本編 後
そしてそれからさらに月日が流れる。
変わった事と言えば、アカデミーの職員寮に住んでいたイクセルが実家に居を移したことだろうか。寮よりも実家の方がアカデミーまで距離があるしイクセルの負担になるのでは、と言ったところ、
「転移魔術使ってるので大丈夫です。」
と言っていた。転移魔術って難しいし魔力をけっこう使うやつ。そんなのを簡単に使っちゃうイクセルは末恐ろしい子だ。
聖女様一行のご活躍は定期的に届く。少しづつ溢れてきている呪いに取りつかれ魔獣となったり魔人となった存在を解呪しつつ先に進んでいるという。誰も大きな怪我をした、とは聞かないので皆無事らしく便りを聞くたびに安堵する。
ちなみに私の方には婚姻の打診の手紙が届くようになった。
手紙に呪いがかけられていたら危ないからということで、イクセルも一緒に読んでいる。ただイクセルのお眼鏡に叶う人はいない。気が弱いだの、社交性がないだの、数字に弱いだの、そいつの姑が必要以上に口を出すだのと言い当主には据える事ができないというのだ。まあ、能力としては私が補える分はいいのだけど、そもそも我が子が難色を示しているなら再婚は考えなくてはいけない。きっと親子関係うまくいかなくて、私の胃がきりきりするやつだ。ということでお断りのお手紙を出している。
あと私が懸念していた方面での音沙汰は何もない。当たり前だけど、それが普通なのだ。
そんな感じでゆるやかに毎日が過ぎていく。このまま何事もない毎日が続いていくのだろうと思っていた。
それは恒例となった、家族三人で夕飯を食べ終わり、イクセルと二人で手紙を見ていた時だった。
アカデミーから連絡がきたのだ。曰く、研究している毒をもつ動植物が逃げ出した、と。その講師は管理には十分気を付けていたのだが、なぜか戸の鍵が開いていたとのこと。
「被害者が出れば討伐対象となりますが、希少価値の高いものなのでできれば生捕にしたいのです。なので総動員で探し、捕獲するとのことです。早く戻るつもりですが、けして指輪を外さないように。」
「わかったわ。毒があるというし、イクセルも気を付けて。」
そしてイクセルが転移魔法で部屋から消えた。
ふと窓の外を見ると、雨がポツポツと降り始めている。
いつイクセルが帰るかわからないけど、帰ってから湯浴みができるよう絶えず湯を沸かすよう指示を出しておく。あと、暖かい飲み物も出せるように、と。
この時間にイクセルがいない、ということが無かったからだろうか、とても不安にかられる。
「顔色が優れませんよ、お部屋で休んではいかがでしょう。」
ここに嫁いだ当初から何かと世話を焼いてくれる執事がそう言う。
イクセルが帰ったら連絡するように伝え、自室へと戻った。
使用人の子が、私を案じてホットミルクを持ってきてくれた。ただご飯を先程食べたばかりなので、全部飲めそうにない。申し訳ないが、二口ほど飲んで彼女の気持ちだけ受け取ることにした。温かい飲み物を飲んで緊張がほぐれたのだろう、とても眠い。どうせイクセルが帰ったら出迎えるつもりだったのだし、お行儀は悪いけど服もそのままで眠ることにした。
なんだか息が苦しい、と思って目を覚ますと目の前にはオロフ様がいた。
「っ!?」
その名を呼ぼうと思ったが、言葉になることはなかった。息苦しい、と思ったのは口に布を当てられ、後ろでしっかりと結ばれているからだった。
私が目覚めたと理解したオロフ様は私の両手を頭の上にひとまとめにして掴み上げた。
「そう、怯えることはない。」
状況から察するに良いことではない。
「イクセルは邪魔だったから、アカデミーに行ってもらった。希少価値のあるものを捕まえるのだ、そう簡単には帰ってこぬ。」
イクセルをアカデミーに行くよう指示を出したのはオロフ様ではない。となるとこの口ぶりから察するに、希少価値のある動植物を保管しているところに何か細工をして逃したのだろう。イクセルがこの屋敷から出るように、と。
「マリーとイクセルからの子が望めぬ。かと言って、それぞれが誰かと婚姻する気配もない。俺は、俺の生きている間にこの血を受け継いだ後継者がほしい。」
不穏な空気である。
オロフ様はもともと血統主義ではなかった。しかし年月が彼を変えてしまったのだろうか。
「アスタよ、後継者を産んでくれ。」
決定的だった。私の懸念は正しかったのだ。
私は右手につけた指輪に強く願った。
ーーーイクセル、助けて!
