第三話
本文中に出てくる「カレーズ」について。
6世紀以前のペルシャ(現在のイラン)の乾燥地域で発明された地下水路。山麓で得た地下水を,蒸発しないよう長い水路を通して遠くの集落や耕地に導き,地上に流出させて配水するもの。中央アジア・新疆ウイグル自治区・北アフリカに伝わった。ペルシャでは「カナート」、北アフリカでは「フォガラ」と呼ばれる。(参考:スーパー大辞林)
ー皇統元紀四二四年 三月一五日 帝都ケフィアー
陽も落ち、薄暗くなり閑散としている琥珀通り、ケレメクの店の奥、メイの家。
ヨアンと母は、いつもメイの家で夕食を食べている。町の中の結束が強いキビジュ人には普通にあることで、この二家族は十数年来ずっとこうしてきた。お腹が空いた子供が、同じ町の近くにある家でご飯を食べることも珍しくない光景だ。
今日の夕食はクークスから来た鶏のモモ肉の燻製だ。
「美味しい!」
「別に高いものってわけじゃないんだけど、燻製はあまり買わないからねぇ」
「誰から買ったんですか?」
「肉を売ってる同盟の商人だよ」
「同盟?」
「イェンツェ=カルマール同盟。ここから北西に行ったとことにある、海の国ね」
「海かぁ」
「貴方たちは、見たことないからねぇ」
「えっ? すぐそこにあるのに」
「ああ、あれは湖、ハザール海だよ」
「へぇ、そうだったんだ…」
そんな会話を交わしつつ、通りは暗くなってゆく。
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「「ごちそうさまでした」」
「どうも。さ、片付けるよ」
皆はめいめい皿を持って、裏口から外に出る。ケレメクが、煉瓦の壁際に置かれた、水の入ったバケツを持ち出してくる。みんなして皿を持ち、順々に洗ってゆく。乾燥地帯にある帝都には水道がなく、通りに点在する公共の井戸を使っている。
夕食の後は夜空を見上げるのが、もうヨアンとメイの長年の習慣だ。夜の通りでも大人たちが注意を払っているので、危険はない。二人は裏口から居間に戻ると、外套を羽織り、布がひしめき合う暗い店を抜けて、月明かりに煌々と照らされた琥珀通りに出る。
「あぁ、美味しかった」
「ふふふ」
見上げると、春の星々が、帝都の灯りにも掻き消されずに煌々と輝いている。キビジュ人なら誰でも最初に探すのが、
「あった、北極星」
何百年もの間、旅に利用されてきた夜空でただ一つ動かない星、北極星。星座は、この星を中心に広がっている。
「あれは、<仔馬>だね」
「あれが<剣を持った戦士>。それに、<夏の住まい>」
ヨアンの視界の右の方で、自分より少し小柄なメイの綺麗な茶髪と、彼女の笑顔が目に入る。メイの笑った顔が好きだ、と思う。笑った目が素敵だ。
「明日は、」
「重要な取引先が来るんだっけ」
「そうそう」
「どんな人だと思う?」
メイの視界の左の方で、自分より少し背の高いヨアンの綺麗な金髪が揺れ、にこりとする口が目に入る。ヨアンのその落ち着いた顔が綺麗だ、と思う。無意識に引き寄せられている感じ。
「どこの人なの?」
「ええっと、なんて言ってたっけ」
「西の人? それとも東?」
「確か、うん、そうだ、キビジュの人だって」
「なんだ」
「でも、東の方からきた人だって言ってたよ」
と同時に、ヨアンを心配に思う。時々どこか遠いところを見て父を探す目が不安げだ。そうだとしても、二人のこの時間は穏やかで、幸せだ。
二人は手を繋いで、春の夜空を眺めた。
そんな帝都の日常。