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苦手な方はご注意ください。

ヒロインシリーズ

乙女ゲームの世界に転生して、負け組ヒロインになってしまった

作者: 睦月 はる




つたない文章ですが、楽しんで頂けたら幸いです。






 



 私の名前はカナリア・ガーシュウィン。


 今日から上級学校の一年生!

 上級学校は、十五歳になった王侯貴族は義務で通う事になっているの。


 貴族では下層に位置する男爵家の出身で、ずっと田舎の領地で暮らしていたんだ。


 進学を期に家族で王都に引っ越して来たんだけど、着いて早々迷子になるし、人攫いには遭遇するし、前途多難!


 しかも都会の同年代の子達は、私よりもずっと大人びてて、洗練されていて上品なの。私悪目立ちしてない⁇


 え~ん!私みたいな田舎娘がやっていけるのか不安だよ~!








 な~んてな!

 不安な訳あるかっての!


 カナリアは誰もいないのを良い事に、校門の前で勇ましく仁王立ちしていた。


 この世界は『初恋は突然に』と言う、名前はダサイが大ヒットした乙女ゲームの世界だ。

 攻略対象者は、王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師、全員攻略すると出現する隣国皇太子。

 そして、全員のルートで障害となる悪役令嬢もいる。


 カナリアは、前世でこの乙女ゲームをやりにやりこんで、全ルートのハッピーエンド・バットエンド・ハーレムエンドを攻略した。


 転生までのいきさつは。

 冷蔵庫の奥に眠っていた、賞味期限が劇的に切れていたオイスターソースを使い腹を壊し、病院に運ばれ、やたらカタカナばっかりの、初めて名前を聞いた菌が繁殖してるとかで即入院。聞いた事も無い合併症を発症して死亡。

 やっべ。改めて思い出すと、別の意味で泣けてくる。


 せっかく好きな乙女ゲームの世界に転生したのだ、マヌケな前世の死因を打ち消し、吹き飛ばせる恋がしたい。いやする!


 「私に死角はないわ!全攻略対象者のイベント発生起因・セリフ、悪役令嬢の堪忍袋ぶち切れポイント、都合よく囁かれるモブの独り言調の説明まで、ぜーーーんぶ覚えているのよ!あはははは!勝った!はい勝ちまーーーした!舐プだわ!ごめんあそばせチートですぅぅぅぅ!」


 さすがにリアルでハーレムは不味いだろうから、攻略対象者を選択する人攫いイベントで遭遇した王太子に絞るか。

 他の攻略対象者には、枕を涙で濡らしてもらおう。

 やれやれモテる女はつらいぜ☆


 こうしてカナリア・ガーシュウィンは、意気揚々と学園の門を潜った。








 「どう言う事よ…」


 カナリアの目の前には、攻略対象者の愛情値を確認する画面のバックに描かれていた中庭で、仲良く語り合う悪役令嬢と、攻略対象者達の姿があった。


 「ちょっと何で、私とイベントを発生させた王太子がいるのよ。あんた、我儘な悪役令嬢に辟易して、婚約解消したいんじゃなかったの?もしかして、悪役令嬢が膝に乗せてる白毛玉、精霊王の卵?最後の断罪イベントで、身分差をひっくり返して結ばれる為の『この子は精霊の加護があるから例外で結婚可能!』ってやる時に欠かせないアレ?お前はヒロインに、野犬に襲われて所を助けて貰って出会うんだろ!何してんのよ!なーーに美女の膝の上でぬくぬくしてんのよ!」


 どうして攻略対象者達は、嫌われ者の悪役令嬢を、愛しくてたまらないって目で見てんのよ。

 その目は私に向けるものでしょ?


 ふと悪役令嬢がこちらを見た。

 まるで厄介で面倒な人物を見つけてしまった。でも大人の対応をしないとね…、と言わんばかりの視線。


 愛しい女の視線を追って、攻略対象者達も私を見やった。

 困惑、嫌悪、軽蔑、不安、顰蹙。

 決して良い感情は窺えない瞳。


 王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師。


 学園でも指折りの貴公子達が目の前に揃っている。


 それもそうだそう。だって私は乙女ゲームのヒロイン、カナリアなのだから。


 しかしどういう訳か、カナリアに愛を囁く筈の攻略対象者達は、険しい視線を向けている。


 麗しい攻略対象者達に囲まれ、本来なら彼らに忌み嫌われ避けられている筈の悪役令嬢、ベルナデーテローズ・フォンテーヌ公爵令嬢は、ずっと自分達を見つめたままのカナリアに不安を感じたのか、怯えた様に身を竦めた。


 「ポンポン、ポポーン!」


 悪役令嬢の膝の上で、白毛玉が励ます様に鳴いた。


 何だよその、タヌキの鳴き声に無理やりオノマトペあてて、言語化したみたいな鳴き声は。お前そんな鳴き声だっけ?ああ、心を許した人間にだけ人語に聞こえるんだった。だからゲームでは普通に聞き取れて…って、それ私のポジションだよね⁈


 「ありがとう、アルバトロス」


 名前いかつっ!アルバトロス(あほうどり)ってわざと?天然?大人しくデフォルトネームのモコにしておけよ!


 白毛玉は美女に撫でられてご満悦だ。気のせいか、こちらを見て鼻で笑われた気がする。



 王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師も、厳しい視線を投げかけて来る。

 私達の愛する人に手を出したら許さないと。


 悪役令嬢は戸惑いながら、カナリアと剣呑な雰囲気を醸し出す攻略対象者達に、視線を行ったり来たりさせている。


 何これ、何これ…。おかしい。絶対おかしい…!