その瞬間、雷のような閃光が部屋を支配したかと思うと、オロフ様は床に倒れ、それを見下ろすようにベッドの脇にはイクセルが立っていた。その横顔はとても冷たい表情だ。
「母上!」
しかしすぐに私の方を見ると、優しい手つきで布を外してくれた。
「あ、オロフ様は?」
「気を失っているだけです。このような者、心配する価値もない。」
「イクセル……助けに来てくれたのね。」
イクセルはそっと私の上半身を抱き起し、ベッドに座った。
「オロフ様、ご自分の血を受け継いだ後継者を私に産ませようとしたの……。アカデミーでの騒動についても話していたから、彼が何かしら手を加えて貴方が屋敷不在となるよう仕向けたのね。」
義理とはいえ、祖父が母親を襲うなどと気持ち悪いだろう。しかし状況が状況だし、説明する必要があると思った。
「本当はね、マリーが前に帰ってきた日に少しおかしいと感じたの。でもまさか、とも思ったし、違うといいなとも思った。手を打たなかった私の落ち度だわ。振り回してごめんなさい。アカデミーも……」
「いいえ、貴方に落ち度は何一つとしてないです。悪いのはこの男ですが、私とマリーもです。以前より、なんとなくあの者が貴方を見る目が違うと思っていた。でも動きはしないと高を括っていたのです。ただ曲がりなりにも侯爵家当主だから、手が出せなかった。結局こうして貴方に怖い思いをさせてしまった。」
「もしかして、こうなることがわかっていたから指輪をくれたの?」
「……こんな最悪のケースにならなければ良いと思ってました。」
「そう、なの。」
イクセルの中でいくつか予測はたてていて、これは最悪のケースだったらしい。
ここで今私の脳内を占めるのは、怖い思いをしたことよりも、イクセルにこの場を見られたことだった。
助けてもらったというのに、見られて嫌だとは矛盾してるし失礼な話である。
「後手にまわり、貴方に怖い思いをさせてすみません。」
「いいえ、越えてはいけない一線を越えなくて良かった。これ以上義母に不義理を働くわけにはいかないし、貴方達にも軽蔑されてしまうもの。」
「軽蔑……?私が軽蔑するなど、万に一つもあり得ません。」
私が危機に陥ったら指輪が発動すると言っていたから、今回の件は同意ではなかったのはわかってもらえたのだろう。
「あの、今更だけどどうしてイクセルがここに?捕獲は終わったの?」
「ああ、その指輪は貴方が危険を感じ強く助けを願うと、私が転移するように魔力を入れてるんです。捕獲は終わりがけのところだったので、そちらも気にしなくて大丈夫ですよ。」
こんな小さな物を転移の媒介にするのは、とても恐ろしい。普通大掛かりな装置を必要とするし、こんなことはできないものだ。
それだけ私の身を案じてくれていたのだろう。
「……オロフ様、よほど自分の血でバックリーンを存続させたかったのね。」
血を受け継いだからと言って、魔力や才能がそのまま受け継がれていくわけではない。それでも自身の家族の気持ちを蔑ろにしてまで残したかったというその気持ちが私には分からない。
「それが本心かどうかは私にはわかりません。でも自分本意の行為は許されない。」
「そうね、本当に。」
こんな時にマリーがいたら、いかに祖父とはいえ叩き斬っていたと思う。そう考えると、穏便に済ませてくれたイクセルで良かった。
「イクセルお願いがあるの。」
「はい。」
「オロフ様を当主より下すとしても、このままではバックリーンが途絶えてしまう。どうか当主となってもらえないかしら。」
「それが、貴方の望みですか?」
「ええ。イクセルならばバックリーン侯爵家の当主としてうまくやれるはずよ。最初は私も支えるけど、すぐに自分の力でできるようになるわ。」
「……最初だけですか?」
小さな声でイクセルが何かを言った。それが聞こえなくて、え?と尋ねると少しの間ののちに、イクセルは口を開いた。
「支えて下さるのは最初だけですか?」
「貴方が独り立ちするか、あるいは奥方が来るまでかしら。大丈夫よ、貴方はうまくやれるわ。」
ここにきて察した。
多分、イクセルはそういうことを望んでいないのだと。
昔からイクセルは私に懐いていたし、優しかった。とても大切にしてくれていた。それは成人を過ぎてからもかわらず、むしろ歳を重なるごとに強くなっていった。
