真実
「私は死ぬ、死ななくちゃいけないの」
その言葉を聞いた時、俺はなんとなくあの屋上での出来事を思い出した。
屋上の手すりの向こうに立つ咲の姿、あの時は後ろからしか咲の姿は見えなかったが、たぶん、こんな表情をしていたのだろう。
俺を見つめる咲の表情は、悲しみとか苦しみとか、そんなもん全部押さえ込んで、何かを決意した人間の目だった。
ああ、本気だ。
咲は本気で死ぬきなんだ。
俺は心の中でそう呟いた。
咲は俺をしばらく見つめると、
「少し長くなるわよ」
そう言って俺に全てを語りだした。
いつからだったかはわからない、なぜそうなっていたのかは見当もつかない。だけど、私は子供の頃から虐めをずっとうけていた。
小学生の頃はまだ良かった、陰口や無視、物を隠される程度で、暴力を奮われることなどはなく、痣などもできず、親にバレることも無かった。
だが、中学の二年あたりになると、影での暴力が始まった。
テレビや漫画なんかであるような、派手なのじゃない。
時にはコケた振りをして、時には遊びを装って、また時には私がトイレに入ったほんの一瞬を狙って。短時間で、でも効果的に私に暴力を奮っていった。
そのせいで私の体は無駄に痣だらけになっていった。手や足にできた無数の痣は、自分で見ても痛々しい程だったと思う。
それだけの痣ができれば父や母も黙ってはいない、私になにがあったのかと、毎日のようにとい続けるようになり、最初こそ階段から落ちたなどの言い訳でも通ったが、毎日増えていく痣に、ついに言い訳も通らなくなり、私が虐めを受けていることがバレてしまったのだ。
私が虐めをうけていることを知った父母は激怒し、学校に怒鳴り込みにいった。
先生達を呼出し、"これはどういうことだ!"なんてブチギレながら私がいかに可哀想か先生達に話していた。
私は父母や先生達にただただ申し訳なくて、教室の隅っこで小さくなって座っていた。
私のことなのに、自分ではどうにもできなくて、それがとても情けなかった。
それからすぐ、私は学校に行かなくなった。
父があんな所に行く必要は無いと、私に言ったからだ。
朝おきて、勉強を昼までして、それからは自由という生活を、中学卒業までずっと続けた。
何度か先生が家に来て、私を学校に来させようとしたが、父が門前払いをしていたのを覚えている。
そんなこんなで、私は勉強のすえ、何とか高校に入学できた。一時は高校進学を諦めようとした時期もあったけど、父や母から後押しされ高校にだけは行けと言われ、頑張って勉強をし、何とか入ることが出来たのだ。
入学した学校にも同じ中学のやつがいたせいで、私は学校であまり話しかけられない人間ではあったが、別に虐めと言う程ではなく、私の高校生活は中学に比べれば圧倒的に順風満帆だったのだ。
だけど、そんな生活はいつまでもは続かなかった。
ある日、私が授業を受けていると、先生が教室に駆け込んできた。
「妹さんが何者かに刺された!」
私には今年中三になる一つ違いの妹がいる。それが何者かに刺されたと言うのだ。
私は急いで病院に向かって、妹と面会した。だけど、そこで見たのは、腹部を滅多刺しにされてぐちゃぐちゃになった妹だった。
体からは無数のチューブが伸びていて、医者の先生の話では一命は取り留めたが、今後どうなるかはわからないとの事だった。
犯人はすぐに捕まった。
そいつはいつも私を虐めていた奴らの主犯格だった。
私への虐めがバレたせいで高校にも行けず、自暴自棄になったのと、逆恨みが重なり、私の妹をつけ、犯行に及んだらしい。
それからの数日はあまり記憶が無い、病院の先生の話を呆然と聞いたり、妹のお見舞いに行ったりしていたのは少しだけ覚えてる程度だ。
だが、そんな私を引き戻してくれのは病院の先生の一言だった。
「娘さんを助ける方法があります」
父にそう話しかける病院の先生の話を聞いた瞬間、私の意識は現実に引き戻されたのだ。
病院の先生の言うには、妹の体が危ない状態にある大きな理由のひとつが、臓器の損傷にあるらしい。
腹部を十数箇所にわたって刺された妹の臓器は、多数が機能不全におちいり、機械につながっていなければ、一日、機械があっても一年で死亡してしまうらしい。だが、その機能不全におちいってる臓器を全て移植できれば妹は助かる。
それをきいて父は"不可能だ!"と叫んでいた。当たり前だ、ひとつの臓器を移植するのも、ドナーが出てくるまで何年もまつなんてよくある話なのだ。それが、多数の臓器を提供してもらえるようになるには、いつになるのか見当もつかない。
それを病院の先生も充分理解しているようで、"手続きはしますが、あまり期待しないで置いてください"と言っていた。
ああ、そうか。
私はこの瞬間理解した。
私はこの時のために生きていたのだと。
その日、私は妹の病室にいき、
「大丈夫よ、お姉ちゃんの命をあげるから」
と言って、病室を去った。