 私は混乱と衝動のままに、その場から逃げ出していた。








 整理しよう。


 本来なら攻略対象者達からちやほやされて『あ~ん、素敵な男性から何故か言い寄られて困っちゃう~!私どうしたらいいの~?』状態の筈なのに、一向にその気配が無いどころか、悪役令嬢ベルナデーテローズがヒロイン気取りに持て囃される始末だ。


 こんなのは可笑しい。シナリオと違う。


 「せっかく乙女ゲームの世界に転生したのに…、そう転生…」


 カナリアはその事実に気が付くと、愕然と膝から崩れ落ちた。


 「まさか。ゲームの世界とリアルの区別がつかなくて、身分も立場も空気も読めなくて、悪役令嬢と攻略対象者達がすっかりデキ上がってるのに、ヒロインだからイケメンと結ばれて当然でしょ?と、ヒロインらしからぬ暴走を繰り返し、ハッピーエンドどころか、断罪転落エンドを迎える悪役ヒロインに、この私がなったと言うの…?」


 乙女ゲームの世界に転生するのが定番(?)となっていた前世。その転生した世界では悪役令嬢が幸せになるのも、また定番だった。

 因みに、高確率でヒロインは逆に破滅している。


 「何それ…。じゃあ私が『悪役』で、悪役令嬢が『ヒロイン』?何それ信じらんない…!」


 『ヒロイン』とは、乙女の理想と夢が擬人化した姿だ。

 実際には複数の男性と恋なんて、しかも同時進行なんて、大顰蹙をかって叩かれるが、乙女ゲーム世界ではヒロインと言うアバターを使って、一時の夢を見る事が許される。


 危険な場面に遭遇しても、白馬に乗った王子様が必ず助けてくれるし、最初は素っ気なかったり、敵意剥き出しな彼も、最後には心を開いて愛を囁いてくれる。


 それが当然なのだ。ヒロインにとって。だってヒロインだから。


 では今の状態のカナリアはどうだ。


 下層身分のヒロインが、上流貴族の貴公子に愛されて成立するシナリオは崩れ、『本来の身分と環境』に見合ったシナリオが進んでいる。


 ここでカナリアが『私がヒロインだから!』と出しゃばって王太子達に近付いたら、良くても自主退学と言う名の追放処分。


 しかしこの貴族社会において、上級学校卒業は義務で必然。最大の瑕疵となってカナリアも家族も貴族社会から爪弾きにされるだろう。

 それは死刑も同然だった。


 「何なのよ…。これじゃ、死んだ意味も、生まれ変わった意味もないじゃない…。悪役令嬢はただの令嬢で、王子様と結ばれて、私は…」


 今、分かった。


 何故転生ヒロインが異常なまでに、どう見ても相思相愛の悪役令嬢と攻略対象者に、突っかかって行ったのか。


 ヒロインは、攻略対象者と結ばれないといけない。でないと存在の意味が無い。


 それならモブの方が存在の意味がある。

 でもヒロインはモブにはなれない。


 私って、一体なんなの…?








 パーーーン!


 校舎裏 ビンタ炸裂 頬の音 カナリア心の俳句。


 話があると呼び出され、十中八九王太子達への態度のイチャモンだろうなと思っていたら。いきなり肉体言語の洗礼をお見舞いされた。


 「あんた、たかが男爵令嬢如きが、殿下や他の高貴な方々に馴れ馴れしく擦り寄って何様のつもり?あまりにも浅まし過ぎて、道化師が潜り込んで来たかと思ったわ」


 くすくすと笑い声が響く。


 あの一件以来、攻略対象者達は遠くから眺めるだけにして、一切接触はしていない。それまでは、愛情値を上げようと、媚を大安売りしていた。


 未練はたらたらだ。王太子の腕の中に収まる悪役令嬢が、憎らしくてしょうがない。そこは私の居場所だと叫んで、引っぺがして詰ってやりたい。


 でもそんな事をすれば、断罪イベントを待たずして、速攻で人生終了のお知らせである。


 悪意の視線に攻略対象者達も、周囲の人間も気付いているだろう。抑えなければと思うのに、自分の存在意義を脅かす存在を前に、冷静でいられる程お人好しじゃない。


 なまじ、各攻略対象者達のイベントを発生させ、接点を持っていた事も痛い。

 こうやって詰め寄られるし、自分の中で期待の芽も顔を出している。


 「あんた達こそ、一人に複数人が寄ってたかって詰め寄って卑怯とか思わないわけ?暴力まで振るって野蛮なうえ、卑怯にコソコソこんな所で…」


 言葉は最後まで紡げなかった。

 最初のものよりも強力なビンタを喰らい、地面に派手に倒れ込む。


 「何すんのよ!」


 「田舎娘は礼儀と言うものを知らないようね。馬や牛と育ったからかしら?鞭で打つ代わりに、こうやって体に直接教えてあげるのよ!」


 立ち上がろうとすると肩を押されて、地面に尻もちを着く。また立ち上がろうとすれば、また肩を押されて尻もちを着く。


 「やだ子豚ちゃんが立てなくて困ってるわ~」

 「子豚ちゃん、あんよがお下手ですね~」

 「子豚ちゃんゴハン食べまちゅか~?」


 家畜扱いを受け吐かれる暴言。投げつけられた飴玉が地味に痛い。


 前の私だったら、王太子達が颯爽と登場して、この暴力令嬢達から救い出してくれると信じていただろう。

 しかし今の時間帯、王太子達は悪役令嬢と優雅にお茶をしばいている頃だ。絶対に校舎裏に何て来やしない。


 ヒーローの助けが無いヒロインなんて、惨めなだけだ。


 いっそ、脳内お花畑ヒロインのままであったら「平等を謳う上級学校生が、身分差別なんていけないと思います!私はみんなとお友達になりたいんです!」とか言えたのだが、そんな建前と絶対王政縦社会の厳しさを意識した身としては、口ごたえは出来ても本格的な抵抗は理性が働いて体が動かない。


