死霊魔術師Ⅱ
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「フム、つまり私が先輩のボディガードを引き受けちゃえば四六時中、先輩と一緒にいても煙たがられることはないわけですね。ヨシ! 先輩のボディガードは私が引き受けたげます!」
ワンコチャンは、セミショートのウェーブした茶髪が似合う童顔で巨乳な今時の女子高校生である。本名はイヌガシマイチコ。苗字に犬が入っているのと名前が壱子と書いてイチコなのでワンコチャン、なんて俺にあだ名付けられ、それが定着してしまった可哀そうなやつではある。しかし同時に、地球上では右に出るものはおそらく指で数えるくらいしかいないだろうバケモノ的存在であるうちの師匠から、たぶん唯一と言っていいくらい哺乳類として可愛がられている運の良い人間でもある。
そんなワンコチャンが、自分の胸を「えへん」と、元気よく叩いてむせ返ったのは、午後五時を過ぎた頃であった。
場所は、現在、俺の寝床になっている旧市営団地(通称、幽霊団地)近く。
国道沿いにあるファミレス店内。
師匠から「最後の晩餐くらいちゃんとしたもの食べれば? え? あげないよ? なに寝ぼけたこと言ってんの? もちろんトイチで貸しだよ?」と渡されたユキチを握りしめ、遅めのお昼ご飯を豪勢にありつこうとした俺の行動を見透かしたかのように、俺が呼んだ店員が「他にご注文は?」と聞き返してきた瞬間に颯爽と現れ、有無を言わないうちに対面の席に座ると、すぐさまデザート欄にある一番高価なデラックスパフェを頼むや否や「ごちそうさまです、先輩」とか善良な笑顔でぬかしやがったのは、つい先ほどのことである。でぶちんになれ。
それから注文の品が来るまで世間話していたが、師匠から死亡フラグ宣告されてしまったことをうっかり愚痴ってしまったわけで。口は禍の元とはよく言ったもの。かくして、ワンコチャンの提案に溜息一つ吐いた俺の回答やいかに。
そんなもん、端から考えるまでもなく決まっていた。
「あほか」
もちろん却下です。
危険だとわかってるのに、大事な後輩をむざむざ巻き込めるかよ。
ていうか、何がフムでヨシなの、流行ってんのそれ。
この話は終わりだと言わんばかりに首を振った俺に対して、その頃一方ワンコチャンの表情は頬をぷくーっと膨らませてお怒りモードに突入している。
「なんで! なんでなんでなんでなんで、なんでですか! もー!」
テーブルをバンと叩いて足をジタバタ地団太しながらプンスカする十六歳花の女子高生に憐みの視線を投げかける。いくらファミレスとはいえ、こんなに騒いでいたら、普通ならば一発で追い出されて出禁になるところだ。しかし、あいにく目の前の女子高生は美少女と言っても過言ではないくらいのハイレベルな容姿に加え、他人の保護欲を舐め回すような無邪気さを武器にしているトクベツ製である。
俺たち以外に数人いた客が微笑ましそうにしているので、店員も何も言わずにあっちの方で困った顔を俺に向けてくるのみだった。
ホント、顔が良いって得だよな。
そのうえ、目の前の女はスタイルも良いときてる。二物を与えすぎ。
ムカついたので、拳骨をワンコチャンの頭蓋に叩き落とす。
ところがどっこい、白刃取りされてドヤ顔を返されるだけ。
「効かぬわっ」
やりおるわ、コイツ。
悔しさまぎれに握っていた拳を開いて、わしゃわしゃと彼女の頭を撫でる要領で滅茶苦茶にしてやった。程なくして店員がやってきてテーブルに料理を並べ始めたので、お互いの髪の毛をわしゃる不毛な争いに終止符をうって、箸を割る。いただきますの合唱。
「でも、先輩」
生クリームやアイス、果物の類が盛りに盛られたパフェをつついて幸せな顔になっていたワンコチャンが、思い出したかのように急に真顔になってスプーンでこちらを指摘してきた。
「真面目なお話なんですけど、どうするんです?」
「どうって、言ったって」
少なくとも真面目な話は頬にクリームつけてやらない気がするけど指摘しない。面白いので。
ナポリタンを食い終わって紙ナプキンで口を拭ってから肩をすくめる。
「どうしようもないだろ。いつどこで誰にどんなふうに。具体的に何一つ、わかってないんだから。対策しようにも対策のしようがない。そういう時は腹くくってデデーンと構えときゃいいんだよ。強いて言うなら、対策しないのが、最善の策なのさ。まあ、何とかなるんじゃねえの」
「楽観的だなあ。先輩のそゆとこ、いつもならポイント高いんですけど。今回に限って、それはどうかと思うなあ。だって私、まだ死んじゃうのやだし」
「何それ、おかしくない? 死ぬかもしれないのは俺のほうだろ」
「え? おかしくなんて、ないですよ? だって先輩が消えたら私も死ぬって決めてるし」
…………。
ちょっとその重すぎる発言どうかと思うぞ。
ワンコチャンが差し出してきたスプーンに乗ったイチゴをパクついていた俺は、口腔内に広がった甘酸っぱさに顔をしかめる。
