僕と幼い頃からの婚約者
「サウスブリット公爵家のアイリーン嬢、とうとう婚約したらしいぜ」
「お相手は誰だ?」
「それが隣国への外遊から戻ってきた王弟殿下だと」
昨年の卒業パーティーでの元第一王子殿下からの婚約者である公爵令嬢への断罪劇は、まだ入学前だった僕らが入学した今でも度々話題に上がる。
明日婚約者と行く予定の観劇もこれが元になったストーリーだ。
そのことからもわかるように、問題としてあまり大きな扱いになってはいない。結局のところ早い段階で水面下で王弟殿下とご令嬢が上手くいっていたからだろう。
聡明で美貌の公爵令嬢だ。くだらない言いがかりを付けられ破棄された婚約など、どう言い繕っても彼女の疵瑕にはならない。
だがそれによって『あわよくば』と思ったのか、フリーになった彼女の元には釣り合わない家柄の者も含め、釣書が殺到したとか。
「くっそー! 敵うわけないよなァ」
「え、お前狙ってたのか?」
「なわけないだろ、ウチは伯爵家だぞ? ただ『あわよくば』って気持ちはわかる」
「まぁなぁ」
まだ学生の僕らは呑気なモノで、不敬や政局などに関わらない程度に、これをネタとして話題にしていた。
学生生活に慣れてきたばかりの僕らは、初めてできた友人達との馬鹿話が楽しいだけで、これもただの軽口に過ぎない。
正直なところ、今は婚約者といるより友人達と居る方が楽しい。休日に婚約者と観劇とか、面倒臭い。
(あ~あ、行きたくないなァ)
勿論、婚約者が嫌いとか疎ましいとかじゃない。
婚約者に限らず女の子は可愛いけれど、『女の子とデートする』よりも『女の子の話を男同士で話して盛り上がる』方が断然楽しいというか。
女子の好む退屈な劇を婚約者に合わせてうっとり観るよりも、気の置けない仲間と厳しくも巫山戯たツッコミを入れながら観た方が、どんなに楽しいかわからない。
だからといって、すっぽかしたりはしないけれど。
そもそも彼女の為に、退屈そうな観劇のチケットをわざわざ取ったわけで。
案の定、観劇は退屈な内容だった。
劇の内容としては、公爵令嬢にあたる『お姫様』が主人公。悪役は勿論婚約者の『王子様』と不貞相手だ。
ざっくり言うと罠に嵌められて冤罪をかけられたお姫様が、違う王子様に見初められて、その協力のもと真実を突きつけ結ばれる、ハッピーエンド逆転劇。
僕は欠伸を噛み殺しつつ劇を観たあと、サッサと家に帰りたいのを堪えて彼女をお茶に誘った。
「まだ時間も早いし、お茶でもしてく?」
「いいわ……帰る」
「え。 あ、ああそう?」
しかしいつもなら朗らかに笑い頷く婚約者の様子がおかしい。
困惑しつつ馬車で家まで送るが、馬車の中でも彼女は黙ったまま。
婚約者のユリアナは、大人しい子だ。
意地悪く言うようだが、客観的評価として少し冴えないと言っていい。
普段も淑女的な意味で黙っているというのではなく、自己主張が得意ではないからだ。
代わりに愛想は頗る良く、他人を立てるのが上手い。少し冴えないのも含め男女共に好感を得られるタイプ。
そんな彼女がこういう態度を取るのは珍しい。
「ユリアナ……? もしかして具合悪い、とか?」
おそるおそるそう尋ねると、ユリアナはようやく笑った。ただし、苦笑気味ではある。
そして視線は合わせないまま、強ばらせた笑顔のような口元をそのまま動かして、呟くように言う。
「不貞とか罠とかは酷いけど……実際に自分のこと好きでもない優秀な相手と婚約して、更に比べられ続けるとか、結構辛いかも。 できる人って、できない人の気持ちとかわからないし……」
(なんだ、劇の内容に入り込んでるだけか)
ユリアナは大人しいが、その分他人の気持ちに敏感なところがある。
悪役の設定に共感したことで、モヤッとしてしまったんだろう。
「なんにせよ、具合悪いんじゃなくて良かったよ。 ちょっと疲れたのかもね、家でゆっくりしておいでよ」
僕はユリアナを家まで送るとアッサリそこで別れた。
出掛ける為に互いにタウンハウスに戻ったけど、通常は休みでも寮だ。デートが早く終わったので、僕は家には帰らずそのまま寮に戻った。