「うまくやる自信は有ります。」
「では私が支える必要はないわね。」
「自信は有りますが、貴方に支えてもらいたいと思ってます。」
これ以上深追いをしてはいけない。そう分かっているはずなのに、私は尋ねてしまった。それはなぜか、と。
「……私が、貴方を一人の女性として愛しているからです。本当は言うつもりはありませんでした。ただ家族であったこの男が貴方をそう言う目で見て、行動に移し、とても腹が立ったと同時にずるいと思いました。一人の女性として見ていると貴方に認知されてずるいと思った。だから黙っていることができませんでした。貴方は家族を大切にしている。息子からこんなことを聞かされ気持ち悪く思うでしょう、軽蔑するでしょう、それでも貴方の心を掻き乱す存在になれるならそれも本望だと思ってしまったんです。」
イクセルは、大切に思っているが私との未来を望んでいない、ということなのか。
そういえば良い人を紹介してほしいと言ったけど、無理と返された。なるほど、そういうことだったのか。
「……いつから私を?」
「ここで初めて会った時に一目惚れでした。その後実子と平等に私と接する貴方、知識が豊富な貴方や家のために頑張る貴方を見ていてさらに愛するようになりました。」
まさかの一目惚れ。今考えるのもあれだけど、本当に原作からかけ離れている。
たしかに昔の私は頑張っていた。娘を悪役令嬢としないよう頑張った結果、家のために教育を頑張っているよう見えたかもしれない。
「とても能力を買ってくれてるみたいだけど、私そんなにできた人間ではないわ。」
そんな素晴らしい母としての姿勢を見て好きになってもらえたのだとしたら、申し訳ない。実際の私は小心者だし、わりと手をぬく。こうしてる今も、結構大事な話をしているのに、原作からかけ離れたしマリーは悪役令嬢じゃなくてあらゆる女子を虜にするイケメンになったしもう大丈夫だよね、いいよね、なんて考えてる。
「実は大衆向けの恋愛小説が好きで貸本屋に行っていることや、砂糖のたっぷり入った甘い飲み物が好きなこと、人にぶつかったと思い謝るとそれが石膏像だということ。そういう人間味のあるところを隠したいと思っていることを含めて愛してますよ。」
バレてないと思ってたけど、バレていたらしい。
そうして考える。なんだかもう良いんじゃない?私頑張った。だからもう好きに生きていいんじゃない?と。
「ねえ、イクセル。」
「はい。」
「これからもずっと貴方を支えたいと言ったら驚く……?」
「それはどういう意味ででしょう。」
この流れなのだ、頭の良いイクセルならきっと察してはいるだろう。
「あの、だから、その、」
なんせアルベルトとは恋愛らしい恋愛をしてこなかった。なので今の私は恋愛経験値0である。ぐいぐい言ってるつもりはなく単純な質問をしているつもりのイクセルにもたじたじである。
妙に照れてもじもじしている私を見かねたのか、あのイクセルが小さく笑った。
「いじめすぎましたね、すみません。アスタ、私の妻となってくれますか?」
「もちろん、喜んで。」
嬉しさのあまり、イクセルに抱きついた。
昔の線の細かったイクセルとは違い、二十歳となったイクセルはしっかりとした身体つきだった。私とは違う、骨格がしっかりとした体。成人したあたりから、イクセルは背が伸び始め、肩幅もしっかりして、声も低くなった。思えばそういった変化があった頃からイクセルが男性なのだと意識し始めたのかもしれない。
「……オロフ様のこととやかく言えないわね。」
「そんなことはありません。お私達は互いに合意してます。私がここの後継者を残すために養子に入ったことは周知の事実ですし、周囲の反発は少ないはずです。」
「そうかしら。」
「そうではなかったとしても、アスタが気にしなくて良いのですよ。」
溺愛が半端ない。しかも無表情で。
あら、さっきの微笑みは見間違いかしら。
「ところで、とても自然に私のことを名前で呼んでくれるのね。」
「初めて会った時から、心の中ではずっとアスタ様と呼んでましたよ。」
「まあ。」
心の中とはいえ私の名を呼んで六年。なるほど、そのため自然に呼べると言うことか。
「でもマリーになんて説明しようかしら。」
「そのまま言えば良いと思います。貴方に一目惚れしたことを早い段階で知ってます。」
なんて?
