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本編 前

 

 王国一と言われるほどの蔵書率を誇る侯爵家の書庫を練り歩き、必要な本を何冊か見繕う。

 これだけの広さと本の数なのに埃臭くないことから、清掃が行き届いていることが窺い知れる。


 バックリーン侯爵家。


 男女問わずに知を求める者が多いため、書を好む者が多い。歴代の侯爵家の人間が各地の書物を集めた結果、王家よりも高い蔵書率を誇る書庫が出来上がったという。

 そういう人間が多いため優秀な宰相や文官、研究者などを輩出し、代々王家を支え王国の発展に貢献してきた。そのため、いつの頃からか『知のバックリーン』と国内はおろか他国からも言われるようになった。


 通常なら外部から講師だったりを招いて子どもの教育をするものだが、基本的に身内で行う。

 現在バックリーン侯爵家には子どもが二人いる。故アルベルト・バックリーン侯爵の娘であるマリーと、数年前に養子となった息子であるイクセル。ちなみにマリーは十三歳、イクセルは十四歳である。

 アルベルトはもともと体の弱い人だったため、子どもを為せたのは奇跡だった。そしてマリーが四歳になる年に、眠るように安らかに逝った。その後当主不在となるため、アルベルトの父であり前バックリーン侯爵であるオロフ様が中継ぎとして今一度当主となっている状態だ。


 この流れでお気付きの通り、女当主は法律で認められていない。そのため、マリーでは後継者になり得ない。そしてバックリーンの血を引く者たちは皆それぞれの得意方面の勉学や研究などをしたい人間たちなので、当主になろうとする者がいない。そのためオロフ様がたまたま窓の外から見えた大道芸団にいたこのイクセルを連れてきた、というわけだ。オロフ様は直感で生きるタイプなのである。


 そしてそのまま紹介されたのだ。


「アスタ、マリー、この子はイクセル。本日よりバックリーン家の者とする。」


 ここらでは珍しい黒い髪、黄金の瞳、そして片耳に光る銀細工のピアスを見たときにそれは起きた。


(あ、ここ『金環(きんかん)なんちゃら』だ)


 イクセルに無難なご挨拶をしながら、走馬灯のように全てを思い出した。

 私は日本の北関東に住んでた一会社員で、隙間時間によくスマホアプリで漫画を見ていた。プロアマ問わずに載せれるシステムだったのでいろんな漫画を日々読み漁っていたのだが、最もお気に入りだったのが、『金環なんちゃら』。いや、作品名なんだけど、金環までは覚えてるけど、以降は忘れた。だからなんちゃら。作品名が妙に長い作品が多すぎると思うんだよね。

 さて内容としては、ちょっぴり治癒が得意な平民の女の子が実は聖女で、勇者や仲間と共に古代龍にかけられた呪いを解くというやつ。そしてその聖女様の教師兼パーティーの仲間である魔術師イクセル、さらに義兄である魔術師に懸想していたが聖女が好きだからとフラれ、傷心のところを古代龍の呪いに付け込まれ王国を破滅させようとした悪役令嬢に成り下がったバックリーン侯爵家のマリー。

 ここ、金環の世界で、原作の過去じゃん。私ったらそこそこ名のある登場人物二人の母親のアスタじゃん。という事実をそこで理解したという驚きの展開。それが今から六年前のこと。

 その日から今に至るまで、私がこの家の慣習に則ってイクセルもマリーと一緒に学問やマナーを教えている。


「って言っても、イクセルに教えることってあんまり無いのよねぇ」


 さすがパーティーメンバーにして聖女の教師、頭の回転が良く知識欲がある。だから教えたことはぐんぐん吸収していった。そのため今ではイクセルがマリーに教えている。こういうところから、教師への道が拓けていったのか。

 そん感じでわりと距離感近いわけだけど、マリーはイクセルのことを異性として意識していない。しかもイクセルが言うには二人で恋バナもしているらしい。え、母にしないの?仲間はずれかい?まあ兄と妹の仲がいいことでなにより。とにかくこのまま行けば、マリーがフラれてからの破壊行動という運びにはならないはず。ただ、何がどう転ぶか分からないので目を光らせておく。

 なんせ私は先々の幾千の可能性を考え方法を生み出すような頭の良いことは考えられないタイプなんで、奇策を打ち出したりできないんです。目を光らせつつ子育てを頑張るぐらいしかできないんです。


「母上、大丈夫ですか?」

「あらイクセル」


 初めて会った時よりもぐんぐんと身長が伸びて、目線は私と同じくらいになったイクセルが書庫に入ってきたかと思うと、私が持っていた本をさりげなく持ってくれたので、礼を言う。すると「お気になさらず」と言われた。昔からイクセルは優しい。まあ養子っていう引け目があるのかもしれないけど。


「次の授業で使おうと思って。王国の歴史を振り返るのに良い資料だと思うわ。」

「そうですか。ただ母上の細腕にはあまりにも重いです。私を呼んで下さい。」


 ほっ細腕……?このむちむちした腕をして細腕と?