親とは昨日過ごしたし、家より友達のいる寮のが楽しい。
「お~、リチャード早い帰り! ……フラれたん?」
「馬鹿言え!」
「観劇行ったんだろ、面白かった?」
「いや~、退屈でさ。 まあ彼女は喜んだみたいだけど」
──しかし、その日から何故か僕は、ユリアナに避けられるようになっていった。
学園は共学だが、クラスは男女で分かれている。特に一年生の間は男子は武芸、女子は淑女教育をメインで行う為、関わるのは一般教養の授業のみ。
女子は男以上にグループで動く。婚約者とはいえあまり近付くのは宜しくないので、元々廊下や食堂で手を振るくらいのもの。
だから最初はちょっとした違和感程度で気づかなかったのだが。
(どういうことなんだろう……)
ユリアナ・トルネイル伯爵令嬢とは互いに10歳の年に婚約らしきものが結ばれた。
家格も同等、領地は近く、親が友人同士という割と消極的な政略の婚約であり、口約束。
書面で交わされたのは学園に入り、半年経った長期休暇の際。──つい3ヶ月前のこと。
別に不仲ではないし、手紙も贈り物もしている。親睦を深める為の茶会も欠かさず出ており、当然ながら不貞は勿論、勘違いされるような女性との関わりも持っちゃいない。
成績はトップの方で、運動神経も悪くない。
見た目だって、そう悪くない……筈だ。
お洒落とは言えないかもしれないが、少なくとも清潔感はある。
実際、全くモテないわけでもない。勿論ちゃんとお断りはしているし……鼻の下が云々とか言われたら、そりゃ~自分ではわからないけれど。
こんな僕のどこが不満だというのか。
当人に直接聞こうにも、手紙で約束を取り付けるどころか恒例となっている茶会すら先に手紙で断られる始末。
学園では女子グループに阻まれ(物理でなく僕の気持ちが)、声は掛けられない。
また、なにもわからないまま話し掛け、ウッカリ感情的になり声を荒らげてしまっては紳士の名折れである。
頭を抱えるばかりの僕は、気の置けない友人ふたりに相談することにした。
ルームメイトでもあるフリオと、幼馴染のエミリオ。どちらも『心の友』と書いて『親友』と呼べる相手だ。
「観劇に行ってからおかしくなったんだ? どんなデートだったんだよ」
「どんなって……普通だよ。 ちゃんとそれなりの格好をして、エスコートもちゃんとした。 席だってケチってないし、劇は彼女が観たがってたヤツだ。 終わったらお茶に誘ったし、断られたけどちゃんと家まで送った」
「ふ~ん? なんで怒ったのかな?」
「だろ? わからん」
不思議そうなフリオに安堵するも、エミリオは眉を寄せて口を開いた。
「そうじゃないよ、リッキー。 そりゃ所作や場所は大事だけど、デートの善し悪しってそこでどう過ごしたかじゃないか」
「え……」
「お茶に誘った時断られたんだろ。 その前になんかやらかしてない? 思い出してみ」
「ええ? 特になにも……」
エミリオはそう言ったけど、思い当たるフシはない。いつも通りだ。
「だからさ、『いつも通り』ってどんななの?」
「……」
どんな、と言われても。
「──あ、なんか俺ちょっとわかった気がする」
「だろ?」
「えっちょっと待って? 本人である僕がわかんないんだけど」
答えがわからないままの僕の肩を、エミリオはやや呆れた顔で「そういうところ」と言いながら叩くと立ち上がり、部屋を出て行く。
出て行く間際にこう言った。
「ユリアナ嬢とのデート、ちゃんと思い出してみなよ。 『いつも通り』がどんなか」
フリオは空気を読んでか読まずか、エミリオに倣い僕の背中を強く叩くと「ま、頑張んなよ!」と笑って去っていった。
(いつも通り……が悪い)
『デートの善し悪しってそこでどう過ごしたか』
エミリオはそう言っていた。
場所が問題じゃないとか、なんでだ。
僕はユリアナの為に好きでもない観劇にも、お茶にも誘ったのに。
お茶は断られたけど、観劇は……
(もしかして、嬉しくなかったのかな?)
