死霊魔術師Ⅷ
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約束の時間まではまだ時間がある。
誰かさんが後頭部に喰らわせた手刀により軽い脳震盪を起こし、おそらくは明日の朝までは起きることねえんじゃないかってほど気持ちよさそうに伸びているワンコチャンを担いで、俺が職場である師匠の住処にやってきた頃合いにはすでに黄昏は過ぎていた。
「おやおやぁ? 有休とってるのに出勤してくるなんて、弟子くんは仕事熱心だなあ。それともなぁに? そんなに私と一緒にいたいわけ? だったら残念でした。これから私、ちょっと出かけるとこなんだよ」
何もかもわかりきってるみたいなニヤニヤ顔で出迎えた師匠は、珍しく外出用にあつらえている黒を基調としたゴスロリチックなドレスに身を包んでいた。どこへ出かけるのか、と聞いてみたら家電量販店の名前を口にする師匠。ビデオカメラをいくつか買いに行くそうである。そんな自分の子供の運動会前の母親じゃあるまいし、なんでこんな閉店間際の時間帯にビデオカメラ買いに行くわけ?
「ひ・み・つ♡」
あ、そう。嫌な笑顔を見せてくる師匠からそっと距離をとる。
さて、ソファにワンコチャンを寝転ばせながら、その辺にあった毛布をかぶせてやった。すると彼女はむにゃむにゃ口元動かして「せんぱぁい、もうぅ、なめろだなんてぇ。あたしそんなえっちなことできませぇん」とか何とか頬を赤らめて寝言ぬかしやがる。それを聞いた師匠が瞬時にジト目になって俺とワンコチャンを引き離しにかかる。
「弟子くん、言っとくけど私の可愛い弟子に手を出したら、なんとういうか、絶交だよ?」
「いやいや、何もしてねえよ。そもそも俺とあんた、絶交するほどの仲良くねえし」
「してんじゃんかぁ。少なくとも今、わんこちゃんの夢に出てきてえろ同人みたいなことしてんじゃんかぁ」
「どうしようもねえこと言われても困るんですけど。それに他人の夢を勝手に覗くのもどうかと思うけど?」
っていうか、えろ同人みたいなことってなんだよ。夢の中で俺はいったいわんこちゃんに何を舐めさせようとしてるんだ? 興味は尽きないが、深く掘り下げようとするとまたデリカシーのない師匠が変なこと暴露しそうなのでワンコチャンの名誉のためにもそっとしておくか。
「ところで師匠、今朝言ってた師匠の元同級生に会ってきましたよ。反吐が出るほどのクソ外道ってああいう輩のことを言うんですね」
「ところで夢と言えばだけど」
ところでどっこい話題を変えようとした俺の話をまったく何一つ聞いてないロリババアは、せっかく終わらせようとした夢の話を続けるのである。
「昔から夢はそれを見たものの抑圧されている願望だとか、これから起こる危機について知らせる信号だとか色々言われてるけどさ。魔術師が見る夢はたいてい予知夢なことが多いわけ。だから今、わんこちゃんが見ている夢は高確率で現実になる可能性を秘めているわけだよ」
うんうんドリカムドリカムと頷いている師匠の傍らで「うーん、センパイが逆立ちで街中を……、せめて服を着てくださいよぅ……」とか、うなされ始めているワンコチャンを半眼で見ていた俺は「いやいやいやいや」と首を横に振るしかない。
「そんなバカな。俺がワンコチャンに対してえろ同人みたいなことするわけないし、街中を全裸逆立ちで徘徊する予定なんてスケジュール帳には入れた覚えはないんだけど?」
「いやいや、未来ってやつはわからないよ? 絶対に起きないってことは理論上ないんだし、確率がゼロではない限り、その事象は起こってしかるべきだ。違うかい? 例えば今ここで私が、弟子くんが全裸逆立ちで街中を徘徊したらいちおくまん円あげるって言ったらキミ、やるだろ?」
確かにそうではあるけど。でもそれホントにくれるの? この前みたいに玩具銀行のユキチを手に持って頭上に掲げて「あーげたっ」とか満面の笑みで言わない?
