんだままだ。
もう視線は合っているのにどういうわけか、かなりの力で私を引き寄せようとしている。
「あの、どうして、引き寄せようと、してるんですか?」
「どうして、抵抗するの?」
「いや、だって、引いてくるから、危ない、ですよ!」
「む……」
「え」
私の返答を聞くとアリス姫はぱっと手を放した。
姫が手を放したので後ろ向きに力を入れていた私は後頭部を鐘にぶつけた。
「いてて……」
「引くのやめたわ」
「えっ」
文句ないでしょ、と姫は近づいてきた。
私が痛みで目を回している隙に。
息がかかる距離まで。
姫はそこでバツが悪そうに斜め下を見て、途切れ途切れに言った。
「私……、悪かったわ。その……、あの日のこと……」
「あの日? いつですか?」
「……」
私の返事が相当気に入らなかったらしい。
すっと目を細めてにらまれてしまった。
「……ごめんなさい」
「あの日よ! あの日って言ったらあ・の・日!
あなたが私に求婚してきた日! 二か月前の!」
「あ、ああ……」
「あの日、私、断ったでしょ?」
「そうですね。心の準備ができてないと……」
「できたわ」
「え」
「さっき、できたの。心の準備」
姫は私の背中に手を回した。逃げられないように。
「いくわよ」
「な、なにを……?」
「キス」
それは驚くべき数十秒間だった。
衝撃と熱に襲われた。
そう。まさしく襲われた。
何もかも食べてしまう、焼き尽くしてしまう、そんな火に焼かれているような。
凄まじい恐怖がこみあげ、それを遙かに上回る喜びもこみあげてくるような。
そんな時間だった。
「ぷはーっ!」
それが終わると姫は潜水でもしていたかのように息を吐いた。
そのまま一、二歩後ろに下がる。
「えへへ、やっちゃった」
見たことのない笑顔だった。
まるであどけない少女のような笑顔だった。
それを見た瞬間、悟った。
ああ、私はもう一生、この人から逃げられないんだな、と。




