本編 中
それから数年が経った。
イクセルは立派な魔術師となり、新しくできた貴族や王族が学ぶ場であるアカデミーで魔術講師として教鞭をとっている。そしてマリーはそんなイクセルに魔術を教わったことと、活発だったことが組み合わさって魔剣士として王国軍所属となっている。なんか男装の麗人として女性人気をかっさらっているそう。あら?原作とちょっと違うわね、なんて思ったこともあったけど、いきいきとしているマリーを見ていると何も言うことはない。この幸せは親の幸せ。
イクセルは講師用の寮、マリーは軍の寮に寝泊まりしているため、このバックリーン家には私とオロフ様と使用人しかいない。ちなみにオロフ様の奥方は、オロフ様が本来もっている爵位の領地にいらっしゃる。
オロフ様とお話しするのは楽しいし、友人達との語らいも楽しい。でもイクセルもマリーも出て行ってしまって正直寂しい。
「アスタよ。子育ては落ち着いたようだな。」
庭の薔薇を剪定していると、音もなく後ろにオロフ様が立っていた。年は五十前だというのに、そうは見えない。上背がある上にきびきびとしていて、軍所属と言われても不思議ではないほど圧倒的な存在感が有り、とてもではないが文官に見えない。
「あやつらがいた頃はこうして薔薇に目をかけることもできなかっただろう。」
体力的にはそうでもなかった。使用人のみんながいたし、イクセルがよく出来た子だから助かっていた。
ただマリーを悪役令嬢にしないためにとそこそこ画策していたため精神的にしんどい時があった。
ふとオロフ様が私の手から剪定用の鋏を取ると、美しく咲き誇っている薔薇を一本摘み取った。そして丁寧に棘を切り落とすと、私の髪にそれを刺した。
「美しい。よく似合っている。」
「あ、ありがとうございます。」
義父とはいえ異性に髪を触れられたことに驚きを隠せない。そしてオロフ様はこんなことをするタイプではなかった。そう、原作のイクセルのように寡黙で知的なタイプだったはず。何故か頭の中で警鐘が鳴り響いている。
「そなたは未だ若く美しい。もう一度、」
「ああ、こちらにいらっしゃったのですね。」
落ち着いたテノールの声に振り向くと、シャツとパンツと簡単な羽織ものを着たイクセルがこちらに向かって歩いてきていた。
「ただいま戻りました。オロフ様の書斎に真っ先に行ったのですがいらっしゃらず、窓からちょうどお二人が見えたので。オロフ様がこちらにいるのは珍しいですね。」
「俺も花を愛でる時はある。」
「左様ですか。ですが愛でる花は他にもあるのでは?」
オロフ様はイクセルよりも身長が高いため見下ろしているような構図になっている。しかしそんなオロフ様と会話するイクセルは圧倒されることなく平然と話していた。
「……口の減らぬ男に育ったものだ。」
「そうしないとやっていけませんからね。」
そして気まずい空気だけを残して、オロフ様は去って行った。
さっきは何を言いかけたのだろう。気になるけど、聞いてはいけない気がする。
「母上」
「?」
オロフ様より小柄とはいえ、私よりも身長が高いイクセルを見上げる。
彼はさきほどオロフ様に刺していただいた薔薇をじっとみていたかと思うと、それを抜き取り遠くに投げた。
「い、イクセル?」
さすがにこれはオロフ様に対して失礼だ。抗議の目を向けると、イクセルはすみませんと謝った。
「花弁の中に虫がいました。なので自然へ返したのですよ。」
なんと虫が。それはびっくりである。きっとオロフ様も気がつかなかったのだろう。
「そうなのね、ありがとう。」
「いいえ。」
「それにしても二月ぶりかしら。元気でやっていた?」
「もちろん。試験があったので忙しくて帰ることもままならずすみません。」
「気にしないで。貴方が元気ならそれでいいのよ。」
「それより、オロフ様といつもこのように庭で共に過ごし花を贈られるのですか?」
「そんなわけないでしょう。」
息子から見ると血の繋がらない親子がいちゃついてるように見えたのかもしれない。とんでもない誤解だ。それは義母にも亡き夫にも失礼だし、彼らを侮辱しているようなものだ。
「母上は大きな子が二人いると見えないほど若くお美しい。どうかそれを理解して下さい。」
イクセルはここのところずっとこうだ。帰ってくるたびにそう言われてるので、耳にタコができている。