「そういうのもあって、私が聖女と共に旅に出なくて良いよう画策してくれました。ついでにそろそろ動いたらどうだとも言われました。」
なんて??
「あいつはそういう方面の感覚が鋭いようですね。」
確かに。ってそうだけど、そうじゃない。
以前、恋バナと言ってたけど、まさか母がネタにされてたの?え?だから仲間外れだったの?
てか、母と兄の恋を応援する娘がどこにいるの。
なんかもう脱力。
「もしかして、私がイクセルに気持ちが向いてたのも知ってるのかしら?」
「知ってるのでは。でなければ私にあんなこと言いませんよ。」
「なんというか……我が子ながらさすがね。」
「こと恋愛方面に関しては我々の上を行きますね。」
それは激しく同意する。ここにいないはずなのに、マリーがウィンクしている気さえする。
「私、アルベルトとは恋愛から入った結婚ではなかったのよ。それとしばらく色恋から遠ざかっていたから、ゆっくり進めていきたいのよ。」
「貴方の願いは全て叶えたいのですが、私の初恋は年季が入ってまして……ある程度の速度は欲しいのですが、どうでしょう。」
「イクセルってば、こういう方面では奥手かと思ったのだけど、そうじゃないのね。」
「それはまあ、それなりな年なので。」
「それ言ったら私はだいぶな年よ。」
そう、私とイクセルは十四歳も離れている。若い男に熱をあげるおばさんなんて、結構やばい。
「アスタはいくつになっても可愛らしい方ですよ。」
そう言われると、なんかもうどうでも良くなってきた。そうして迫るイクセルに私はそっと目を閉じた。
その後イクセルと共に城へ行き陛下に全てを話した。陛下はオロフ様を領地へ戻し二度と出さないこと、イクセルをバックリーン侯爵当主とすること、私との婚姻を許可してくれた。
あれよあれよと言う間に、その日のうちに私はイクセルと結婚して、妻となった。
そして古代龍の呪いを解き、無事に帰ってきたマリーに事後報告したら涙を流して喜んでくれた。なのでもらい泣きした。
初婚のイクセルには悪いけど、私は再婚でしかもだいぶ年上なので、結婚式はこぢんまりとしたものにしてもらった。イクセルと私と司祭様とマリーのたったの四人だったけど、誰がどう言おうが最上の式だったと胸を張っていえる。
そして結婚後一年経たずに息子を、結婚二年目で娘を授かった。爆速だ。この世界ではハイリスクな年齢での妊娠と出産だったけど、イクセルやマリーの助けのおかげで無事出産ができた。
あとマリーのモテ期はまだまだ続いていて、けっこうな数の女性が虜になっている。
ちなみにこの国の王女様と聖女様も言わずもがなで、王女様に懸想してたパーティメンバーである隣国の王子と聖女様に懸想してたこの国の王子に「この悪役令嬢が!」と言われたらしい。でもそこから何でか三人の交流が始まり、マリーは恋愛に関して二人にレクチャーしてるという。悪役令嬢というのは回避できなかったが、破滅エンドではなく友情エンドだったらしい。なにこれ、誰得なのって思ったのはしょうがない。
「アスタ、ここにいたんですね。」
「あら、イクセル。」
書庫で子どもたちに教科書として使う本を漁っていると、ひょっこりとイクセルが現れた。
だいぶ前にもこんなことがあった。
あの時の私たちは、こんな未来が待っていることなんて予想していなかったはず。そう考えるとなんだか笑えてくる。
「教材選びですか?」
「ええ。」
そしてまたしても自然に本を取られる。
「ああ、私もこれで教わりましたね。」
懐かしそうに劣化してきたその本を見る。
「その本もこんなに使い込まれるとは思わなかったでしょうね。」
「そうですね。」
ふとイクセルが私を数秒見つめたかと思うと、片手で私を抱き寄せた。
「この本で教わっていたあの頃、アスタに片想いしてました。当時の自分は、こうして共にある未来を想像できなかったし、そもそも私の気持ちを受け入れてもらえると思えなかった。私の妻となり、子も産んでくれてありがとうございます。愛してます、アスタ。」
「私も愛してるわ、イクセル。」
あの頃よりもだいぶ背が高くなり男らしい顔つきになったイクセルが口づけを落とすのを、目を閉じて静かに待つのだった。




