第九話
『パティヤ元帥の回顧録』に登場する「翼軍」やら「万騎」やらいう用語は、設定は完成しているのですが、現段階ではお見せできません。話が進んだしばらく先のことになるでしょう。
『いや、たとえ近代軍が遠春で敗走したとしても、三〇年前の三九四年(2055年)ならば、救いが無いことも無かったのだ。旧帝国翼軍は極東軍の壊滅後も戦い、秋津王国軍を押し戻すことさえできたかも知れない。しかし、三九八年(2059年)に極東軍の大規模増強と共に東翼左翼の万騎は八隊から四隊に削減され、残った四隊も、内向けの警察機関として転用された。四一〇年代には既に、この地域の対外軍事力は近代軍に移っていた。…』
ーー『パティヤ元帥の回顧録』
第二章 2084〜85年 旻州戦争 より
ー皇統元紀四二四年 三月一四日 《遠春攻防戦》ー
航空長が唐突に、緊迫した面持ちで叫んだ。
「艦長、このままの針路では、敵戦列に突っ込んでしまいます!」
針路を直交させる両艦隊では、安全高度にある秋津艦の方が足が速い。このまま進めば、丁字、秋津西海海戦の二の舞になってしまう。
ーーこの高度なら、射角は〇度にした方が艦への負担は小さい。左に転針した後、右に少しずつ針路をそらしていく。上手くすれば、敵艦を正面から砲撃できる。ーー
その旨を航空長に説明すれば、心得た、とばかりに頷き返してくれる。
基準最高高度を超えて一五度以上転針すると、それだけで艦は傾いてしまう。「左方転針十三度」
「左方転針十三度、了解」『敵艦、発砲しました!』
「全主砲、射角を〇度に指向」
『射角を〇度に指向、了解』
「引き続き敵戦列の先頭を攻撃する。第二主砲、射撃用意」
「仰角三十度」『仰角三十度、了解』
「舵戻せ。右方転針五度」「右方転針五度、了解」
「十二秒後に射撃です。七秒前、…三、二、一、撃て!」
第二主砲が咆哮し、砲弾を放つ。
「第一主砲、射撃用意」
『敵砲弾、来ます!』「総員、対衝撃用意!」「対衝撃用意!」
左舷側を、煙を引く砲弾が次々に飛び抜けてゆく。
ーー斉射か。ーー
〇.一秒あって、直上に衝撃。金属同士が激しくぶつかり合う甲高い音に、砲弾の弾薬のものではない爆発音と、強い振動が続く。伸縮に耐え切れなかった艦橋の窓ガラスが何枚も縦に割れて砕け散る。
被弾。
咄嗟に腕で頭を守る。心臓が早鐘を打つ。頭も、うるさいほどに警鐘を鳴らしている。艦後方、第三主砲脇への被弾。砲塔下の火薬庫に誘爆し、大爆発。砲塔は下からの爆風で吹き飛んだか。
伝声管から声がする。
『観測所より艦橋! 第三主砲塔に被弾! 繰り返す、第三主砲塔に被弾!』
砲塔は下から吹き飛ばされ、中の人員が生存しているとは思えない。この戦争だけでもう何度も経験した、戦場での死の惨さに鬱屈になるが、艦長という立場なればこそ、冷徹に動かなければならない。
ーー観測所と伝声管が生きている。ならば良しとすべきだろう。ーー
「損害報告!」
『第一主砲、損害無し!』『第二主砲、損害無し!』『左舷副砲、損害無し!』『右舷副砲、損害無し!』『観測所、損害無し!』『後方観測所、一名が負傷!』「艦橋、二名が負傷です!」
「後方観測所、他の艦は」
『はっ、「夕霧」損害軽微、他損害無し、とのこと!』
互いに接近し続ける両艦隊の間に、何本もの火線が貫き通る。砲撃戦は、彼我の距離に反比例するように激しくなってゆく。