 暫くして、ひとしきり暴力と暴言を吐いて満足したのか、ビンタ女達は笑いながら校舎裏から去って行った。


 「いった~…。うわっ制服泥まみれじゃん、お嬢様達と違って、貧乏男爵令嬢は替えの制服なんて持ってないのよ!」


 破れが無い事が救いだけど、これはない。マジでない。


 文句を言いながら立ち上がると、視点が変わったせいかあるモノが視界に入った。


 「……『隠し』キャラって、そんな物理的に隠れてるもんなの?」


 整った美しい顔立ち、長く艶やかな黒髪。切れ長の浅葱色の瞳。鍛え抜かれ引き締まった肉体美。型は他と同じでも、一人だけ特別な渋い朱色の制服。


 ルートヴィッヒ・フォン・ドラコーン。

 ゲームの正規ルートを全員攻略すると開放される隠しキャラ、隣国の皇太子が、草むらの陰で寝そべり、決まりが悪そうにこちらを見上げてそこにいた。


 あの場所なら、こちらの様子も茂みから窺えたし、声もばっちり聞こえていただろう。

 なのに、カナリアに見つかるまで、知らぬ存ぜぬでスルーをきめこんでいた。


 「隣国の王子様なんて、悪役令嬢に救いの手を差し伸べて、溺愛ルートを爆走する典型みたいなもんよね」


 天敵のヒロインを助ける理由が無い。


 物理的に隠れていたせいか、ゲームの設定が生きているのか、今の今まで全く接点が無かったが、カナリアの噂は愛する悪役令嬢様を筆頭に、攻略対象者達から聞き及んでいるだろう。


 しかし、大国の王子様が地べたに寝そべって、いじめの現場を盗み聞きとは…。


 頬の汚れを、ぐっと拳で拭う。


 「ふっ…、面白れぇ男」


 唖然としている皇太子を放置して、カナリアは泥まみれの制服を翻して立ち去った。









 ルートヴィッヒは暇を持て余していた。


 留学と言う名の厄介払いをされ、隣国までやって来た。


 兄王に後継者が生まれるまでは、ルートヴィッヒが皇太子として席を埋めるが、いつかは邪魔になる。

 その日まで勢力を拡大し、未来の皇太子、ひいては皇帝陛下へ弓を引かない様にと、単身で祖国から追い出された。


 ルートヴィッヒ自身、帝位なんぞ興味が無かったが、ありもしない造反の意を年がら年中疑われるのにすっかり飽き飽きしていた。

 留学の提案にこれ幸いと、王宮からとんずらして来たのだった。


 あとの日々は怠慢である。


 ルートヴィッヒがここにいるだけで役目が終わるのだから、何かする必要など無いだろう。


 「あんた、たかが男爵令嬢如きが、殿下や他の高貴な方々に馴れ馴れしく擦り寄って何様のつもり?あまりにも浅まし過ぎて、道化師が潜り込んで来たかと思ったわ」


 人目に付くのが嫌で、避けて避けてを繰り返していたら、いつの間にか校舎裏まで来ていた。そのまま留まっていたら、うたた寝までしていた。


 それを覚ました甲高い声に、文字通りに飛び起きた。


 「俺とした事が…。皇太子が外で雑魚寝とか、格好つかねえだろ…」


 ルートヴィッヒが自戒している間も、甲高い声は止まない。それ所か剣呑な雰囲気が益々濃くなっている。


 そっと様子を窺うと、一人の女に複数の女が寄ってたかって甚振っている様だった。

 実に品の無い。…地べたに這い蹲って、盗み見している俺が言えた事では無いが…。


 甚振られている女には見覚えがあった。 

 入学当初、上位貴族の男に媚びを売っていた女だ。


 美人と言うより可愛らしい顔立ち、濃い茶色の髪、水色の瞳、子兎の様に守ってやりたくなる雰囲気に、男共の視線を当初は釘付けにしたが、王太子達への振る舞いで顰蹙を買い、今では皆呆れて相手にしなくなっている。


 特に公爵令嬢で王太子の婚約者、ベルナデーテローズ・フォンテーヌ嬢に張り合う様なマネをして、彼女の信奉者共にほぼ殺意を向けられている。


 俺は友人として王太子から話を聞き、面倒そうなので遠くから眺めるだけであったが。

 名前さえも覚えていなかった。


 (子兎って言うより、野良犬だな)


 転ばされ詰られ、抗議の声を上げる間も無くまた転がされ。でも挫けるかと強い意志を瞳に宿し…。


 (いやあれは『お前ら今に見ておけよ。絶対に復讐してやるからな。月の無い夜は背後に気を付けろよ』って怨念の籠った目だ…)