「例えばの話って言ってんじゃん。なにさっそくズボンに手をかけてんのさ。やめてよね」
一生遊んで暮らせるカネの前に精神錯乱して蛮行をいち早く決行しようとしていた俺に対して、珍しく頬を赤らめた師匠がコホンと咳払いして話を戻したのを合図に俺も社会の窓をしょんぼり閉める。
「つまり、夢って言うのは、案外、馬鹿にはできないってわけだよ」
「……何が言いたいんです?」
「今、この子が見ている夢をおしえてあげよっか」
「いや、いらないです」
英語で言うならノーサンキュー。
「銀色の髪をした女の子が、笑顔で生きている夢だよ。弟子くんたちの、隣でね」
なんじゃそりゃ。
出会ってまだ半日も経ってない人間の幸せを夢に見れるっていうワンコチャンの善人性にも驚きだが、俺がいらないって言ってるのにいつものニヤニヤ顔で暴露する目の前の性悪ロリババにも開いた口が塞がらない。
この女はどんだけ性格がひん曲がってるんだろうか。その調子なら、地獄に堕ちたとしてもそれなりにやっていけるのでは? そもそも無茶苦茶な話ではある。俺に、あれを養えって言ってる? 今だってカツカツの生活してんだぜ? これ以上、余計なものを背負ったら首が回らなくなっちまう。
「別にぃ? 私はわんこちゃんが見てる夢の話をしてるだけだよぉ?」
シアワセそうな顔して「おっぱいはあたしのかちぃ」と涎垂らしてるワンコチャンを見ながら、あの銀髪少女が彼女らとともに普通の女の子として学校生活を送っている映像が、ガラにもなく想像してしまってゲンナリ。
「あー、その顔、ぶん殴りたくなってくるから止めてもらっていい?」
俺が八つ当たり気味に拳を振り上げると、黄色い声で「きゃーこわーい」とゼンゼン怖がってねえ棒読みで悲鳴を上げた師匠は、しばらく愉しそうに笑ってから、急に遠い目になってしんみりした溜息を吐いた。
「でも弟子くん、助けるってことは、そういうことなんだよなぁ。ああいう堕ちるところまで堕とされちゃった手合いはね、一度助けたら、最期まで責任とらなくちゃいけないんだ。これは私の経験だけどね。中途半端に助けちゃうと、あとあとすごーく面倒くさいことになっちゃうんだよ。キミもわかり始めてるとは思うけれど、人間ってそういう面倒臭いところあるんだから」
「ふうん。さすが伊達に歳を貪ってるわけじゃないんですね」
「えー、キミにだけは言われたくないんだけどぉ?」
唇と尖らせて反論する師匠は「あ、いけないっ。もうすぐ閉まっちゃうじゃん!」と時計を確認して街に一つしかない大型家電量販店の閉店時間が迫ってることに気付くと、最後に俺の鼻先にズビシっと人差し指で指摘して釘を刺してきた。
「弟子くん、いいかい? 助けるなら、最期まで責任とること。それが嫌ならきっちり殺してあげなさい。まあ、私としては前者をお勧めするよ」
「あれ? 今朝は殺せとか言ってなかった?」
「よく考えてみたら、あの子を弟子くんが殺してあげても私には何の得にもなんないし」
「その心は?」
「それ聞く意味ある? そもそも弟子くん、最初からそうするつもりでしょ?」
「師匠の言いなりになってる気がして癪なんで、参考までに聞きたいだけ」
「ふうん。まあ、教えてあげるけどさ。だって、そうした方が、キミの足枷が増えて、いざって時に私の役に立ってくれるでしょ。知ってる? 人質って言うのはね、数が多ければ多いほど、使い道がたくさんできるもんなんだよ?」
うーん。
やっぱ、このロリババアが今んところ俺が知る人間の中で、一番ゲス野郎だわ。もしかしてラスボス倒したあとによく出てくる裏ボスなんじゃねえの、と勘ぐってしまうくらい。さっさと家電量販店行くなら行っちまえ。あ、でもその前にどうせなら俺のポイントカード持ってってくれる?
確か師匠の行く家電量販店、今週はポイント五倍の日だった気がする今日この頃である。