「このぐらいなら私でも持てますよ。でもありがとうイクセル。」

「はい。他ならぬ母上のためですから。」


 ちなみにこんな感じで歯が浮くようなこと言ってるけど、ここまでイクセルの表情筋は動いていない。

 原作でもイクセルは無表情なクールキャラだったのだが、現実でもそんなかんじ。

 そんなんでよく大道芸なんてやってたわね、とマリーが言っていたけど、本人曰くわりと魔術が使えて見せ物ができたからそこまで言われなかったとのこと。

 マリーわりとズバズバ言う子です。


「では行きましょうか。」


 本を片手で持ち、腕を差し出される。素直にその腕に手を添えてエスコートを受けた。


「イクセルは女性への対応がとてもよく出来ているわね。」


 添えた手から、ピクリと僅かにイクセルが動いたことを感じる。


「……母上が教えてくださいましたから。」

「褒めても何も出なくてよ。これならば素敵なお嬢さんを捕まえられそうね。ああ、もちろんお互いその気があるのならばマリーを将来の伴侶としても良いのだけど。」


 そもそもイクセルを養子としたのは、マリーの伴侶とするためだった。しかしオロフ様としては思いの外出来が良かったため、外部から嫁を取り、イクセルを当主にしても良いという。そうなったら、できればイクセルの子とマリーの子を将来は婚姻させたいとのこと。

 この王国はそこまで血統を重んじた世襲制ではない。名という役割を残して存続させることに重きを置いている。とは言え、自分の面影が残る子が継いでくれればやはり嬉しいものなのだろう。


「貴方から見てマリーはどう?」

「よく頑張っていると思いますよ。以前は苦手だった王国の歴史についてもわりと頭に入ってるようで、きちんと説明できるようになってきてます。」


 いや、そういうことを聞きたかったんじゃないんだよなぁ。


「それは何よりなのだけど、そうではなくて、マリーは女性としてどうかってことよ。」

「良くも悪くも素直なので、そこを評価する人には好かれると思いますよ。」


 あくまで客観的な意見しか返ってこない。聡い子だ、私が何を言いたいのか多分わかっている。わかっていてはぐらかしている。


「貴方の言う通りね。あの子ははっきりしている子だから。それでイクセル、マリーと婚姻する気はない?」


 やんわり匂わせで言うのではなく、そのままどストレートに聞くことにした。

 私も気になるっていうのはあるけど、実はオロフ様からもちょくちょく言われていたのだ。これだけ二人は長いこと一緒にいるのだし、何か芽生えていないのかと。


「無いです。そしてマリーも私をそう言う目で見てません。」


 まあ、そんな気はしていた。恋バナをしてるって話を聞いたときからそうだろうな、とは思っていた。ただ二人とも思春期さんだし、いつどんなタイミングで芽生えるか分からないし、聞いてみたかったのだ。もちろん、オロフ様にせっつかれたと言うのもあるけれど。


「……そうなのね。」


 ちなみに、婚姻は男女ともに十六歳になる年からできる。なのでタイミングによっては十五歳で婚姻を結ぶ場合もあるのだ。わたしもそうだった。なので十六歳になってすぐにマリーを産んでいる。


「本人達がその気でなければ進めることはできないものね。」

「お分かりいただけて何よりです。」


 この金環なんちゃらだけど、中世ヨーロッパをモチーフにしている節がある。身分制度はあるしお家継承問題はあるけど、そこまで政略結婚を推奨してない。どちらかと言えば恋愛結婚を推している。

 ちなみに私とアルベルトは微妙なところ。親同士仲が良く、よくアルベルトの家に小さい時から私も連れてこられた。その過程で仲良くなりそのまま婚姻となったのだけど、今思えば親同士はその気だったのだろう。病弱であまり外に出られず他の女性を知らないアルベルトと、幼い時より会う異性はアルベルトしかいない私。お互いがお互いしか知らない環境におかれていたから、夫婦となるのも自然の流れだった。まあ大人の色んな思惑はあれども、私たちはうまくやっていたと思ってる。そして私は、今は母親として頑張ってるというわけ。


「イクセル、貴方もう少ししたら婚姻できる年齢になるのだし、良い人ができたら紹介してね。」


 そう言ってイクセルに微笑むと、彼は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。



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