ユリアナがどんな表情をしていたか、サッパリ思い出せない。
馬車の中での、俯き気味の強ばった笑顔しか。
茶会の時はいつも笑っていたけど、最近なにを話したっけ?
……僕は、なにを話した?彼女は?
思い出せるのは、馬車の中での言葉くらい。
『実際に自分のこと好きでもない優秀な相手と婚約して、更に比べられ続けるとか、結構辛いかも。 できる人って、できない人の気持ちとかわからないし……』
──アレが役に共感して出た言葉だとして。
(自分のこと好きでもない優秀な相手……って、僕のことか?)
でも誰かと比べたりした覚えはない。
好意だってちゃんと示していたじゃないか!
僕は不条理に言い掛かりを付けられているような憤りから立ち上がり、ユリアナの元に向かおうとして、
「──クソっ」
──辛うじて、やめた。
エミリオとフリオが納得していたくらいだ。
僕にもなにか至らぬところがあったに違いない。
僕はユリアナの為に好きでもない観劇にも、お茶にも誘った。
『ユリアナの為に』。『好きでもない観劇に』。
(あ……)
『デートの善し悪しってそこでどう過ごしたか』
嫌々行っていた、と言われたらそうかもしれない。それを見抜かれていたとしたら?
僕のユリアナに対してのこれまでの扱いは決して酷いものではなかったが、好意と感じるよりは義務と受け取られてもおかしくはない。
今更理解したことで、心臓が急激に不穏な音を立て始めた。
ユリアナは大人しい子だ。
そもそも消極的とはいえ、政略での婚約。
口約束が始まりだが、義務を果たしていた僕と家との繋がりから、婚約を断ることは難しかったに違いない。
(でも誰かと比べた? そんなことないだろ……)
『できる人って、できない人の気持ちとかわからないし……』
勉強があまり得意ではないユリアナに、何度か僕は勉強を教えている。
ユリアナは客観的評価として、少し冴えないと言っていい……という僕の考えは成績などを基盤にすればあながち間違いでもない。
それを口に出すべきではないというくらいの分別はあるが、これまでを振り返って反省するに、態度には出ていたのかもしれない。
(ユリアナを無意識に下に見ていたんだ……)
他人の機微には敏いユリアナだ。
僕本人が気付いてなくても、きっとそれに気付いていた。
どう謝ったらいいか、謝るべきかもわからず、僕はまた頭を抱えた。
相変わらず友達と過ごすのは楽しい。
でもひとりになるとユリアナのことばかり考えてしまうし、視界に入ると目で追ってしまう。
(彼女はあんなふうに笑う子だったかな)
やっぱりちょっと苦手なことの多そうな彼女だが、冴えなくなんかない。
一生懸命やっている姿は可憐で、愛らしい。
普通ぐらいの可愛さが、『僕と丁度いいくらいで、釣り合いがとれている』とか思っていたが、仮に表面上の美醜がそうだとしてもプラスアルファの魅力がきっと違う。
ずっと萎縮させていたのだ、と徐々に確信を抱くようになった僕は、己の傲慢さと醜悪さを恥じた。
2週に一回はしていた茶会かデートは断られたまま、2ヶ月が過ぎようとしている。
婚約の解消とか破棄とかが怖くて、手紙と贈り物はしっかり続けていたが、徐々に焦った僕はとうとう目立つのを覚悟で昼休みに彼女に声を掛けた。
「リチャード様……」
いつの間にかついている、敬称がもどかしい。僕もつけるべきなのか?と思いつつ、敢えて付けない方を選択した。
「ユリアナ……ちょっとだけ僕に時間をくれない?」
「え、ええと……」
「ご友人の皆様、彼女をお借りしても?」
困惑顔で微笑む彼女を無視し、外堀を埋める。卒の無い感じで振舞っているが、心臓が口から飛び出そうな程緊張していた。
「勿論ですわ、婚約者様ですもの。 ユリアナさん、私達は気にせずいってらっしゃいな」
グループの中心らしき侯爵令嬢がにこやかにそう答え、ユリアナの背中を押した。
曇天の下、学園の中庭には秋の花が咲き乱れていた。
久しぶりに間近で見るユリアナは、随分と垢抜けたように感じられた。