 間違っても、不屈の精神などと綺麗なものに例えられない。


 男に靡く様な女には見えないが、女同士の前だと本性が出るのだろうか。


 泥を払いながら立ち上がる様子は、大丈夫(ますらお)の出で立ちだ。


 何なんだコイツと、呆れ半分感心半分で眺めていたら、女がこちらに気付いてしまった。


 不味いと思っても目が離せない。

 子供の頃、騎士達の御前試合を観戦した時の様な、不思議な高揚感があった。


 女は驚いた様子ではあるが、何故助けなかったと癇癪を起こすでも無く、ぶつぶつと独り言を呟くと、漢らしく拳で頬の汚れを拭い、ふっと笑った。


「ふっ…、面白れぇ男」


 「………!」


 唖然とするルートヴィッヒに気にも留めず、女の皮を被った大丈夫は、まるでマントを翻すが如く、泥まみれの制服を靡かせて立ち去って行った。


 「…あいつ、何物だ?歴戦の勇者か何かか?」


 胸の奥底から、温かなものが沸き起こって来る。

 母国を離れ何を成すでも無く、朝起きて、夜が来たら眠って、ああまた朝が来てしまったと嘆いて、心がある事すら忘れかけていたのに。


 「面白いなんて、人生で初めて言われぜ」


 皇太子を面白いと言う女も、あいつくらいだろう。


 ルートヴィッヒは気が付いたら女の後を追っていた。名前も知らない勇ましい女の。






 名前は直ぐに分かった。

 カナリア・ガーシュウィン。恐れ多くも高貴な方々に集る、田舎の鵞鳥娘だと。


 ルートヴィッヒはあれを鵞鳥と呼ぶ連中の見る目の無さを、人生で一番の声を上げて笑い飛ばした。














 カナリアは泥まみれになって帰宅した。


 迎えに来た馭者には驚かれ、泥で馬車を汚す事を嫌がられたが、文句を言われようが仕事はしてもらう。


 「カナリアちゃん、おかえりなさい」

 「カナリアおかえり」


 両親のガーシュウィン男爵夫婦が出迎える。

 領地経営は家令に任せ、二人とも自由自適な都会生活を満喫している。


 「ただいま…」


 私の歯切れは悪い。

 こんな泥まみれの姿を見れば、何かあったと丸分かりだ。

 地元ではひたすらいい子ちゃんでいたカナリアが、男関係で揉め事なんて、優しい両親が知ったら卒倒してしまうかもしれない。


 「あら、泥んこまみれね」

 「今日は雨もふってないし。いったいどうしたの?」


 案の定、両親は訝しんで問いかける。


 他人に、自分が辱しめを受けたと告白するのは恥ずかしい。それが親なら猶更だ。


 愛情を持って育てた子が、他人に悪意を受けて来るなんて、信じられないだろう。

 しかも発端はその子供にあると知ったら…。


 でも、誤魔化せないと分かってる。


 「お父様お母様、あの、実は…」


 「もしかして、学校で木登りでもしたのか?ここは田舎じゃないんだから、女の子が木登りなんてしたら、みんなビックリしちゃうぞ!」

 「さては、勝手のちがう木に登っておっこちたのね。もうドジなんだから」


 意を決して告白する前に、両親から間の抜けた予想が返って来た。

 しょーがないな~と、二人で泥を払い始める。


 これは、良かったのだろうか?

 上手く誤魔化せたのだろうか?


 ゲームではカナリアの両親の描写は殆ど無い。優しくて温和だとヒロインが語るだけだ。


 実際に今まで共に暮らして来た自分も同じ印象だ。


 (そうゲームのカナリアは、そんな優しい両親を悲しませたく無くて、いじめや嫌がらせの相談は、ルートに入った攻略対象者にしてた。破かれた社交ダンスのドレスは、その瞳の色の物に新調してもらって、暴力を振るわれたと言ったら、登下校の送迎もしてもらってた)


 ふと、違和感が胸を過った。


 (娘の私物が隠されたり壊されたりしたら、普通親は気付かない?小物ならまだ分かるけど、ドレス何て隠せようもない大物、気付かない事何てある?上流貴族がある日突然自宅に来て、娘の送迎始めても、ただ笑って送り出すだけだったよね、普通理由聞くよね?)


 ゲームのカナリアは両親にいじめを話さなかった。その本当の訳は…。


 両親は優しい。

 泣いていたら抱きしめてくれるし、落ち込んでいたら慰めてくれる。


 “だけ”だ。


 鳥肌が立った。


 ゲームのカナリアは、攻略対象者と親密になるにつれ、反比例の様に嫌がらせを受けている。


 今日の様な事は、挨拶代わりに日常的だった。

 その度に攻略対象者に助けてもらって親密度が上がっていくのだが、娘と生活を共にし、生まれた時から様子を見守って来た『優しい両親』が、娘の変化に気付かない事はあるだろうか?


 攻略対象者達に袖にされ、捻くれやさぐれた今のカナリアと違い、純粋で単純なカナリアが、陰湿ないじめを両親に悟られずに生活できるか……。否だ。


 (それって、愛されてるって言えるの?)