身内贔屓にもほどがある。
「毎回盛大な身内贔屓をありがとう。」
「贔屓目ではないと毎回言ってるはずです。」
「はいはい。」
「とりあえず座りましょうか。」
そして自然と腕を出されたので手を添えると、庭にあるガゼボにエスコートされた。
ほどなくして、もう一人の可愛い子であるマリーが颯爽とやってきた。しかも後ろに若干顔の赤い使用人数名をつれて。
「母上、お久しぶりです。兄上お早いですね。」
髪を肩よりも短くしてからというもの若き日のアルベルト様にそっくりなマリーが帰省の挨拶をする。淑女としては良くないだろうけど、軍人としては正解らしい。ちなみにお嬢様方にも正解らしい。そしてベンチに腰を下ろすと、使用人たちがレモネードとお菓子の準備を始める。用意が終わるとマリーが下がるように言ってウィンク一つすると、それはそれは真っ赤な顔して下がった。毎回見ても我が子ながらどうした、と言いたい。
「兄上ってば茶の準備もしないなんて、まったく!」
「まあ、色々あって。そしてマリー、お前は相変わらずだな。」
「兄上も相変わらずですね。」
つまりどっちも相変わらずということだ。そう結論付け、レモネードを口にする。外が暖かいので、レモンとミントがきいたレモネードが口の中をさっぱりと潤してくれる。
「それにしても二人が一緒に帰ってくるなんて珍しいわね。」
所属しているところが違うからなのか、基本二人は別日に帰ってくるため家でこうして顔を合わせることがまずなかった。
マリーが長い脚を組みながら言葉を紡いだ。
「実は、眠りについている古代龍に相当な呪いが纏わりついているらしく、その呪いを払い、古代龍を鎮めるためのパーティーが組まれることになったんです。」
本来は極秘情報だけど、それ知ってるやつ。なんてこと!って表情作ってるけど、内心ついにきたかーと思ってます。
原作では、地の底より悪しき魂が沸き出でる穴があり、古代龍がその身を犠牲にして塞いでいるという。しかし悪しき魂より受ける呪いが蓄積していくため、一定の周期でその呪いを払う必要がある。それのためのパーティーを組むのだが、原作では平民聖女のヒロイン、アカデミー所属の男爵出身の勇者、正体を隠しているけど隣国の王子、そしてアカデミーの教師にして魔術師のイクセル。
「私のところに召集令が来たんです。全てが終わり帰るまで三月以上はかかるでしょう。」
マリーの言葉にイクセルが続けた。イクセルに召集令が行くだろうことも知っていたし、その長旅の中で色々とイベントが発生することも知っている。とはいえ、我が息子がそこに行くのだ、危険な旅に身を投じなくてはいけないのだから心配もするに決まっている。
「とても心配だわ。」
「はい、私の懸念要素もとても大きなものとなりました。なので、マリーに行かせようと思ってます。」
「ん?」
なんて?
行けないほどの心配ごとがあって、それがさらに大きくなったと?
というより、王命だろうにこちらの事情で勝手に選手交代なんて許されるのだろうか。
「私も賛成なんです。」
「マリー?」
なんとマリーが賛成している。
「兄上からは色々と相談を受けてましたし、私も心配していたので。それに私は兄上より手ほどきを受け、今や軍に所属している魔剣士です。実力は申し分ない。」
この兄妹に間では話がされていたらしい。確かに、マリーの実力は噂にも上がるほどだし、折り紙付きなのは知っている。
「それに、聖女様は女性だという。ならば同じく女でもある私がいる方がきっと安心なはずです。」
それは、どうなんだろう。むしろ違った意味で安心できない気がするのは私だけなのだろうか。
まあ、それはさておき、やはり王命なのだから難しいのではないだろうか。
「とまあ、そういう事情諸々を王女様にしたところ、陛下に口添えしてくれたため、私が行ける事になったんです。」
マリーがとてもいい笑顔で言い切った。そしてそれに突っ込むことなく、イクセルはレモネードを飲んでいる。
王女様、というとあの王女様だよね。一介の軍人がお話しできるわけないのだけど、あれかしら、王女様もそちら側にいってしまわれたのかしら。え、マリー、不敬罪にならないかしら。バックリーン家、不敬罪に問われないかしら。そういう不安が出来てくるのは私だけ?
というか、だいぶ原作から離れている。え、大丈夫なの?