『花よりも君の方が綺麗だ』とか気の利いたなにかを言えたらいいのに、ふたりで過ごした時間が長過ぎてそういうのは上手く言えない。
予め考えていた言葉を言うので精一杯だ。
「ユリアナ・トルネイル嬢。 僕の恋人になってくれませんか?」
「……えっ?」
僕はユリアナに告白をした。
『好き』と言うよりも、関係性がわかりやすいと思われる言葉で。
「リ、リッキー……どういう意味?」
戸惑いからでも愛称で呼ばれ、少しホッとする。
彼女にこれまでの態度の謝罪をし、『それでも義務でやったことじゃない』とこれまでの誤解をといた。
「婚約は政略からかもだけど、恋人なら……互いの気持ちからだから」
「……」
「今までごめん」
『同性の友人と、くだらない話をしたりして過ごすのが楽しかった』と正直な気持ちも語った。
沢山考えた。むしろ、婚姻という一生事なのに今までちゃんと考えなかった自分を恥じた。
だがそれも家がどうとかより、ユリアナに対する不満がなかったからだと思う。
義務を果たすのは最低限のマナーであり、その本質は互いの仲を深めることにあるというのに、仲が悪くなかったことに甘え僕はそれを忘れていた。
「そのひとつに、過程としての恋愛が足らなかったんだと思う。 今はまだ正直、恋愛とかわからないんだけど……恋をするならユリアナがいい。 だから……」
(──いや待て、これだと『君に恋愛感情はない』って言ってるようなモンじゃないか?!)
「ま、待って! その、ユリアナは可愛いよ?! ただ僕がなんていうか、イマイチ男女の恋愛がよくわからないってだけで! ……そう、だから『形からもっとちゃんとする』っていう……っ」
自分でもなにを言っているのだかよくわからないが、もう必死だ。
少なくとも、僕はユリアナに婚約破棄とかされたくはないし、それは家が理由ではない。
ユリアナが他の男と不貞を……とか、『真実の愛』とか言い出したら自尊心が傷付くだけでなく嫌だ。
ユリアナが僕の婚約者じゃなくなることが嫌だ。
──などなど、思い付く限りの理由を引っ張り出し、まさに必死で彼女に話す。
自分で言うのもなんだが僕は要領がいい方で、あまり焦ることがない。それに、こんなに話し下手でもない。
自分でも多分みっともないだろうことがわかるくらい、滑舌は悪く、もう朝晩寒いくらいだというのに身体が熱くて汗だくになっている。
「──ふふっ」
ポカンとした顔で僕を見ていたユリアナが、突然くすくすと笑い出した。
「ごめんなさい、でもこんなにリッキーが焦ったのを見るの、子供の頃にウッカリ馬を逃がしちゃって以来なんだもの」
「──」
そう言ってはにかむユリアナを見て、今度は僕の方がポカンとしてしまった。
(可愛い……ユリアナって、こんなに可愛かったっけ?)
いつからちゃんと見てなかったのだろう。
僕の中でのユリアナは垢抜けないけどそれなりに可愛い、守ってあげたい妹のような、朴訥な少女だった筈だ。
……今までその印象で見ていたのだろうか。
「いいわリチャード様。 学舎の手前までエスコートしてくださる? ……恋人として」
「っ勿論!」
僕は初めてのエスコートの時以上にドキドキしながら、ユリアナに手を差し出した。
「──ユリアナ、もう僕は君に恋したみたいだ」
「うふふ」
「……信じてないね?」
「どうかしら」
「いいよ、そのうちわかる」
「期待していいの?」
「僕に姫君と過ごす時間を頂ければ、きっと」
さっきまで出なかったトンデモナイ台詞と共に、指先に唇を落とした。
恋って凄いなぁ。
「最近お断りばかりしていたのは、本当に忙しかっただけよ」と唇の端を上品に上げて微笑み小首を傾げるユリアナは、可愛らしさと妖艶さが同居していてやっぱりドキドキしてしまう。
──だが、冷静な僕が言っている。
『それは嘘だ』と。
嘘を吐いた後に瞬きをする癖は、まだ健在の様子。
……どうやら危ないところだったらしい。
僕は学んだ。
女とは怖いモノであり、既に少女から女になりかけのユリアナもまた怖いのである。
恋愛とは騙し合いだとか聞くけど、それは本音を語り合える信頼を築くまでの工程なのかもしれない。