 身分差を気にして何もできない、とは訳が違う。

 それは一種の無関心ではないか。表面上の体裁だけ整えて、自分達の理想とする幸せも形が崩れない様にしているだけで、裏で娘がどうなっているかは気にも留めない。


 “幸せ”であればいいのだから。


 『あのね。トーマスがいじわる言うの…』

 『だいじょうぶ。明日にはきっとなかよくできるよ』

 『でも、何回理由を聞いても、答えてくれないの…』

 『だいじょうぶ。カナリアはいい子だから、みんなとなかよくできるわ』

 『う…、うん…』


 幼い頃、理由も分からずに苛めて来る男の子がいたが、両親はだいじょうぶと言うばかりで、具体的な解決策も、男の子に注意する事もなかった。

 あの時の疑問と違和感が符合していく。


 両親は『可哀想』なカナリアが、可愛くって仕方ないのだ。


 カナリアは泥を掃う両親から後退って離れた。


 両親が不思議そうに笑顔を向けている。


 「どうしたの?まだ泥だらけだよ?」

 「なつかしいな、小さいころもこうやってキレイにしてあげたっけ」


 もう両親の笑顔を『愛』だなんて思えない。


 「…自分で出来るから、もう、いい…」


 遅ればせながら、カナリアもゲームのカナリア同様やっと気付いた。


 両親の残酷さに。









 翌日、いつも通りの両親と、態度が悪い馭者に送られて登校した。


 また今日も、悪役令嬢がヒロインぶちかましている様子を、歯ぎしりしながら眺める事になるのかとウンザリする。


 「カナリア・ガーシュウィン嬢こちらへ」


 まだ校門も潜っていない時に急に話しかけられ、腕を掴まれる。

 それが誰かも確認する前に、カナリアはあっと言う間に生徒会室まで連行されていた。


 王太子、公爵令息、宰相令息、伯爵令息、天才教師。昨日初体面した隣国皇太子以外の攻略対象者が揃っていた。


 まるで氷室の中に放り込まれた気分だ。


 全員敵意剥き出しで私の事を見ている。

 断罪イベントの様な殺伐さだ。


 「カナリア・ガーシュウィン嬢、わざわざありがとう。そこにかけてくれたまえ」

 「…はい」


 抗議の言葉は浮かんだが、王太子自らそう言われたら口を噤むしかない。


 大人しくカナリアが席に着いた所で、宰相令息がわざとらしく咳払いをして注目を集めた。


 「カナリア・ガーシュウィン嬢、呼ばれた事に心当たりはありますね」


 そうですね。困った事に心当たりがありますよ。


 「それは皆様に、馴れ馴れしく近付いた事ですか?それなら謝罪いたします。申し訳ございませんでした」


 深々と頭を下げる。

 カナリアの殊勝な態度に王太子達は驚いた様子だが、騙されまいと表情の険しさを深めた。


 「それは良いんです。私達は目立つ立場ゆえ、人に囲まれる事は慣れています。それよりももっと重要な事です」


 「俺の姉上を侮辱した事だ!聞いたぞ、昨日姉上の友人を辱しめたうえ、彼女達の前で姉上を侮辱したそうだな。彼女達が涙がらに訴えてきたんだ!」


 悪役令嬢の弟、公爵令息がカナリアを指さして言った。


 あの性悪女ども…!先手をうってきやがった!

 

 校舎裏とは言え、人目が完全に避けられた訳ではない。実際皇太子はいたし、そこに行くまで生徒達の目に触れている。

 何か問題に発展する前に、全ての責任をカナリアに擦り付け、悪役令嬢至上主義の攻略対象者達を焚き付けたのだろう。

 効果は抜群だ。


 すうっと、劇的に気持ちが冷めて行く。

 攻略対象者達への、恋慕とは言い難い執着が。


 これは断罪イベントだ。定番の、衆人環視の前じゃないだけだ。


 正義の鉄槌なんて大義名分があろうとも、相手が圧倒的な悪であろうとも、個人の感情で人を裁いたらそれは私刑だ。


 衆人環視の前で裁きたいのなら、裁判所に連れていけばいい。

 この人達は私を嬲りたいだけなんだ。愛する人を苦しめ、その姿を見て苦しんだ、自分達の鬱憤を晴らしたいんだ。昨日の女達と変わらないじゃないか。


 「左様ですか。では、フォンテーヌ公爵令嬢様とそのご友人様に謝罪いたします。席を外しても宜しいでしょうか?」


 「見え透いた嘘は止めた方がいいですよ。貴女がそうやって表面だけ反省して見せて、影でまた、ベルナデーテローズ嬢を傷付けようと企んでいる事は分かっています」


 宰相令息が不敵に笑う。


 「ローズ先輩の周囲をうろつく不審者は、君が雇ったね?」


 伯爵令息が何か書面を取り出して見せて来る。細かくて良く読み取れないが、ヒロイン気取りで粋がっていた頃の内容が書かれている様だ。


 「フォンテーヌ様に対して、振る舞いが不適切だった事は認めます。しかし不審者に関しては心当たりはありません」


 「言い訳など見苦しいですよ。成績を下から数えた方が早い貴女らしい、浅はかで短絡的な行動ではないですか」


 それは証拠じゃなくてあんたの妄想でしょ?ぽいというだけじゃん。教師のくせに、何言ってるのコイツ。


 「とにかく、違います」


 ぎゅっと、スカートを握りしめる。


 衆人環視の前で断罪される事が異常だと言うのは分かる。でも今はそれが羨ましい。


 だって『それは冤罪だ!真犯人は別にいる!』みたいな助け船が来る事はないのだから。


 非道な方法で断罪される悪役令嬢と、正しい方法で断罪されるヒロイン。


 どちらが『惨め』なんだろ。


 「残念だよ」


 王太子が呆れた様に溜息を吐いた。


 「自分から罪を告白してくれれば、多少酌量の余地はあったんだ。しかし、これは厳しい判断を下すしかないね…」


 ひくりと、頬が引き攣った。


 「何度も申し上げますが、フォンテーヌ様に謝罪させて下さい。今までの不敬な態度と、不審者の件は誤解ですと」


 「お前!姉上の優しさにつけ込もうとしても無駄だ!」

 「ローズ先輩はこの事をご存じありません」

 「心優しい彼女が知る必要もない些事ですから」

 「同僚教師に頼んで、他のご令嬢達と詩の朗読会に参加して貰っています」


 ほう、悪役令嬢様は自ら動かなくても、魅了した男共が邪魔者を排除すると。

 すっごく『悪役令嬢』だな!