「というわけで、私は一週間後にここを発ちます。明日あたりには町では号外が出て、周知されるはずですよ。」
「ではそのことを私に教える為に二人が揃ったのね。」
心得たとばかりに頷くと、二人は顔を合わせて微妙な顔をしていた。え。
「まあ、それもあるんですけど、今後の方針を兄上と話そうと思って。」
何だろう。二人で今後の方針ということは、バックリーン家のことについてってこと?なんて二人に聞くも、うまい具合にはぐらかされてしまった。
母には言えないことらしい。イクセルが絡んでる以上悪巧みとかでは無いはずと思いたい。
「私は席を外した方が良いかしら。」
「いえいえ、そのままで。私と兄上の話はもういいので、お二人でごゆっくり。そうそう、兄上から話があるそうですよ。それでは。」
そう言って席を立つと颯爽と歩いて行ってしまった。
この二人は昔からこうだった。二人で何かと解決してしまう。兄妹の仲が良いのは素晴らしいことだけど、母はのけものにされてる感が凄いのでとても寂しい。
「それで話って?」
「あー……」
イクセルがこのように言い淀むのはとても珍しい。
そんなに大変な内容なのか。これは心してかからなくてはいけない。
「これを。」
ポケットから何かを包んでいるようなハンカチを取り出すと、それを開いて私に見せた。
「指輪?」
イエローゴールドだろうか、イクセルの瞳と同じ色の宝石がついた指輪だった。
「これを母上に。」
「え、私に?誕生日じゃないのだけど?」
何でもない日万歳じゃあるまいし、初任給でのプレゼントはとうにもらっている。
何があったんだろう。
「これはお守りです。マリーはパーティーメンバーとなり、今まで以上に良くも悪くも目立つ。そして母上にも目を向けられるはずです。貴方の身に危険が起きた時に発動するよう私の魔力を込めました。」
「……私まで目を向けられるかしら?」
「パーティーメンバーに選出される子を育てた親として脚光を浴びるでしょう。夫に先立たれても浮名を流さず子を見事に育てる優秀な美しい人であると。邪まな考えを持つ者はいるものです。」
流れるように賛辞の言葉がでてくる。しかも無表情で。
「なので、これをどうぞ。」
今度は有無を言わさずに右手を取られ薬指にはめられた。指輪はぴったりとはまり、きらきらと輝いている。
「現状、左に嵌めるのは宜しくないので、右手にしました。」
現状じゃなければ左に嵌めた、という副音声が聞こえたけど気のせいだろうか。
左と右で指輪の効果が違うのだろうか。
「右に嵌めると効果が弱くなるの?」
「いえ。とにかく肌につけていることが大事なんです。」
「そう。」
肌につけていることが大事ということは、どんなときも指輪をつけている必要があるのだろう。
もうずっと前だけど、既成事実を作ろうと自身の使用人を潜り込ませて手引きさせ、私の寝所に潜り込もうとした輩がいた。その時はたまたま眠れずに本を読もうと書庫に行こうとしていたらしいイクセルが気付き、大事に至らなかった。結果、その輩、男爵だったか?とその使用人は未遂ということで北の地に強制労働となった。あそこは山岳地帯で標高も高くとても寒い地だ。食べ物もろくに育たたない。その地で山にトンネルを掘る、というものなのだけど、岩や石が多い山で遅々として進まない。しかも大きな山なので、トンネルなんて開通するのか、というレベルではある。なので事実上終身労働なのだから、あそこに飛ばされた時点でもう未来はないのである。
強硬手段に出た人はその人だけで、あとは穏便にお手紙でお伺いがきたり、パーティーでお話しを受けた。まあそれも最初はそこそこだったけど、年々減っていき、マリーが成人とともに軍人になってからはぴたりとやんだ。
そのマリーも傍にはいない。やはり指輪は外さずにずっとつけていようと思った。
勘違いならいいんだけど、ちょっと気にする事があるし。
「実は動きのとりやすい私がここに残るべきだ、と言ったのはマリーなのです。あいつは軍人で制約が多いですし。」
マリーに感謝です、というイクセルに賛同の言葉を述べた。
ただ、母の身を案じただけではなく、プラスで自分にメリットがあったからだろうな、と思う。
それからあっという間に一週間が経ち、出立パレードが大々的に行われた。
イクセルと見に行ったけど、皆馬に乗り、大通りを歩く様はとても凛々しかった。あと、なんかマリーが聖女様と一緒に馬に乗ってた。何でそことそこ?こういうのって勇者と一緒じゃないんかい?あと見送りに来てる女性陣のマリーに対する熱が凄かった。マリーが片手を上げたり、ウィンクすると絶叫が響いた。そしてたまに聖女様の頭を撫でた時には、阿鼻叫喚だった。しかも聖女様顔真っ赤にしてるよ。え?
「イクセル……」
心得てる、とばかりにイクセルは頷く。
「聖女も陥落したようですね。」
二人が対面したのは一週間前なんだけど?え?
バックリーンにはこういう貴公子タイプはいない。お手本になるべき人間はいないから余計に思ってしまう。どうしてこうなった?
「マリーは女が途切れないと有名な話です。博愛主義者のようですね。」
いや、そうじゃない。博愛なんて素敵なもんじゃない。てかマリーがそう言われているのは初めて知った。そこまでの実力者だったというのか。
「私は特定の人を大切にしたいので、博愛主義者のマリーとはそりが合いません。」
「そ……そう。」
そういえば、お互いがお互いを無いと言ってたけど、まさかこれの伏線だったの?なんか疲れて考えたくない、人混みのせいということにしようそうしよう。
「では特定の方を母に紹介してちょうだいね。早ければ早いほど嬉しいわ。」
「それは無理ですね。」
ばっさりと切り捨てられた。それはもう清々しいほどに。
この流れからするといい人がいて相手紹介したいってことかなって思うじゃない。もう!