「とにかく、来るかもわからない未来にビクビクして神経すり減らせば、逆に死亡確率上がるのは明らかだ。恐怖と疲労は正常な判断力を鈍らせる。ほら、言うだろ。自然体の無の構えが最強だって」
「確かに。明日、抜き打ちテストあるかもってビクビクしながら過ごすより、何も考えずにパーっと遊んで抜き打ちテストあったときにエーってなった方がダメージ少ない気がする」
とりあえずお前は予習復習をしてだね。
「今回わかったことは、あやふやな未来予知は役に立つどころか不利益でしかないってことだよな。むしろ、あのロリババア、それを理解したうえで、わざとあやふやな未来予知を暴露すことで俺に心理的圧力かけて確変を狙ってきたきらいさえある」
もちろん、大当たりした暁には幼気な青年の屍が一つ転がっていることだろう。
クソ、えろ同人みたいに無数の触手に凌辱されちまえばいいのに。
「そんなことないと思うけどなあ。お師匠さまだって、先輩のことを心配して、だから危ないよって伝えてくれたんだと思うけどなあ」
「それこそ楽観的だなあ。お前、他人の善意を信じすぎ。アレが心配してるのは、俺がどこか与り知らないところで死んじまったら、せっかくのわりとレアな標本サンプルが観測できないってことくらいだぜ、たぶん」
「そうかなあ」
しばらく「うーん」と悩みながらイチゴのなくなったスプーンをじっと見ていたワンコチャンは、やがてハッと何かに気付いて頬を赤く染めると物凄いスピードで残りのパフェを消化し始めた。それをぼーっと何ともなしに眺めていると、ワンコチャンは若干上気した顔を背けてみせる。
「なんですか。じろじろ見て」
「いや、別に。ただ食い物くってるだけで可愛いと思わせられるのは良い才能だなって思って」
「見世物じゃないよ!」
そう言うわりには、まんざらでもなさそうに嬉しそうな顔するワンコチャンである。やはり、こんなお人好しを面倒ごとに巻き込むわけにはいかない。
「んじゃ、俺。今日はもう帰るわ」
こんな日は自室に引き籠っているに限る。
「あっ、だから私が先輩を守ってあげるって言ってるじゃん」
「さっきも言ったろ、馬鹿ワンコチャン。自分の身くらい、自分で守れないでどうする」
「でも、先輩。お人好しなくせ、すぐ無茶するんだもん。見てらんないよ。あと私はイチコちゃんです!」
「……お人好しってお前が言うなよ。善という概念が人のカタチをして生まれてきたような人間のくせしてさ。そんな人間の助けなんて誰が借りたがる? 恐れ多くて、誰も借りたがらねえよ。もちろん、俺も絶対借りたくねえ」
「にゃんですとぉ? 先輩の、スーパーハイパーマスターイケず! だったらこれだけ約束してください? 危なくなったらすぐ電話して。私がかけつけたげるので。あ、別に、危なくなくても電話してきてもいいよ。できれば一時間に一回はかけてきてほしいかなあ」
そんな頻度で誰がTELする? 誰もしねーよ。
「なんで! なんでなんでなんでなんでよ! もー!」
すごいデジャヴを感じつつ、ジタバタし始めるワンコチャンを尻目に、席を立ちあがった。ついでにしわくちゃになったユキチをポケットから取り出してテーブルに置いておく。
「ん? あれ? 先輩がお札持ってるなんて珍しい……。はっ、さては何かいかがわしいことを、例えば、ナイスバデーなお姉さんのヒモになったりとかしたんじゃないよね!」
「そんなもんになれるならとっくになっとるわ。だいたい需要ないだろ。中肉中背、眼つき悪いイケすかない感じの白髪男なんて」
おまけに今は死相の裏ドラ乗ってるし。
「むきー! ヒモなら私がいつでもしたげるって言ってんじゃん!」
「死んでもお前のヒモだけは嫌です」
「先輩の強がり! お金ないくせに!」
「いつもならともかく、今の俺には、その台詞痛くも痒くもないね。なんせほら、ここにユキチあるし。釣りはいらねえ、なんて人生で一度は行ってみたい台詞を言えるわけだし。つーわけで、釣りはいらねえ」
「うぐっ、いいの? 結構、おつり出ると思うけど?」
「いいの。ぶっちゃけ、俺の金じゃねえし。ゲスを極めた幼女から借りた悪銭なんか早いうちに手放しとくに限る。特にこういう、徳を積んでゲン担ぎしといたほうがいいシチュエーションではな。後ろの二人と何か好きなの食って、三人でカラオケでもしてきなさい」
俺の台詞に突然出てきた後ろの二人というのは、あっちのテーブルで、コソコソさっきからこちらのやり取りに聞き耳を立てていたワンコチャンの大親友、其の一と其の二。名前はキジタニミツハとサルミダフタヨ。ワンコチャンと合わせて、犬と雉と猿で桃太郎トリオと呼んでいるのは内緒だ。
「そんなわけで、じゃあな。あとはワンコチャンとよろしくやってくれ、お二人さん」
罰の悪そうな顔をしてペコリとこっちにお辞儀したキジとサルに手を振って背を向ける。これで彼女らに伝わったことだろう。ワンコチャンを危ない目にあわせないように、ヘンなことしようとしたら留めといてってな。「イチコちゃんだよ!」という突っ込みの後に続いたワンコチャンの心配そうな溜息は、いつも通り聞こえないふりをした。