 「カナリア・ガーシュウィン嬢。君はベルナデーテローズ・フォンテーヌ公爵令嬢に対する不敬罪と、不審人物を付きまとわせたとして、上級学校を除名処分。そうなると、国内貴族社会からは爪弾きにされるだろう。そこまでは望んでいないし、あまりにも憐れだ。王家のツテで隣国の避暑地を用意した、ほとぼりが冷めるまで、家族で暫く過ごしているといい」


 にっこりと、王太子が笑った。

 他の攻略対象者達も、王太子の採決に笑顔で頷いている。


 それって、テイのいい国外追放じゃない。いやテイよくない。あからさま過ぎる。悪意しかない。すっげーお怒り申し上げてる。


 お馬鹿だから分からないと思ったの?王子様の優しさに感動すると思った?


 転生ヒロインって惨めだな…。


 除籍も嫌だけど、あの両親と国外追放…。

 死刑じゃないか。心の死刑だ。


 もう一回ブチギレて良いんじゃないか?

 国外追放なら、破れかぶれになってもいいんじゃないか?と思っていた時、予期せぬ闖入者が現れた。


 派手な音と共に、扉が開かれた。


 「おーー!ここにいたのか!」


 げっ、昨日の這いつくばり皇太子じゃん!

 ここの所、悪役令嬢に絡んでないのに?

 悪役令嬢、断罪されてないのに?

 隣国皇太子の出番は、理不尽な扱いを受けて不遇な立場に追いやられた悪役令嬢を溺愛して、なんやかんやでヒロイン達をぎゃふんして、なんやかんやで国を発展させて、なんやかんやで幸せに暮らすんだろ。


 すいません、悪役令嬢ログインしてませんよ!


 「君は…、何故ここに」


 王太子が名前を呼びそうになって口を閉じる。一応お忍び扱いなのだろう。

 でも、ここに堂々と登場できる時点で、相当な身分である事が分かってしまうが。


 「ああ、お前らに用はない。そこの女子生徒に用があるんだ」


 そこの、と言われて当て嵌まるのはカナリアしかいないが、当のカナリアはわざとらしくあさっての方向を向いて目を逸らした。


 「おい、カナリア・ガーシュウィン」


 「…人違いです」


 「昨日、思いっ切り人の事『面白い』言ってたろ」


 「…それを言ったら、自分の醜態を認める事になりますよ?」


 「おーいいぜ?醜態のひとつやふたつあった方が、俺を担ぎ上げようとする馬鹿共の鼻っぱしらをへし折るのにちょうどいいからな」


 にやにやと笑いながらカナリアの背後に回ると、ぽんと両肩に手を置いた。


 「なあ俺、こいつに用があるんだ。連れて行っていいよな?」


 妙に色気がある声で耳元で囁かないで欲しい。ときめき二割、恐怖七割、あれお前そんなキャラだったっけ?一割で、心がざわざわするんだけど。


 「そう言われてもね…。彼女は僕の婚約者に、犯罪紛いの行為をした疑惑があるんだ。そう簡単に、はいさようなら、とはいかないんだよ」


 ちょっと戸惑った風に見せて、王太子からは絶対に譲らないと言う意思を感じる。


 「犯罪?この小娘が?たかが弱小男爵家の娘が、公爵令嬢に何かできると?」


 何だ、面白いっていったの根に持ってるのか?

 愛する悪役令嬢の為に、警吏に代わってお仕置きよ、する気なのか?


 カナリアの肩に置く、ルートヴィッヒ手に力が入る。


 「やれやれ…。本当は話す気はなかったんだ。ガーシュウィン嬢の為にも、疑惑で終わらせた方が良いと思ったんだけどね」


 仕方がないと、王太子は周囲の仲間達と視線を交わして頷き合うと、君達のせいだからねとでも言うかの様に語り出す。


 「まだ新学期が始まる前かな。お忍びで城下へ下りたんだ。そこで偶然彼女と出会ったんだ。誰と一緒にいたと思う?どう見も堅気の人間じゃなかったよ。私に見つかると、慌てて誤魔化す様に擦り寄ってきた。攫われそうなっていた、危ない所を助けてくれてありがとうとね。赤子でも分かる見え透いた嘘だね。裏社会と繋がりを確信するには、十分過ぎる光景だったよ」


 ヒーローとヒロインの運命の出会いが、陰謀と欲に塗れた、夢も希望も無い仕様に改定されてる!


 いや、確かにイベント起こそうと思って、ヤバそうな所うろうろしてたけど、あの人攫いと私は無関係だから。一切合切関係無いから!


 「ここまで言ってしまえば、カナリア・ガーシュウィンの罪は明らかだろう。裏の組織との癒着、公爵令嬢に対する不審行動、それはひいては王家に対する謀反だ。極刑になってもおかしくないよ?」


 王太子達は勝ったと、ほくそ笑む。


 は…?

 恋は盲目通り越して、脳に直接虚像写し込んでるの?その結果、ご乱心あそばしたの?

 話が飛躍しすぎて、大気圏越えてない?


 カナリアが絶句を通り越して、恐怖さえ感じていると、その場にそぐわない大爆笑が響き渡った。

 犯人は、面白い皇太子様である。

 やけによく笑う皇太子様だ。


 「何を宣ってるかと思ったら、てめぇの失態を小娘に押し付けて闇に葬るってか?婚約者サマの前で体面を保つのも一苦労みたいだな王子サマ?」


 嫌味たっぷりにルートヴィッヒが言うと、場は剣呑な空気が流れ始める。


 「…ほう、随分な言い草だね。まるで私達が無能と言っているようだ」


 「んあ?そう言ってんだけど?」


 おい皇太子様、なに煽ってんの?

 ねえ目の前の、笑顔なのに背中にブラックホール背負ってる王子様達の姿見えてないの?えっ?私だけ?私だけが見えてるワンダーランドなの??


 「お前らが、公爵令嬢の周囲をうろつく不逞の輩を追ってるのは知ってるよ。その足取りを追えてないのもな」


 何をと、身を乗り出した攻略対象者達を手のひらで制して、ルートヴィッヒは続ける。


 「脳みそ沸いてる様だが、一応この国随一の秀才で特権階級集団だろ?それが突き止められない存在。雑魚じゃねえ。トップクラスの権力者だ。でも愛しい愛しいお姫様の為なら、冤罪のひとつやふたつ作り上げようとしているお前らが、んなもんにビビるわけねぇ。こいつを囮にして、油断した黒幕をひっぱるつもりなんだろ?そんな回りくどい手段を取らなきゃいけねえヤツ…、弟王子だな?」


 疑問形だが確信をもって言っている。

 だって、この上も無いドヤ顔だ。


 「弟、って事になってるが、正確には先代国王が、現王妃に手を付けて産ませた不義の子だ。在位中には反抗的な今上を廃嫡して、弟王子を後継者に指名しようとした…矢先、心臓発作で亡くなったらしいな」


 え…それって…。

 政治に詳しくないカナリアにも分かる。王位継承を巡った王族の闇だ。

 公にされれば王族の評判はガタ落ち。国家としての信用も揺らぐ。というか、隣国の皇太子に知られてもうたがな!


 いやこうゆうのって知ってても黙ってて、ここぞって言う時の交渉の切り札に使うもんじゃないの?

 国家の重大な交渉事の時に「バラされたくなかったら、大人しくこの条件をのめウェっへっへっへ…」って発動するヤツじゃないの?


 いいの?いや駄目だよね!


 だって攻略対象者がアサシンみたいな目してるもん!


 「それを口にして、只では済まない事は分かっているよね。ルートヴィッヒ・フォン・ドラコーン皇太子?」


 「なんだ、いっちょ前に凄んでんのか?前政権の甘露が忘れられない奸臣共に踊らされて、粋がってる弟を諫められないお兄様よ?」


 弟王子は先代国王の寵愛が深かった。

 先代の政権は殆ど一掃されているが、全て弾き出せば国政が回らない。一部残った優秀で狡猾な佞臣の厄介なこと。奴らは虎視眈々と、復権の機会を狙っている。


 王太子の椅子は安泰では無かった。


 そしてそれが、逆鱗と分かっていて発言するルートヴィッヒ。


 (性格わっっっっっる!)


 事情を詳しく把握してないカナリアでも、この皇太子様が、ヤバイ事しでかしてるのが分かる。


 お前本当に、乙女ゲーム攻略対象者かい?


 「…言いたい事はそれだけかな」


 王太子が静かにそう言うと、宰相令息が黙って部屋の扉を開けて、公爵令息が歯ぎしりをして、伯爵令息が表情を失せた暗い瞳をして、天才教師が早退の手続きはしておくと言う。


 「ルートヴィッヒ殿下は、お忍びの留学の疲れが溜っていたようだ。本日はお帰りいただいた方がよろしいだろう」


 「あっそう。じゃあ、そうさせてもらうわ」


 「えっ…、ちょっと…!」


 ルートヴィッヒはカナリアの肩を抱くと、そのまま部屋から強引に連れ出してしまう。

 直後、乱暴に扉が閉められた。


 「短気な野郎だな。ちょっと煽った程度でキレてんじゃねえよ。まあいいけど」


 ルートヴィッヒは扉に向かってけっと舌を鳴らすと、ずんずんと歩き出してしまう。


 「ちょっと!いい加減にしてよね!皇太子だからっていい気になんないでよね!あんたなんか、傷心の悪役令嬢のを理詰め且つ強引に自国に連れて帰って、徐々に中を深めていって、溺愛甘々生活を送ればいいんだわ!」


 「は?何言ってんだ?まあ別にいいけど。ウチ来るか?」


 「はい⁈」


 「はいって、お前が言ったんだろ。連れて帰るだの。溺愛云々は想像もつかないが、お前一人ぐらいなら、俺の宮に雑用係として置いてやってもいい」


 ふんと、皇太子様は尊大に言い放った。実に王族らしい。凄く偉そうだ。まあ実際偉い。


 いや、私悪役令嬢じゃないし。事情を知らない人からしたら、やってる事はそれらしいけど、私一応ヒロインだから!


 「はああああ⁉」


 「今は俺への怒りでお前の事忘れてるが、お前、家族含めて国外追放になってんだぞ。その上、王族の継承問題まで知ったしな、遅かれ早かれ消されるぞ」


 「半分はあんたのせいじゃない!余計な事言って、あんただってヤバいんじゃないの?『留学先で不運な事故があって殿下は…』とか、闇に葬られるんじゃないの!」


 「かもな。俺を追い出した狸親爺連中には、またとない好機だからな。すすんで隠蔽工作に協力するだろう」


 絶体絶命の危機だと言うのに、ルートヴィッヒは愉快そうに笑っている。

 ゲームと違った印象の笑顔を至近距離から浴びて、カナリアはぽかんと固まった。


 「今帰国したら、俺を担ぎ上げて政権奪取を目論む馬鹿共も、俺を世継ぎが出来るまでの繋ぎにして、用が済んだら消すつもりのクズ共も、ど肝を抜くだろうなぁ」


 皇太子が未来の国王に喧嘩を売って、暗殺されても文句の言えない事実を暴露した。

 肝も魂も吹っ飛ぶだろう。


 「はあ愉快だ。そもそもおりこうさんに留学してやってる何て、俺様らしくねえんだよ。兄貴の閨事情なんざ知ったこっちゃねえ。励んで数打てば、不能じゃねえ限り一人や百人こしらえるだろ」


 「…あれ、身の危険の話からいつの間に、よそ様の子作り事情に?」


 「で、どうする。俺の意趣返し帰国に同行するか、暗殺されるのを指折り数えて待つか。どっちにする」


 「何、その、どっちを選んでも最悪でしかない二択…」


 そもそもどうしてこいつが、私にかまって来るかが理解不能だ。

 昨日の事の仕返しなら、私を放置しておけば勝手に始末されるのに。どうして。


 疑問が顔に出ていたのだろう。ルートヴィッヒはにかりと笑った。


 ゲームのルートヴィッヒ・フォン・ドラコーン皇太子は、影を背負った暗い笑みしか零さないのに、このルートヴィッヒは性悪が滲み出ても、心から笑っている。


 その笑みをされると、カナリアは目を離せなくなる。


 「俺を『面白い男』何て言ったのはお前が初めてだからな。お前自身もさぞ面白い女だろうな、ってな。田舎育ちの鵞鳥娘よ」


 私は珍獣か!

 ただの物珍しさかよ!


 驚きと怒りで、乾いた笑い声しか出てこない。


 でも、選択なんて、もう決まっているようなものだ。


 この国に残っていたら、身の安全は保障できない。別に未練がある訳でもない。

 敢えて言うのなら両親の事が心配だが、親子三人で逃亡生活なんて、想像するだけでも無理だった。


 「鵞鳥なら、そっちの国にもいるでしょう。私じゃなくても…」


 「何が不満だ。光栄に思えよ。大国の皇太子の雑用が出来るのだからな。まあ福利厚生と給金の希望くらいは聞いてやる」


 「人の話聞けや」


 ルートヴィッヒは、カナリアを引きずりながら校舎の外にまで出て来た。


 皮肉にもそこは、カナリアが攻略対象者達と幸せそうに戯れていたあの場所だった。


 「ベルナデーテローズ・フォンテーヌ公爵令嬢は、良いんですか。こんな別れ方したら、二度と会えないかもしれないですよ」


 ルートヴィヒの表情を見られなくて、顔を伏せて言う。

 はぁと、呆れた様な声が頭上から降って来た。


 「何で俺が、他人の女の心配なんぞしなきゃならん。あの女を只のか弱い娘と思っているヤツは阿呆だ。婚約者の後ろ盾なんぞ使わなくとも、個人が持っている経済力に警護団においては最強といってもいい」


 悪役令嬢すげえな。


 「いや、そういう事じゃ無くて…」


 愛してるなら側にいたいんじゃ…。


 自信満々なルートヴィッヒを前に、言葉が続かない。


 理由は分からないが、なんかムカついてきた。

 後が無いなら駄目でもともと、言ってみてもいいかもと、半ば投げやりな気持ちにカナリアはなった。


 「…この国にも王子達にも未練はないけど、残された両親が心配です。でも、一緒に居たい訳じゃない。出来れば会いたくないです。あの人達が安全だって分かれば、そっちに行っても…」


 「そんな事か。お前が俺の側に居るだけで、馬鹿やる連中はいないと思うが、圧力でもかけておいてやる。それでいいんだな?」


 へっと、カナリアは伏せていた顔を上げた。別に困った様子はない。まるで、今日の晩飯は肉だな!みたいなノリだ。


 「引かないんですか?親に会いたくない。でも罪悪感は抱えたくないから、生活の保障はどうにかしてくれ。それなら着いて行くって言ってるんですよ?最悪じゃない?親を何だと思ってるんだって、さもしいって思わない?」


 当のカナリアが、どんどん自分を嫌いになっていく。

 他人の力に頼るしかない自分を。唯一の肉親を見捨てようとする自分を。


 「そっちの家の事情なんざ知らねえが、親なんて慈愛の塊みたいなヤツもいれば、クソもいる。ここの先代国王や、皇太子が結婚したから次期後継者もそのうち生まれるだろう。お前は用済みだから臣籍降下しろ、それとも毒杯を賜りたいか?と宣って、そのくせ孫の顔を見る前にあっさり死んで、その用済み王子が皇太子になって、墓前で罵られるクソ親父とかな」


 それって…と。カナリアは目を見張った。


 ルートヴィッヒは、泰然として動揺は見られない。

 王族として生まれた宿命として諦めたのか、そんなもの俺様の枝毛すら折れねえよと、ひたすら傍若無人なのか。そのどちらもなのか。


 カナリアに、この男は、はかれない。


 今更ながらこの男を面白いと言った事を後悔し始めた。


 「で、どうするんだ。暗殺されるか、大人しく着いて来るのか、強制的に連れていかれるのか、攫われるのか、勾引(かどわ)かされるか、どれかにしろ」


 「最初以外同じじゃない⁇何回聞くのよ!」


 「何度もでも聞いてやるさ。お前が了承するまでな」


 けらけらと、ルートヴィッヒはまた楽しそうに笑った。

 ゲームのスチルにも無かった、満面の笑顔だ。


 カナリアの答えも聞かずに、手を引いてまた何処かへと歩き出す。


 カナリアは戸惑いながらもされるがままだ。

 いや、反抗したらどうなるか分からないし、王太子達が追って来るかもしれないし、だから別に、同意したわけじゃ…。

 ああ!自分の気持ちなのに、自分がどうしたいか解らない!


 今日は、一体全体何なのだ。


 昨日初めて会った皇太子に絶体絶命のピンチを救われて、家族の生活保証つきで強引に母国に連れていかれる何て。まるで。






 乙女ゲームのヒロインみたいじゃない。








読んで頂いてありがとうございました!



※ 2021/10/17 誤字を訂正しました。

ご報告ありがとうございます。

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